すそ洗い 

用途は問わず
恥垢の上塗
忘備録

福岡県北九州市小倉北区片野1丁目6-5 マンション「メイン芳華」303号室 松永太

2019年04月18日 | ヒトゴロシ



松永 太・1961年(昭和36年4月28日)生まれ。98年逮捕時37歳。
・この事件の最重要人物。暗示的な言葉で殺人を強要。直接、手を下さず殺人を実行。
・表の顔は人当たりが良く、口が達者(中学一年生で上級生を抑え校内弁論大会優勝)
・裏の顔は金銭欲が強く、冷酷で残虐。支配欲が強い。支配した人は奴隷以下の待遇にしても心が痛まない。そのための心理学を独学。鬼畜。モンスター。
・相手が気が小さいとみると大声を張り上げ威嚇。
・肩書きの高い人でも自由にコントロール。

北九州市小倉北区において畳屋の両親の長男として生まれる。
7歳の頃、父親が布団販売業を引き継ぐために実家、柳川市に転居。
公立小学校に入学した松永は大した勉強もしないのに全学年を通して ほとんどの科目がオール5で、
学級委員長を何度も務め、生徒会の役員に 就いたこともあった。
中学1年生の時には校内弁論大会に出場して3年生を差し置いて優勝。
中学時代を通して男子バレー部のキャプテンを務めたりした。
こういう華々しい活躍にも関わらず担当教師達の印象は決して いいものではない。
中学3年時の担当は、供述調書で「目立ちたがり屋で ワンマン、リーダー的存在。周囲に有無を言わせず声が大きく、威圧感を 与えるタイプ。『俺はいつでも松下幸之助と連絡が取れる』とか、すぐに ホラを吹きました。取り巻き連中を作り悪さも取り巻きにさせていました。
家庭訪問をしようとしても、うちは話すことがないからと断り続けれので 結局行くことができず、両親がどんな人なのかわかりません」
高校は緒方純子と同じ県立三潴高校に進学。2年の時に生徒会の風紀委員長 に立候補、
当選したが不純異性交遊が発覚し退学、3年生から他校 (私立筑邦高校)に転校、しかし筑邦高校でも風紀委員を担当している。


福岡県北九州市小倉北区片野1丁目6-5
マンション「メイン芳華」303号室
松永太





遺体は包丁やノコギリで切り刻まれ、大鍋で煮込まれたうえ、ミキサーで ドロドロになるまで攪拌。
この煮込み作業の間、台所から終日、レバーを 煮たような匂いが漂った。
犯行現場になったマンションの住人たちは
深夜から明け方まで続く物音や ノコギリをひくような音、そして凄まじい異臭と下水管の詰まり、ゴキブリ の大量発生などに閉口している。
堪り兼ねて階下にすむ男性が一度、苦情を伝えたところ、夜中に その男性の部屋の前に小便をされるという嫌がらせが何度も続いた。
小便の跡には長さ約26cmの男性の靴跡が残され、松永らの 住む階上の部屋(303号室)まで点々と続いていた。
「男がおろうも!出て来いっ!!」激怒した男性は303号室のドアを蹴り上げ 怒鳴りつけた。
小便事件、階下男性の抗議行動からほどなくして今度は階段の踊り場などに 誰かが大便をして放置するという事件が起こった。
「明らかに犬のものやない。こりゃ、もう変質者の仕業やけね。
もう、いらん 事は言うなと・・・・松永はいつも薄汚れた恰好をして、ジャンパーを着て帽子を 深くかぶってた。
怒鳴り込んだときは、トイレの方に隠れて出てこんかったね」
(階下の住人)


物件概要
事故物件の住所・所在地 福岡県北九州市小倉北区片野1丁目6-5
発生年月日 1998年2月10日
不動産の種類 マンション
ワケあり物件情報 殺人
重要事項説明書
男女2人が女性(41)の首を電気コードで絞めて殺害
不動産情報・部屋番号 マンション「メイン芳華」303号室


