
初代タイガーマスク事、佐山サトルは今でも、世界のプロレスラー名鑑に
載っても良い位の天才レスラー、スーパースターです。
このタイガーマスクとしての活動期間は2年ちょっと・・・・。
寺西勇との戦いを経て、新日本プロレスを去ってタイガーマスクとしては
引退してしまいました。
無敗のレスラーとして、良いライバルに恵まれながら、すんごい四次元プロレス
(古館一郎アナウンサー弁)を魅せて、大人も子供も彼のトリコになりました。
ダイナマイトキッド、ブラックタイガー(マークロコ)小林邦明、
この3人は代表的なライバルで試合がスイングしていましたね。
そして、ニューヨークのプロレスファンにも解りやすいようにと・・・・
芸術的な試合を魅せる相手に選ばれたのは、ダイナマイトキッド。
この試合はとても分りやすいですねぇ。NYもファンもドヨメキを起こします。
↓
http://www.youtube.com/watch?v=l7tKdVaTWnA
しかし、天才はやはり一筋縄では行かないですねぇ。
佐山が目指したのはリアルな挌闘家で、その格闘技の世界でも孤立を深めます。
人の良さそうな顔をして、実は、皆が怖れるセメント挌闘家。
タイガー改造計画をボツに・・・クーデター事件を期に新日本を去る予定だった
猪木に裏切られた前田日明達が参加した、
旧UWFにこの佐山もスーパータイガーとして参加します。
この旧UWFの興行も大変になっていき、私、後楽園ホールで2列目の
タダ券貰い、観に行った事あります。
この時は国際プロレスで活躍していたマッハ隼人の引退試合で、
佐山は素顔で闘い、マッハに最後、華を持たせました。
この試合で・・リングサイドで観ていた私はこの試合より佐山はマッハに
「マッハさん、飛んで!」とリング内から叫んでいたのが印象深かったです。
その後、リアルファイト的闘い(勿論プロレス)でスーパータイガーとして闘い
前田日明をチキンウイングフェースロックで締め上げUWFで優勝したり
高田延彦のローキックに沈んだり、また、孤立して・・プロレス界を去り
修斗に深く関わったり、製圏圏を起こして、また失敗して
古巣のプロレス界に帰ってきたら、やはりリアルファイト(喧嘩的)思考に
不気味かられ、リアルジャパンプロレスで鈴木みのると闘ったり、
あの全盛期の関節、素晴らしい空中殺法はもう、見れないんですねぇ。
佐山の全盛期はレスラーとしては早すぎる24歳位だったんですね。
だから、あれだけの動きが出来たのかな?
因みに、ドロップキック1発でまだ修行時代のブレットハートをふっ飛ばした
あのドロップキックのインパクトはまさに芸術でした。ミサイルでしたね。
この佐山タイガーのベストバウトというか・・印象的な試合となると
やはり、猫タイガーのマスクを被ってデビューしたS56・4月、
蔵前国技館でのダイナマイトキッド戦でしょうかなぇ???
(この時、アイナマイトキッドの入場曲を生演奏したのはあの「外道」でした)
後、古館一郎の名アナウンスとマッチして、毎週金曜の8時が楽しみに
なっていくのでした。(子供時代、兵庫県伊丹市に住んでいました)
載っても良い位の天才レスラー、スーパースターです。
このタイガーマスクとしての活動期間は2年ちょっと・・・・。
寺西勇との戦いを経て、新日本プロレスを去ってタイガーマスクとしては
引退してしまいました。
無敗のレスラーとして、良いライバルに恵まれながら、すんごい四次元プロレス
(古館一郎アナウンサー弁)を魅せて、大人も子供も彼のトリコになりました。
ダイナマイトキッド、ブラックタイガー(マークロコ)小林邦明、
この3人は代表的なライバルで試合がスイングしていましたね。
そして、ニューヨークのプロレスファンにも解りやすいようにと・・・・
芸術的な試合を魅せる相手に選ばれたのは、ダイナマイトキッド。
この試合はとても分りやすいですねぇ。NYもファンもドヨメキを起こします。
↓
http://www.youtube.com/watch?v=l7tKdVaTWnA
しかし、天才はやはり一筋縄では行かないですねぇ。
佐山が目指したのはリアルな挌闘家で、その格闘技の世界でも孤立を深めます。
人の良さそうな顔をして、実は、皆が怖れるセメント挌闘家。
タイガー改造計画をボツに・・・クーデター事件を期に新日本を去る予定だった
猪木に裏切られた前田日明達が参加した、
旧UWFにこの佐山もスーパータイガーとして参加します。
この旧UWFの興行も大変になっていき、私、後楽園ホールで2列目の
タダ券貰い、観に行った事あります。
この時は国際プロレスで活躍していたマッハ隼人の引退試合で、
佐山は素顔で闘い、マッハに最後、華を持たせました。
この試合で・・リングサイドで観ていた私はこの試合より佐山はマッハに
「マッハさん、飛んで!」とリング内から叫んでいたのが印象深かったです。
その後、リアルファイト的闘い(勿論プロレス)でスーパータイガーとして闘い
前田日明をチキンウイングフェースロックで締め上げUWFで優勝したり
高田延彦のローキックに沈んだり、また、孤立して・・プロレス界を去り
修斗に深く関わったり、製圏圏を起こして、また失敗して
古巣のプロレス界に帰ってきたら、やはりリアルファイト(喧嘩的)思考に
不気味かられ、リアルジャパンプロレスで鈴木みのると闘ったり、
あの全盛期の関節、素晴らしい空中殺法はもう、見れないんですねぇ。
佐山の全盛期はレスラーとしては早すぎる24歳位だったんですね。
だから、あれだけの動きが出来たのかな?
因みに、ドロップキック1発でまだ修行時代のブレットハートをふっ飛ばした
あのドロップキックのインパクトはまさに芸術でした。ミサイルでしたね。
この佐山タイガーのベストバウトというか・・印象的な試合となると
やはり、猫タイガーのマスクを被ってデビューしたS56・4月、
蔵前国技館でのダイナマイトキッド戦でしょうかなぇ???
(この時、アイナマイトキッドの入場曲を生演奏したのはあの「外道」でした)
後、古館一郎の名アナウンスとマッチして、毎週金曜の8時が楽しみに
なっていくのでした。(子供時代、兵庫県伊丹市に住んでいました)
確か、週刊プロレス創刊号の表紙はタイガーじゃなかったかしら?ある程度のプロレスマニアはお子様向けレスラーだと思ってたんでしょうが(もちろん私も)びっくらこきました。良い時代でした。大好きでした。
ところで、佐山氏は今、どうしてるんでしょう。
昭和プロレスを愛するおやじ
やはり、マスカラスに対抗してチビッコファンのGETという
目標があったのですね。
で、まさか、こんな適役の、天才レスラーが居たとは、
当時の新日本は、幸せでしたね。
2年チョイの現役生活でも、伝説と化して、いまでも
脳裏にあの活躍がコビリ付いています。
佐山は、自分のジムをやりながら、チョコチョコと
古巣のプロレスのリング(リアルジャパン)とかに上がっていますね。
藤原、鈴木と絡んだり。
そう言えば、UWFインターがあった時代、神宮球場で
タイガーの後を任された、悲劇のレスラー、ジョージ高野の
「ザ・コブラ」と対戦して、コブラの酷さに、溜息だった記憶があります。