ヤンディーズ

現在闘病中で「病んでいる」ボーカル&ギタリスト、「太郎」の独り言

44マグナムがメタルを止めてた時期

2017年08月20日 | 音楽
梅原ポール氏、若年性パーキンソン病闘病の経過がメディアに流れましたね。
病気をカミングアウトしてから、もう10年以上経つんですね。


私が中学生の頃ヘビーメタルに目覚めた頃
日本のメタル勢のビッグネーム達はワールドワイドな目標を視野に入れ
または目指しているインディーズバンドが多かったです。
私達の世代でもそうですね。
ラウドネスは全米でブレイクしましたし、VOWWOW、EZO、ANTHEM達が
かなり頑張っていた時代で。
後にSHOWーYAがアメリカ進出の話が進んだ時、
楽器隊は良くても、英語がマズい寺田恵子がパニックになってしまい
結果、逃げ出してしまった・・・と何かの番組で笑いながら?話してました。
英語の壁はラウドネスもアンセムもぶち当たってましたね。
ラウドネスはニイちゃんが苦労しながら何とかアルバム「ハリケーンアイズ」迄
頑張ってましたが。(後に気の毒な事に)
アースシェーカーや44マグナムは私の耳には「ジャパメタ」と呼ばれる
ジャパニーズヘビーメタルの代表的な楽曲をリリースしている代表的バンドと感じました。
DOOMなんかは超アンダーグラウンドで海外でもポツポツ知られていたような。

で、リアルタイムに、大体はロッキンfですね、大御所的存在の
44マグナムの姿が無い。写真は見るし、ルックスもLAグラムメタルの流れで
後のV系バンドの元祖的存在と私個人は思っております。

が、私がリアルタイムで見た44マグナムは、ポールは長髪を止め
皆DCブランドのスーツ姿の様な格好でデカデカと2ページ独占してた?かしら、
私は「???」でその後、テレビ東京で23時からのスタジオライブ番組で
何曲か演奏していました。
「コレが噂に聞いていた44マグナム!?」とビックリしました。
女性コーラスとかも入っていましたよね。
ソフトロックというかアダルトロックというか・・・・
ドラムも打ち込みやっていますよね。

44Magnum Love & Money


インタビューで大きく音楽スタイルを変え、
アダルトロックのようなサウンドになった事について語っていましたが
コレは本人達がメタル嫌になったのか?
生き残りなのか?
レコード会社や事務所の意向なのか?私は分からないですが
「今までのような音楽はやらない(今後もやらない?)」
「BOOWYのようなバンドが一つ増えたと思ってくれても良いですよ」と
ジャパメタ界に対する決別のような内容でした。
流石に30年前の事なんで、私も詳細まで完璧には覚えておらず
その雑誌も当時、断捨離して廃棄してしまったのですね。
(BURRN!JAPANかしら?)

44マグナムがメタルを離れ、その頃からメタルインディーズシーンは
ブームの終焉を迎え知名度の有るバンドはかろうじて残るものの
90年代前半までには世界のラウドネスも含め活動停止状態に。
ジャパメタとは全くサウンドが洋楽なアウトレイジは
紆余曲折、辛うじて残ってたか。ユナイテッドとか。

私の世代はホント、ジャパメタ勢は何故かバカにされていたのですよね・・・・。。
「所詮ラウドネスバンドだろ!?」なんて差別が沢山。
誰も彼もがラウドネスやアースシェーカーカバーバンドばかりで
うんざりしていた人達が多かったのでしょうね。
ラウドネスやアンセムがまだ好きだった私は、あまり堂々と人前で言えないような空気に。
多分、その典型的なバンドは44マグナムで、少なくとも44マグナムのカバーバンドは
周辺ライブハウスでやっているアマチュアを見た事が無かったです。
というか、44マグナム自体がメタルを止めてしまったので。

あまりに極端な方向転換に付いて行けず幻滅した人が多かったかと思います。
名作「背徳の掟」でヘビーメタルを極めたジューダスプリーストが
モロに商業的すぎる「ターボ」をリリースした衝撃と同じ、またはそれ以上だったのでは?
プリーストはメタルバンドとして活動していましたからね。

あの44マグナムの姿は当時の私には違和感無く、目に入りました。
しかしケバケバしいファッション、そしてポールやジミー達の
カッコ良いルックスは、「コレがジャパニーズ・ヘビメタ!」でした。
(当時のハードロック&ヘビメタラーは「ヘビメタ」という略語を毛嫌いしてました。私も)