松永太 (昭和36年4月28日生まれ)
北九州市小倉北区において畳屋の両親の長男として生まれる。
7歳の頃、父親が布団販売業を引き継ぐために実家、柳川市に転居。
公立小学校に入学した松永は大した勉強もしないのに全学年を通して ほとんどの科目がオール5で、
学級委員長を何度も務め、生徒会の役員に 就いたこともあった。
中学1年生の時には校内弁論大会に出場して3年生を差し置いて優勝。
中学時代を通して男子バレー部のキャプテンを務めたりした。
こういう華々しい活躍にも関わらず担当教師達の印象は決して いいものではない。
中学3年時の担当は、供述調書で「目立ちたがり屋で ワンマン、リーダー的存在。周囲に有無を言わせず声が大きく、威圧感を 与えるタイプ。『俺はいつでも松下幸之助と連絡が取れる』とか、すぐに ホラを吹きました。取り巻き連中を作り悪さも取り巻きにさせていました。
家庭訪問をしようとしても、うちは話すことがないからと断り続けれので 結局行くことができず、両親がどんな人なのかわかりません」
高校は緒方純子と同じ県立三潴高校に進学。2年の時に生徒会の風紀委員長 に立候補、
当選したが不純異性交遊が発覚し退学、3年生から他校 (私立筑邦高校)に転校、しかし筑邦高校でも風紀委員を担当している。


公判記録より
マンションの部屋は10畳ほどのリビングと隣接する6畳二間に分かれている。
浴室の窓という窓は黒のビニール袋で厳重に目張りされた。A氏が死亡した翌日 緒方純子と沙織さんの二人で包丁、
ノコギリ4、5本、鍋、消臭剤などの解体作業の道具を 買った。
解体作業のほとんどの場合、まず死体の首を切り落とし、体温に近い湯槽の中に 身体を浸し血抜きを十分に行った。
次にその身体を切り刻み、肉のブロック片にして臓器類 と一緒に大鍋で煮た。
そうして骨と肉を分離した後に骨はさらに細かく切断してクッキーの空き缶へ、
煮汁と肉片 はミキサーで攪拌し「焼肉のタレのような」(松永証言)ドロドロの液体にしてペットボトル に詰め替えられた。
最初に解体されたA氏に限り、作業完了までに一月かかっている。

第11回公判にて
検事「Aさんの頭部を切り離したことは覚えていますか?」
緒方「はい」
検事「頭部をどこに置いたのですか?」
緒方「ポリバケツに入れて蓋をしておいておきました」
検事「内臓と同じバケツですか?」
緒方「はい」
検事「誰が脳を取り出しましたか?」
緒方「私です。当然、沙織もいましたし、松永もそこに来ていたと思います」

第12回公判にて
緒方「覚えているのは薄い膜から剥がすような形で脳を取り出しました。頭を 逆さまにして、お椀のようにして、そこから取り出しました」
緒方「手にした脳はもっと密度が濃いというか、引き締まったものだと思って いたのに、触ったときに『えっ、こんなにボロボロなの』と思った」


論告書より
気丈なところがある静美さんの抵抗を警戒した松永は、まず浴室に閉じ込めて静美さんに 通電虐待を集中させた。
食事や水を拒否し、衰弱著しい静美さんを純子は主也、理恵子と 一緒に首を電気コードで絞め殺害した。
「松永は主也さんに『お前が絞めろ』と名指しで言い、理恵子には『足を押さえなさい』と 言ったと記憶しています」(純子証言)
静美さんの遺体の解体は98年2月上旬までに終了した。緒方の供述によれば「静美が便秘して いたため腸内に多量の便が詰まっていたことと、皮下脂肪が多くて切りにくかったと理恵子が こぼしていたということが印象に残っている」










