人想うが故に、その人の真意知ること叶わず、愚かにも踏みにじる
世の中、この様な事がいかに多いか。
よくある実例として
ある素晴らしい考えを持った人がいます。
その人は自らの知識を全ての人に分け与えようと考えます。
しかしその知識を得た人の中に、その人を称えようと唱える者が現れます。
そうすると『誰が一番その人の教えを理解できているか』という愚かな発想が生まれ、自らの正当性を主張し始めます。
正当性を唱え始めると、続いて『誰が最も正当であるか』という論議が始まり派閥が生まれます。
そうなると自らが考えることを辞め、誰の考えに従うかという思考に変化します。
この例は『政治』『宗教』を含むあらゆる組織で日常的に起きています。
私の身の回りで言えば『武術』の世界で起きています。
王向斉という武術家は『正当』という名の下に迫害された為、自らの武術理論を全ての人に分け隔て無く伝えようと考え、門派を名乗らず、あくまで考え方の一ジャンルとして定着させようと『中国拳学』と名付けましたが、その弟子達は正当性を主張し、更にその弟子達も正当性に振り回されています。
こうなるともうただのカルト宗教です。
しかし、そういった流れは今後も続いて行くでしょう。
王向斉からすれば『正当性』を主張する人間は、最も懐に入れたくない人間だったかもしれないのに…。
人の言葉に対する理解は正しいと思っていても全て勘違いです。
聞いた言葉、触れた感触は全て『きっかけ』でしかなく、自らの考え・出来ることは全て自らが身につけた物であり他人の物ではありません。
もちろん私自身、勘違いの塊でしかなく、私の中に正しいものなど何一つありません。
私が知っている正しいことがあるとすれば3つ。
私が今生きていること。
私がいつか必ず死ぬこと。
私が地球に吸い付けられていること。
もしかすると、この3つすら勘違いかも知れません。
このブログも誰かのための良い意味での『きっかけ』となれば幸いです。