
ロックギタリストにおいて派手なギターソロは
バンドの華、多くのプレーヤーが成りたかったでしょう。
ツインリードでやったバンドの人なんかは
ギターリフの始まり、ギターバトルは必ず自分が先、
ハモりは自分が高音のパート、そしてステージの立ち居地は
必ず自分が上手という腕前を差し置いてでも
優位に居たい奴も居ましたが。
私の親世代ではベンチャーズ、ノーキエドワーズのスリリングな
リードギターに痺れ空前のエレキギターブーム。
リードギターとサイドギタリストという
パートが決まっていたような時代ですな。
ただ、中学の時ベストヒットUSAでその後のライブ映像
「ウークドントラン」を観るも
ティアドロップサングラスをかけロックンローラーな
出で立ちとパフォーマンスしていた
サイドギタリストのドンウィルソンのほうが
ステージでカッコ良かった。
まあ、当時はリードギタリスト、サイドギタリストの
ポジションが出来上がってましたよね。
が、ギターヒーローが沢山出たその後のロックシーン
皆がリードギタリストに成りたがりましたよね。
日本のバンドは矢沢永吉のキャロルはリード、サイド
区別してましたね。ジョニー大倉も歌うし。
しかしギター戦国時代、皆がリードギタリスト、
ソロイストに成りたがり後はサイドギタリスト(リズムギタリスト)
早い者勝ちだったり。
ツインリードやっても上下間系出来てないと、
ツインリード分裂なんて沢山ありましたね。
今、上の世代の人とバンドやるにも、ツインリード嫌がる人も
多いですな。
ハードロックではマルコムヤングやルドルフシェンカーという
鉄壁のリズムギタリストの達人が居ましたが。
(スラッシュメタル前)
LAメタル全盛時代にオールドスクールでパンキッシュな
ガンズ・アンド・ローゼズが登場しました。
リードギタリストのスラッシュはレスポールスタンダードの
大復活に大貢献した男だし、アンプ直でリードを弾くのも
ローテクギタリストに勇気を与え、一大ギターヒーローになりました。
しかしアクセル、スラッシュと華の有るフロントマンに比べ
頭にキャスケットを被りくわえ煙草しながら
ルーズにクールにフルアコ弾いているイジースドラドリンは
雰囲気、佇まい全てがカッコ良かった。
風来坊癖の有るイジースドラドリンはそんなに注目されなかったけど
私の周りは皆イジースドラドリンがカッコ良いでした。
(名作1stアルバム「ATD」(略)のモトネタの多くを提供していた)
私事ですが、初めてバンドやった時サイドギタリストを
希望してました。
やはりギターソロが上手く出来なかったのです。
ヴァン・ヘイレンのライトハンド奏法や
リニアと言えるだろうか‥‥?同弦の速弾きは
出来たものの多弦への速弾き移動が無理でした。
でバンド言い出しっぺのベーシストがギタリストを雑誌で発掘しました。
サラサラヘアをクールに流しハットを被りこなし
明らかにロックんローラーな雰囲気の彼で
「ああ、この人がリードを弾くんだろうな、上手いんだろうな」
そう思いました。明治大学付属高校に通う
我々からしたら秀才な彼がカッコ良かったんですね。
メンパーも既に多くライブこなしている友人たちが揃い
とりあえずやる曲がRATTとヴァン・ヘイレンに決まりました。
でRATTの一曲以外のリードは彼に任せました。
当然と思ったのです、上手そうだし。
しかしソッコー彼から電話を貰いました。
元々パンクロッカーな彼はレンタルレコードを聞いて
ウォーレンとエディーのプレイを初めて聞いて
大焦りしたようで「こんな速いソロ弾けないよー、
太郎君、頼むよー!」という内容で焦りました。
お互いダメダメじゃん!
私が担当を受け入れ猛特訓しました。
そして曲がWASPが3曲増えたので彼はお手上げになってしまいました。
結局私が担当になり猛特訓の末、私がリードギタリストになってしまいました‥‥。
こんなハズでは無かった‥‥。ラクしようとしていた‥‥。
結局、比較的ローテクなモトリー・クルーの「スモーキンボーイズルーム」だけは
彼に任せせる事にしました。
私は猛特訓でギタースキルを上げる機会となりました。
で、ボーカル、ドラムス以外は初ライブ。
ベースと彼はステージでは大人しいであろうと
ボーカルの奴に私は動きパフォーマンスする事を厳命去れました。
場所はまだキャバレーを再利用してた頃の超老舗
本八幡ルート14。
都内すぐそこなのにプロ達が必ず使う老舗です。
立ち居地はアンプ、機材の関係で私が上手、彼は下手。
テープ審査に通り名門ライブハウスでの人生初ライブ
テクニックと厳命された派手な動きで
ライブは熱く成功しました。
高二の初ライブにしては及第点で充実感でいっぱいでした。
これで、女でも居ればなぁ‥‥と思ったら
サイドギタリストになった彼が逆ナンパされてるではないか!