消された一家―北九州・連続監禁殺人事件 (新潮文庫)
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なぜ家族は殺し合ったのか (プレイブックス・インテリジェンス)
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北九州連続監禁、緒方被告の無期懲役確定へ                  
2011/12/14付  
北九州市で子供2人を含む7人の命が奪われた連続監禁殺人事件で殺人罪などに問われ、一審の死刑判決が二審で無期懲役に減軽された緒方純子被告(49)の上告審で、最高裁第1小法廷(宮川光治裁判長)は14日までに、「被告自身も異常な虐待を受けていた」などとして、検察側上告を棄却する決定をした。無期懲役が確定する。
決定は12日付。内縁の夫で共犯の松永太被告(50)は同日に最高裁で死刑判決を受けている。
同小法廷は決定理由で「松永被告と共謀し、6人を殺害、1人を死亡させた結果は重大。遺体を解体して遺棄するなど犯行後の行動も非道で、死刑を選択することも考慮しなければならない事案だ」と指摘した。
一方で「一連の犯行を首謀したのは松永被告で、緒方被告自身、松永被告から激しい通電を受けるなどして正常な判断能力が低下していた。証拠が極めて乏しい事件を積極的に自白し、事案解明に大きく寄与した」と判断。極刑のほかないとまではいえず「無期懲役の量刑が甚だしく不当とはいえない」として、検察側上告を退けた。
5人の裁判官中4人の多数意見。横田尤孝裁判官(検察官出身)は「幼いおいやめいまで殺害しており、極刑以外の選択はあり得ない」として反対意見を付けた。
一、二審判決によると、緒方被告は松永被告と共謀。緒方被告の家族に通電したり、コードで首を絞めたりして6人を殺害、1人を死亡させた。

(日本経済新聞)


北九州監禁殺人事件は、2002年(平成14年)3月に北九州市小倉北区で発覚した監禁、殺人事件である。

【平成最凶の事件簿3】殺人鬼「松永太」が命じた家族同士の殺し合い 

殺害後、犯人にとって厄介なのは遺体の存在だが、その究極は遺体そのものを「隠滅する」というケース。つまり「遺体なき殺人」である。平成14年、サッカー・ワールドカップ日韓大会が開催され、北朝鮮から拉致被害者5人が帰国したその年、発覚したのが、「北九州・連続監禁殺人事件」だった。成人男性3人、女性2人、そして10歳女児と5歳男児の計7名の人間が、骨片のひとつも残さず消えていた。

 この事件では松永太とその妻・緒方純子(ともに当時40歳)が逮捕されているが、信じがたいことに殺されていったのは、最初の1人を除き、6人は緒方の肉親と義弟であった。キーワードは「痛み」によるマインド・コントロール。たび重なる虐待(制裁)を加え、そのひとつの手段が「電気ショック」だった。 家族が1人ずつ減っていくという極限状態
 
 また松永は自らの手を汚さず、家族に家族を殺害、遺体を始末させていた。1人ずつ減っていくという極限状態を作り、狂気の空間がマンションの一室に醸成されていったのである。「大の大人たち」は逃げることもできず、松永の意のままに、奴隷となっていった。

  豊田正義氏の著書『消された一家─北九州・連続監禁殺人事件』には、「電気ショック」の凄まじい様子が描かれている(以下、引用は同書より)。制裁を受けているのは、1人目の被害者となる34歳の元・不動産会社男性社員。松永の詐欺を手伝い、10歳の娘とともに松永、緒方と同居していた。松永が緒形の家族を監禁し同居を始めるのはこの1件目の殺人の後、平成9年4月からのことになる。

〈「おい、電気!」
 松永のこの一言で、純子は速やかに2種類の電気コードを用意する。1本は二股(ふたまた)に裂いた導線の先端に金属製のワニ口クリップを装着したもの、もう1本は電源のコンセントにつながっている延長コード〉