44MAGNUM/Street Rock'n Roller


当時はコレを続ける事は困難だったのでしょうね。

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4 コメント

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Unknown (japametal500s)
2017-08-20 22:56:11
当時、HMからBOOWYのような方向転換へ驚いたわけですがw。その経緯として44は実際にBOOWYと競演していたりするんですが。影響をうけたのもうなづけます。この変貌ぶりを大谷レイブンさんは理解できると言っています。その音楽性の違いで後にDrのJoeが脱退→解散となるわけです。でも転換できた44はすごいと思いますよ。MARINOやシェイカーがBOOWYちっくな音楽をやれるか!?と想像すると・・・。ww
返信する
Unknown (ごり)
2017-08-20 23:00:23
こんばんは。
こちらにもお邪魔します。確かに44マグナムが路線変更した当時に、インタビューでBOФWYの台頭などに言及してましたね。やはり、良くも悪くも、当時のシーンに影響はあったと思います。DEAD ENDなんかもホッピー神山がプロデュースしたりして、メタル路線からは離れつつあったし・・・自分の記憶ではそれこそ黒夢の清春氏とかが、学生時代にメタル期の44のカヴァーバンドをやってたような気がします。ちなみに自分等は、実際にやっていたジャンルは問わず、当日出演するバンドのギタリスト5~6人位が、楽屋で輪になって一斉に「モア」のリフを弾くという遊びというか、儀式というか・・・そんなんをやっていた記憶があります。
あと、自分の身の回りでは、ラウドネス、シェイカー、44あたりより、VOW WOW派が多かった気がします。あとはジャパメタ第二世代?のプレゼンス、DEAD END、REACTIONなども好んで聴いてる人が多かったかな・・・実際RUDY白田や、足立YOUはかなり上手かったし、ジャパメタとして語られることが多いプレーヤーの中では、結構好みでした。
返信する
japametal500sさん (太郎)
2017-08-20 23:33:36
あれま!BOOWYと共演なんて事になっていたのですか!
私の頭の中の44マグナムってコテコテのジャパメタバンド、というイメージでしたが
大シンセサイザー時代というのもあったのかしら?
BOOWYというか、産業ロック+矢沢永吉のソフトタイプ?の様な印象でした。
その後、ジャパメタ界の多くのバンドが解散に追い込まれ生き残れたのが少数ですしね。
ただ、レジェンド的バンドが極端な位の音楽性変更というのは
衝撃的すぎたというか。確かに
マリノやシェーカーがこの路線というのは浮かばないですね。シェーカーはハードさを残し更にPOPになった気もしますね。
個人的にはシェーカーやマリノより
ルックスがイケてる(失礼)44マグナムの80年代のスタイリッシュな服の着こなしといい
そういう面も含めて44マグナムだから出来たのかな?とも・・
漫画「TO-Y」とチト被る感じが頭の中で浮かびました。
返信する
ごりさん (太郎)
2017-08-20 23:50:25
そうなんですよね、ロングインタビューの特集が組まれて、
音楽TV番組にも出演して・・・。私にとって意外な形で44マグナムと出会いました。
確かにBOOWYの事がチラっと書かれていました。メタルをやる気も起きないとか。
アンセムやサブラベルズとかも後陣組でしたね。私のリアルタイムも
ラウドネスとVOWWOWが欧米で成功しアンセムやEZOが大躍進中
アースシェーカーやブリザードが国内で地道に活動続けせ聖鬼魔Ⅱの大ブレイク・・・。
初めて買ったメタル雑誌ロクfにリアクションのライブソノシートが付録で付いてきて
今でも大事に持っています。
ラククアンシェルが44マグナム大好きで実際Kenがソロライブで歌ってましたね。
(アレは酷かった・・・・)(白田RUDYと中間英明がバックでしたね)
以前記事にした事があるのですが、お小遣い貯めて
デッドエンドのメジャーデビュー作を買いに行き、聴いてズッコケました。
正直ガッカリというか。足立YOUのギターと新加入の湊のプレイは
やたら頭にコビリ付き。でも後々「ZERO」とかでV系の元祖みたいになり
まさかのルナフェスかV系のフェスに2年ほど前出演するとは・・・・。
10年前に仕入れたインディー時代の「DEADLINE」にKOされ
今でも「スパイダー~」のコピーに苦戦しています。リズムもリードも。
「MORE」・・・ホント猫も杓子もでしたね。
私も3年前まで目を瞑ってでも全て弾けたのに・・・怪我とブランクとトシで
今でも危ういです(汗)と、5人も集まってこのフレーズを刻めるとは
結構良い環境ですねぇ。私の周りは殆どBOOWYでした。
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