おまけに良い雰囲気!
後日、観に来ていた超可愛い子にも告白され
その後もまた超可愛い子にせまられ
全員チェリーだった我々‥‥彼がいち早くチェリーを脱しました(泣)
リードギタリストは華!と言われてた頃、
サイドギタリストやった彼が
モデルもやっていたボーカルを差し置いて
モテまくったんです。
結局彼はステージでもクールにカッコ良かったんですな。
ギター上手ければモテる!なんて神話は崩壊しました(泣)
(私はまだまだ発展途上でしたが)
バンドはそのライブ一回で終わりましたが
私だけ彼との交流は続きました。
翌年、私の文化祭ライブ観に来てくれましたが
私達も知っている皆が羨む女の子と見に来ました(*_*)
まあ、結局彼はカッコ良かった訳です。
パンクロッカーでもあった彼は後ドラマーに転向しました。
その彼を思い出した時、イジースドラドリンや
ドンウィルソンを思い出した訳です。
相当なグルーピーも居たでしょうし。
バンドの華、多くのプレーヤーが成りたかったでしょう。
ツインリードでやったバンドの人なんかは
ギターリフの始まり、ギターバトルは必ず自分が先、
ハモりは自分が高音のパート、そしてステージの立ち居地は
必ず自分が上手という腕前を差し置いてでも
優位に居たい奴も居ましたが。
私の親世代ではベンチャーズ、ノーキエドワーズのスリリングな
リードギターに痺れ空前のエレキギターブーム。
リードギターとサイドギタリストという
パートが決まっていたような時代ですな。
ただ、中学の時ベストヒットUSAでその後のライブ映像
「ウークドントラン」を観るも
ティアドロップサングラスをかけロックンローラーな
出で立ちとパフォーマンスしていた
サイドギタリストのドンウィルソンのほうが
ステージでカッコ良かった。
まあ、当時はリードギタリスト、サイドギタリストの
ポジションが出来上がってましたよね。
が、ギターヒーローが沢山出たその後のロックシーン
皆がリードギタリストに成りたがりましたよね。
日本のバンドは矢沢永吉のキャロルはリード、サイド
区別してましたね。ジョニー大倉も歌うし。
しかしギター戦国時代、皆がリードギタリスト、
ソロイストに成りたがり後はサイドギタリスト(リズムギタリスト)
早い者勝ちだったり。
ツインリードやっても上下間系出来てないと、
ツインリード分裂なんて沢山ありましたね。
今、上の世代の人とバンドやるにも、ツインリード嫌がる人も
多いですな。
ハードロックではマルコムヤングやルドルフシェンカーという
鉄壁のリズムギタリストの達人が居ましたが。
(スラッシュメタル前)
LAメタル全盛時代にオールドスクールでパンキッシュな
ガンズ・アンド・ローゼズが登場しました。
リードギタリストのスラッシュはレスポールスタンダードの
大復活に大貢献した男だし、アンプ直でリードを弾くのも
ローテクギタリストに勇気を与え、一大ギターヒーローになりました。
しかしアクセル、スラッシュと華の有るフロントマンに比べ
頭にキャスケットを被りくわえ煙草しながら
ルーズにクールにフルアコ弾いているイジースドラドリンは
雰囲気、佇まい全てがカッコ良かった。
風来坊癖の有るイジースドラドリンはそんなに注目されなかったけど
私の周りは皆イジースドラドリンがカッコ良いでした。
(名作1stアルバム「ATD」(略)のモトネタの多くを提供していた)
私事ですが、初めてバンドやった時サイドギタリストを
希望してました。
やはりギターソロが上手く出来なかったのです。
ヴァン・ヘイレンのライトハンド奏法や
リニアと言えるだろうか‥‥?同弦の速弾きは
出来たものの多弦への速弾き移動が無理でした。
でバンド言い出しっぺのベーシストがギタリストを雑誌で発掘しました。
サラサラヘアをクールに流しハットを被りこなし
明らかにロックんローラーな雰囲気の彼で
「ああ、この人がリードを弾くんだろうな、上手いんだろうな」
そう思いました。明治大学付属高校に通う
我々からしたら秀才な彼がカッコ良かったんですね。
メンパーも既に多くライブこなしている友人たちが揃い
とりあえずやる曲がRATTとヴァン・ヘイレンに決まりました。
でRATTの一曲以外のリードは彼に任せました。
当然と思ったのです、上手そうだし。
しかしソッコー彼から電話を貰いました。
元々パンクロッカーな彼はレンタルレコードを聞いて
ウォーレンとエディーのプレイを初めて聞いて
大焦りしたようで「こんな速いソロ弾けないよー、
太郎君、頼むよー!」という内容で焦りました。
お互いダメダメじゃん!