 二つのコードを接触させての通電は〈断続的に1時間以上に及ぶのがざらで〉、説教や尋問を交えながら行われたという。途中、松永は酒を勧め、男性は朦朧としながらこれを飲み干した。そうして明け方まで繰り返されたのである。共犯として逮捕された緒方純子もまた、松永の虐待の被害者だった。緒方は後の裁判で、こう証言している。

 〈「皿を少し強く置いた」「怖い顔で掃除している」「(通電に時間がかかり)俺の団欒(だんらん)の時間が減った」といって通電されました。痛みと恐怖で頭が一杯になり、ほかのことは一切考えられなくなりました〉

そして、この事件があまりに残忍と言われるのは、証拠隠滅の手段。先の豊田氏の書に詳しいが、細分化した遺体を公園の公衆トイレや〈夜更けにフェリー船上から〉海中に遺棄していた。

〈使った包丁やノコギリは川に捨て、浴室や台所は徹底的に掃除し、(被害者の)着ていた衣類もシュレッダーで刻んで捨てた〉

 すべての証拠隠滅作業が終了したのは、被害者の死から約1カ月後だった。

 この未曾有の残虐事件の結末は意外なものだった。松永、緒方と同居していた、1人目の被害男性の長女(すでに17歳となっていた)が、逃げ出し、祖父母の家に助けを求めたのである。10歳女児を手にかけた7人目の殺人から、3年9カ月も後のことだった。

 福岡県警の家宅捜査は徹底していた。浴室のタイルや配管は言うに及ばず、下水道の汚泥まで採取している。大分・竹田津港からのフェリー航路に沿って海底捜索も行った。が、有力物証は何ひとつとして発見されなかったのである。

 遺体がないのでは、立件は難しい。捜査は難航を極めた。17歳少女の「殺害を手伝わされた」「殺害現場を目撃した」との供述から、3件については辛うじて立件に持ち込めたものの、他の4件は少女の証言すらない。しかし逮捕から半年後、緒方が一転して供述を始めたのであった。松永の呪縛から、解放された瞬間だった。

 後の公判で、松永は雄弁に語っている。死体損壊・遺棄罪の公訴時効は3年。すでに罪に問えないことを、松永は知っていた。

〈私は解体の企画・構成に携わり、プロデュースしました。設計士がビルを建てるのと同じです〉
〈私の解体方法はオリジナルです。魚料理の本を読んで応用し、つくだ煮を作る要領でやりました〉

 平成23年12月、最高裁で2人の刑が確定した。緒方は無期懲役。そして松永には、6人の殺害と1名の傷害致死で死刑判決が下っている。

 前掲書では、豊田氏に宛て、獄中の緒方が綴った書簡が紹介されている。

〈もし輪廻(りんね)転生があるのなら、最低のところから再びやり直そう! 
 未知の世界ですから保証はないのだけれど、贖罪の機会はきっと与えてもらえると信じることにしました。
 永い永い時間を経て、いつか、いつの世かで這(は)い上がり、今の私より少しはマシな人間になれることを希(ねが)っています〉

デイリー新潮編集部

2019年4月4日 掲載

北九州監禁殺人事件(松永太)


