ヤンディーズ

現在闘病中で「病んでいる」ボーカル&ギタリスト、「太郎」の独り言

猪木 バックランドvsハンセン ホーガン

2021年05月10日 | プロレス
猪木、ボブバックランドvsスタンハンセン、ハルクホーガン、
レフリーはレッドシューズデューガンと今見ると
物凄いメンツです。
この顔揃えはNWAの全日本に全く引けを取らない。
当時WWFチャンピオンで若き帝王と言われたバックランドが
少なくともこの日本で人気は別として、帝王として君臨していたのですから。
ハンセンとバックランド、そしてジャンボ鶴田はファンクス道場修行時代の
仲良しでしたもんね。

しかし、後々プロレス界で大成功を納めたのが
スーパースターのハルクホーガン。
当初、木偶の坊扱いでも成長著しいですし
髪が薄いといっても201cm、140kgの均整取れた肉体、
長いストレートのブロンドヘア、ルックス。
トータルして華はやはりホーガンが一番に思えます。
WWFで将来を約束されたモノの様な立場ですし。


Bob Backlund & Antonio Inoki vs Hulk Hogan & Stan Hansen - 12-10-1980


コレ、MSGタッグの決勝戦ですよね。
漫画「プロレススーパースター列伝」通りホーガンが
逆さ押さえ込みで猪木にフォールされている。
バックランドはWWF王者で猪木は日本のスーパースター、
ハンセンは外国人のエース。まだ若いホーガンが負けるしかないですが、
そういえば、この後の全日本と新日本の引き抜き合戦。
確かボビーダンカン経由だったかな?馬場はホーガン引き抜きにかかった記憶が有ります。

プロレスファン歴40年ですが、この中のホーガンは勿論、ハンセンも
見た事無いんです。テリーファンクさよなら興行では
外国人側エースがハンセンでは無く、タイガージェットシンだったんですよね。
(先月ラジオ出演しましたな)
ホーガンは乗継ぎの岡山駅で鳥取の従兄弟のお兄ちゃんが
新日本外国人一行と遭遇し、アンドレのデカさに衝撃で驚いていた後
ホーガンがサングラスかけて歩いて来た所ベストアングルでカメラを構え
私と弟分、2枚写真を送って来てくれた事が有ります。
母が管理していたので、何処か紛失したのが残念ですが。
凄くカッコいい写真でした。写真越しでもスターオーラが有りサマになるという事は
ホーガンの様な男だな、なんて思ったりします。
バックランドは、WARの例の天龍vs北尾の再戦の両国大会の時
マスカラス、バックランド、ジミスヌーカーという豪華外国人レスラートリオで
登場しました。リングアナウンスの時
「大統領候補、ボブバックランド〜!」とコールされ
バックランドはファイティングポーズで前後左右とステップ、
お尻が大きい事も有って腰振っている様に見え会場は大爆笑。
試合は案の定マスカラスがボディーアタックでフォール勝ちでしたが
結局はバックランドが一番オイシイ所を持って行きました。