私が担当を受け入れ猛特訓しました。
そして曲がWASPが3曲増えたので彼はお手上げになってしまいました。
結局私が担当になり猛特訓の末、私がリードギタリストになってしまいました‥‥。
こんなハズでは無かった‥‥。ラクしようとしていた‥‥。
結局、比較的ローテクなモトリー・クルーの「スモーキンボーイズルーム」だけは
彼に任せせる事にしました。
私は猛特訓でギタースキルを上げる機会となりました。
で、ボーカル、ドラムス以外は初ライブ。
ベースと彼はステージでは大人しいであろうと
ボーカルの奴に私は動きパフォーマンスする事を厳命去れました。
場所はまだキャバレーを再利用してた頃の超老舗
本八幡ルート14。
都内すぐそこなのにプロ達が必ず使う老舗です。
立ち居地はアンプ、機材の関係で私が上手、彼は下手。
テープ審査に通り名門ライブハウスでの人生初ライブ
テクニックと厳命された派手な動きで
ライブは熱く成功しました。
高二の初ライブにしては及第点で充実感でいっぱいでした。
これで、女でも居ればなぁ‥‥と思ったら
サイドギタリストになった彼が逆ナンパされてるではないか!
おまけに良い雰囲気!
後日、観に来ていた超可愛い子にも告白され
その後もまた超可愛い子にせまられ
全員チェリーだった我々‥‥彼がいち早くチェリーを脱しました(泣)
リードギタリストは華!と言われてた頃、
サイドギタリストやった彼が
モデルもやっていたボーカルを差し置いて
モテまくったんです。
結局彼はステージでもクールにカッコ良かったんですな。
ギター上手ければモテる!なんて神話は崩壊しました(泣)
(私はまだまだ発展途上でしたが)
バンドはそのライブ一回で終わりましたが
私だけ彼との交流は続きました。
翌年、私の文化祭ライブ観に来てくれましたが
私達も知っている皆が羨む女の子と見に来ました(*_*)
まあ、結局彼はカッコ良かった訳です。
パンクロッカーでもあった彼は後ドラマーに転向しました。
その彼を思い出した時、イジースドラドリンや
ドンウィルソンを思い出した訳です。
相当なグルーピーも居たでしょうし。
こちらではご無沙汰してしまってスミマセン。m(_ _)m
太郎さんも既にご存知ですがカンズではニャロメもイジー・ストラドリン派ですニャン。(≧∇≦)b
ガンズに在籍時は彼が殆どの曲を作曲していたそうですね。
最近はサイドギターの方が快感だったりします。
弦を1本1本弾くのが面倒くさいですニャン。(爆)
これは冗談ですが、最近はコードの魅力にトリつかれちゃっています。
自分なりのコードを作ったりする事に快感を覚えます。
でも、既にちゃんと存在しているコードでしょうけれどもね~。(自爆)
ツインリードってニャロメの場合は大歓迎なんですけどね~。
いつも、誰か助けて~って感じですから。。。(爆)
根っこが自称サザンロッカーだからかも知れませんネ。(笑)
二人でハモって一緒にイクぅ~~~ッ !! って快感ですニャン。(爆)
こちらにも遊びに来てくださいね~(笑)
ニャロメさんも完全なイジー派ですもんね。
私、あのAC/DCですらマルコムヤング派かも知れません。
イジーのパンクとR&Rを上手く合体させた楽曲の元ネタが
見事の名作を生んだのですよね。
その後のUES’D~は私、全くツボでは無い2枚組でした。
私も今はリズムギターが凄く上手い人の方が尊敬しますね。
皆、ソロがどうの!と話が盛り上がる事多いですが
ハードロックに限らず、特にファンク、勿論デルタブルース
あの辺りのリズムギターの名手にシビレますね。
オールマンズなんか、時たまオブリ的に入るカッティングが
メッチャカッコ良かったり、昔の日本のスタジオミュージシャンも
殆どバッキングのRECが専門ですもんね。
あのCharも「気絶~」だけはリードと歌以外のオケが作られて
それをリリースさせられたそうで。
日本人では個人的に山岸潤史のリズムギターが一番好きです。
故塩次さんの方が通!という事もありましたが。
そうなんです、ツインリード、
自分のリズムギターがヘタっても
相方が助けてくれる!という甘えが私もありました(苦笑)