これら大量殺人の主犯である松永太は、1961年4月に小倉北区で生まれた。
 父親は畳屋であったが、松永が7つの時、実父(松永にしてみれば祖父)の布団販売業を継ぐため一家で福岡県柳川市へ引っ越した。経済的に不自由はなく、母親と祖母にべたべたに甘やかされ、ほとんど叱られることのない幼少期を過ごしたようだ。
 高校卒業後、松永は父親の営む布団販売業を手伝うかたわら、19歳で結婚し翌年には子供をもうけている。
 さらにこの年、布団販売業の有限会社を設立し、代表取締役としておさまった。だが、中身は粗悪品を訪問販売によって高値で売りつける詐欺まがいの会社であった。
 なお、のちの一家殺害事件にも使われた「通電リンチ」(電気コードの電線を金属のクリップに付け、腕などにテープで固定して通電する)は、この頃からすでに社員への虐待方法として使用されている。
 対する緒方純子は、1962年2月に久留米市に生まれた。
 兼業農家で土地をかなり所有していた緒方家は由緒もあり、地元の名士とも言うべき存在であったようだ。純子は村会議員の祖父や兼業で会社員の父のもと、何不自由なく育っている。
 そんな彼女のもとへ松永から連絡があったのは、短大を卒業し保育士となって半年ほど経った頃のことであった。
 しかし妻子ある男との交際は、じきに純子の実家にバレた。松永は緒方家を訪れ、
「妻子とは別れます。緒方家の婿養子になります」
 としおらしく宣言し、その場で『婚約確認書』なるものを提出した。
 俗に「口約束」と言うが、その反面どんないい加減な話でも書面にされた途端、人はなぜかそれに信憑性があるような気になってしまうようだ。そしてこの手の無意味な書面を作って嘘に説得力を持たせるのは、松永のもっとも得意とするところだった。
 松永は純子に「莫大な利益を上げている会社だが、お前の婿養子になって緒方家を継ぐからにはつぶさなくちゃいけない。芸能界の話も、残念だがお前のために諦める」と言って、彼女に自責の念を抱かせた。
 純子の母はこの『婚約確認書』なるものをあまり信用しなかったようだが、この会見によって父の誉(たかしげ)さんはすっかり松永が気に入ってしまったようであった。   彼をそこまでにしたのは、むしろ真逆の「保護者による甘やかしと絶対肯定による、エゴイズムの肥大・全能感」のように見受けられる。
 なお昨今の若年犯罪者に「おじいちゃん子、おばあちゃん子」が多いという事実も、これにまったく無関係とは言えないであろう。
 1994年、松永は新たな金蔓を見つけた。
 今度は男で、不動産屋の営業をしていた虎谷久美雄さんである。虎谷さんはやってもいない犯罪にまで『事実関係証明書』を作られ、それが弱みとなり、がんじがらめになっていった。
 しかしそれも1996年1月あたりまでであった。もう虎谷さんに金を作れるあては尽き、一目見てもわかるほどの栄養失調になっていた。



しかし、虎谷さんは生き延びることはできなかった。
 虎谷さんが受けたリンチは凄惨なものである。
 食事は一日一回で、インスタントラーメンもしくは丼飯一杯。10分以内に食べ終わらないと通電を加えた。また、つらい姿勢や直立不動を長時間強要し、少しでも動けば通電。季節は真冬だったが、一切の暖房器具も寝具も与えず、ワイシャツ1枚で風呂場で寝かせていた。
 栄養失調のため嘔吐や下痢を繰り返すようになると、その吐瀉物や大便を食べることを強要した。その他にも裸にして冷水を浴びせる、殴打する、空き瓶で脛を長時間にわたって執拗に殴るなど、飽かず虐待を加えたという。もちろん「通電」はもっとも頻繁に行なわれた。
 2月20日頃になると、虎谷さんは腕を上げることもできなくなるほど衰弱した。この頃、松永は虎谷さんの実娘である少女に、歯型がつくほどきつく父親の体を噛ませている。
 2月26日、虎谷さん死亡。
 松永は少女に、
「お前がつけた歯型のことがあるから、お父さんを病院へ連れていけなかった。病院へ連れていったらお前が殺したことがすぐにわかって警察に捕まってしまうからな」
 と言い聞かせ、まだ小学校5年生の少女に『事実関係証明書』を書かせた。内容は「私は、殺意をもって実父を殺したことを証明します」というもので、長い間少女はこの書面に縛り付けられることとなる。
 松永は死体の処理を、純子と少女に一任した。二人は包丁、のこぎり、ミキサーなどを使って死体をバラバラにし、鍋で煮込んだ上、塊は海へ、肉汁は公衆便所へ廃棄するなどして処理した。
 なおこの死体解体の直後、純子は第二子を出産している。