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4 コメント

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新日の絶頂期 (凸椪)
2021-05-10 19:32:46
この試合が行われた1980年は、(私事ですが)会社員時代で名古屋に在住していました。名古屋は大都会ですが、東京と違って来日アーティストも東京初演後にはスルーされて京都か大阪へ移動してしまう場合があり、在名中にもジョン・デンヴァ―やオリビア・ニュートンジョンの公演も観損なってしまいました。ただ愛知県体育館で開催されたプロレス興行は全団体(…といっても当時は全日・新日・国際の3社だけでしたが、)観ています。猪木がアンドレをボディスラムで投げた試合も“目撃”しました。
アップされた試合は新日の絶頂期にあった一戦かと思います。メインに猪木が登場する時には、営業本部長の新間寿氏がいつもマイクで観客を自信満々に煽っていましたから。約40年以前の試合でしたが、その頃から徐々に猪木にも気力・体力面で全盛期から下降期に入って行ったのかと思いました。アリ戦の借金を解消した後には、アントンハイセルなどのビジネスに新日プロを巻き込んだりで、まぁ好意的な見方では猪木自身だけでなく新日トップとして子飼いの所属レスラー諸氏の引退後のことも考えてのことかも知れないけれど、我々一般のファンには関係ないこと。この試合を視返してもハンセンやホーガンには正攻法では対抗するのは厳しいのでは…という印象が窺がわれました。当時のWWFトップのバックランドと組んだのも猪木自身の衰えをカバーできる選手として集客面での戦略もあったのだろうと思います。
ところでホーガンはレスラーデビュー前には、管理人さんと同業・ミュージシャン(ベーシスト)として人気があったそうですが、お聴きになったことはありますか??彼の入場時テーマ曲は気に入っていますが…。
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凸樫さん (太郎)
2021-05-11 20:31:46
80年代でも外タレ名古屋スルーでしたか。
オリビアニュートンジョンだと当時は「フィジカル」時代かしら?
猪木がアンドレを投げた試合を観れたというのは超貴重な光景でしたね。
ハイセルを別問題とし、興行、TVは毎回超満員札止、
視聴率平均20%超え。外国人へのギャラは国際除けばやはり日本はオイシイ市場でしょう。
そして個人的に猪木の絶頂期はアリ戦迄の様にも思えて来ます。
アリ戦でも、もしかして衰えてたか?80年のこの頃には糖尿病の症状出ていたでしょうし。
小鹿に言わせると「猪木さんは夢を追う人」シックリきます。
と、引退した21世紀に入っても自分が目立ち新日本や周りを振り回すのは変わらないですしね。
そういえば若松チャンネルで猪木、上田vs若松、アンドレの事を
若松本人が振り返って語ってました。
ホーガンはミュージシャンとしては成功していないとおもいます。全く無名です。
返信する
新日本全盛時代 (喜一)
2021-05-19 19:41:33
神田伯山の真日本プロレス第4回放送で、1978~1982年までの新日本全盛時代のことをやっていました。
今回の太郎さんの記事は、1980年のことですよね。ホント豪華なメンバーですよね。
豪華絢爛期ですね。当時のチャンピオン:バックランドまで呼べて、猪木のライバルがハンセンだった頃ですね。
WWWFとの業務提携したのが大きかったんでしょうけども、猪木はずっと馬場への対抗心があったのでしょうね。オールスター戦でBI砲としてタッグを組んだと思いましたが、直接対決は漫画:プロレススターウォーズの中で実現しただけでした。

ストロングスタイルという意味は分かりませんが、馬場とは明らかに違う物を見せていきたかったと思います。

まだ、猪木が糖尿病になる前で、初代タイガーが現れる前。でも、もう猪木のベストバウト:ビル・ロビンソン戦のあとの時期という試合を楽しませてもらいました。
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喜一さん (太郎)
2021-05-20 01:47:12
猪木vsロビンソンは未だダイジェストでしか見た事無いんですよ。
YouTubeに上がっていた時期も有ったのですがやはり新日本ワールドの影響でしょう
消えていて。私のブログも監視対象かもで。
古舘チャンネルで真っ先にエースのスタンハンセンに取材したりその他で
あの優しいと言われるアンドレに嫌われてしまったそうなんです。
コレは80年の年度末の試合ですよね。私は81年からのプロレスファンなので
アンドレvsハンセンが見れたのが唯一のハンセン新日名勝負でした。
本当はアメリカンプロレスが大好きな猪木がアメリカンスタイルの王道を行く馬場の全日本に
やはりアメリカでは知名度無い猪木がゴッチイズムを含め異種格闘技戦等
差別化も図ったんでしょうね。金曜8時の黄金期のレスラーや関係者は
何処かで会ってもライバル心むき出しなので挨拶程度しかしなかったそうです。
(田中ケロや和田京平の話。馬場メモリアル大会に猪木が来ても和田は挨拶に行かなかったと。それで良い、成立つんだよ、と。)
外国人レスラー達もステーキ店リベラに食べに行って、どちらかの団体参戦している選手が
食事していたら会社に気を使い、入店止めたりしてたそうです。
馬場vs猪木の直接対決は仕掛る可能性の有る信用出来ない猪木を馬場は避けるでしょうし、
オールスター戦でも猪木が筋通さず直接対戦アピールしたり
オールスター戦も新間氏が武道館の席に息子の同級生を大量に導入して猪木コールさせたり
馬場が後で事実を知りしてやられたり、オールスター戦そのものが流れる可能性有ったそうですよ。
裏工作や仕掛けの政治面がかなり熾烈だった様です。
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