供述によると、静美さんと理恵子さん母子を並べて仰向けに寝かせ、同時に性器へ通電するというリンチまで行なっていたそうである。
 母と娘2人を犯し、その関係をそれぞれの夫の面前で吹聴し、なおその性器へ電流を流す。松永は彼らの上に絶対的に君臨し、それを誇っていた。まさにローマ皇帝並みの暴君ぶりだったと言えよう。
 8月、緒方家は誉さん名義で、農協から3000万を借り入れた。担保はもちろん祖父名義の土地である。
 主也さんはこの借入書の保証人になっているが、その前に松永に「これ以上、緒方家の奴隷になっていることはない」と唆され、住民票の住所を変えていた。それを忘れてもとの住所のまま書類を作成してしまったことを松永は「文書偽造だ」と責め、それを何度も何度も明け方まで眠らせずに繰り返す得意の手口で、彼を追い詰めていった。
 発端は些細な、くだらないことでかまわないのだ。とにかく責める糸口さえあればいい。あとは思考能力を奪ってしまう一手だった。
 睡眠不足と心労により、主也さんは9月以降、職場へ出勤できなくなった。そして主也さんへの通電も、ほぼ同時期に始まっている。
 彼らは自由に外出することも禁じられ、完全に松永へ精神的に隷属した。彼の促すままに農協から金を借りては渡し、まだ残っている水田を売却すべく手続きに奔走した。
 その一方、松永は例の「書面作成」の腕前を発揮し、彼らに
「我々が失踪したのは土地の売却を親族に邪魔されたせいである」
「私(主也)は妻の首を絞めて殺害をもくろんだ事実を認める(※松永みずからが理恵子さんとの肉体関係を暴露し、彼の嫉妬心を煽った果ての行為である)」
 など何通もの書類を作らせては署名させた。精神的に支配されきっていた緒方家の人々は、これに法的拘束力があるとたやすく信じた。
 しかし祖父や親族が簡単に土地の売却にうんと言うはずはない。
 親族に強硬につっぱねられ、警察が動き始めたことも知らされた松永は、緒方家はもう金にならないと判断した。なおそれまでに彼が緒方家から搾り取った金は、6300万円にのぼるという。
 1997年12月、松永は言いがかりをつけて緒方家の大人たちを並べて正座させ、その場で純子に命じて父・誉さんを通電によって殺させた。死体は残された緒方家の面々が処理せざるを得ない。虎谷さんの死体と同様の手段で、解体し海に捨てたという。
 翌年1月、通電と心理的負担によって精神に異常をきたした静美さんが殺害される。もちろん松永が手を下すことはない。しつこく何度も殺害をほのめかされ、追い込まれた被害者たちの中から主也さんが暗に指名されて絞殺させられたのである。遺体は同じく解体されて処理された。
 2月、度重なる通電によって難聴になっていた理恵子さんを「頭がおかしくなった、邪魔だ」と言い、夫である主也さんに絞殺させる。
 4月、主也さんを虎谷さんの時と同じく、浴室へ監禁し食パンだけを与え、1ヶ月半かけて栄養失調で死亡させる。
 5月、理恵子と主也の子供2人(姉弟)を絞殺。弟を絞殺する際は、わずか10歳の姉に手伝わせたという。
 松永はこうして緒方一家を皆殺しにしてしまったのちも、純子に向かって
「お前が由布院へ逃げたせいで、全員を殺す羽目になった」
 と、この期に及んでさえすべてを彼女のせいにするのを忘れなかった。

 しかし2002年に少女が逃げ出し、警察へ駆け込んだことで一連の事件はようやく明るみに出ることになる。
 祖父母宅へ少女を連れ戻しにやってきた松永と純子を、張り込んでいた捜査員が緊急逮捕。また、少女が長らく世話をしていた四人の子供が児童相談所に保護される。このうち2人は松永と純子の実子であり、残る2人は、母親から養育費を巻き上げるため松永が言葉たくみに預かっていたものであった。
 2005年3月、福岡地裁において検察は松永、純子の両名に死刑を求刑。
 同年9月、死刑判決。





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3 コメント

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はじめまして (繊細居士)
2015-05-17 23:23:39
とても勉強になりました!ありがとうございます。

監禁事件現場の住所までわかるんですね!しかし、その303号室、人が普通に住んでるのでしょうか…

>中学3年時の担当は、供述調書で「目立ちたがり屋で ワンマン、リーダー的存在。周囲に有無を言わせず声が大きく、威圧感を 与えるタイプ。『俺はいつでも松下幸之助と連絡が取れる』とか、すぐに ホラを吹きました。取り巻き連中を作り悪さも取り巻きにさせていました。

これは知らなかったので、知ることができて感動しました。


私は永山則夫のブログを持っているのですが、いずれ松永太のことも書きたいと思っていたのですが、皆様、相当詳細に、この事件について書かれているので、もう私がブログでとりあげる必要はないな~と思っています^^;
繊細居士様 (よしはら)
2015-05-18 10:28:58
松永さんは罪とか反省とかの意識が欠落した人なので 心境とかがわからないので残念ですね
事件と周りの証言だけだと肝心なところがわかりません
もっとジャーナリストの方々は綿密に調査して発表していただきたいです
永山則夫さんはそれに反して色々語り過ぎなので弱冠めんどくさいです
自分は永山事件は「裸の19歳」とゆー映画で知りました
Unknown (繊細居士)
2015-05-18 20:13:56
あ、無理にお返事はいらないので…

>永山則夫さんはそれに反して色々語り過ぎ

私もめんどくせえ奴と、つい、この前まで思ってました。
以下のこと、管理者様もご存知だとは思いますが…永山は社会主義者で思想家で、彼は拘置所にいる間、読んだ蔵書の量が尋常ではなく、さらに全てに感想文とあらすじを記録。同時進行で何千通もシャバの人間との往復書簡と作家活動。なので有名作家たちも永山みたいな人はもうこの世に生まれないだろうと言ってるんですよね。
永山のことを「所詮殺人犯それがインテリ文化人に化けた」と言っている人が多く、私もそのうちの1人だったのですが(最近永山に関する本や本人著のものをまとめて購入したんですが)本人が天才を自称するのは彼の著書を手にして初めて理解した…といった感じです。

私は永山則夫に夢中になる前は、それこそ、分かりやすい殺人鬼やスプリーキラーなど、テッド・バンディや松永太や都井睦雄のほうに夢中になってました。都井など、私の好きな漫画家が最近漫画にしてくれてます^^;(押切蓮介の「ツバキ」2巻に収録されてます。)

会えるなら、松永太にマジで会いたいなあ、まで考えたことがあります。養子縁組や獄中結婚までするモチベはないですが(汗)

自分のブログにも書いたのですが、私は九州に住んでいた頃、松永みたいな男に遭遇しており、その男が支配する職場に私は泣く泣く勤めてたので…松永があの事件を可能にしたこと、私はわかる気がするのです。

テレビを通じて知ったのですが、松永は看守たちに毎朝「おはようございますっ!」と大声でニコニコ挨拶して、いい人の演技を続けているそうですね。松永太と弁護士が一対一で会うことを裁判所も禁止しているとかで(化けモンだな…最高だよ~松永~!)

>心境とかがわからないので残念ですね

彼の血縁が、松永について口を閉ざしているみたいなので。

話それますが、松永は3人子供がいるんですよね。一人目の妻との間に、現在30代の息子と、純子との間に10代の子供二人…彼らはお父さんのことをどう思っているのだろう…いや、考えないように過ごしているかも。

松永太の精神鑑定書、刊行されたら是非読みたいです!^^(文、長くなってすいませんでした。)

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