



ひとつだけ想定外だったのが、近場かつ客室数400超という大型リゾートなので、企業のオフサイトやコンファレンス利用が多かったこと。今回は1泊2日で行ったのですが、その間だけでも3社が別々に来ていて、うち初日のみ重なっていた某上海企業は、何と300人(!)という超大所帯。午後のビーチに原色のデカい海パンや水着姿で大声で話している方々の比率が高かったのは、そのせいだったような気も。。。ただ、ロビーに張り出されてあった彼らの予定表を見ると、翌朝は5時半起床、7時にチェックアウトして、わしらが朝食をとる頃には跡形もなく消え去っていました(笑)。恐るべし、チャイナパワー。
まぁそれはそれとして、実際に行ってみるまでは、わが家近くのセントーサ島と大して変わらない?と思っていたビンタン島ですが、それなりに「非日常」の旅気分を楽しんでくることができました。シンガポール旅行に来られる皆さんも、是非いちど足を伸ばされてみては如何でしょうか。

インドネシア、大統領が中銀総裁人事で国会に異例の抗議文
日本銀行の総裁ポストが空席となった日本と同様、インドネシアでも中央銀行の次期トップ選びが難航している。 インドネシアでは総裁人事を巡り、ユドヨノ大統領と国会が対立。大統領が推薦する総裁候補が国会で否決となったため、大統領は23日付でアグン国会議長に明確な否決理由の説明を求める異例の抗議文を送った。大統領選を来年に控え、国会では反ユドヨノ派が結束する構えを示している。
日本もまだ決着していませんが、こういうことまで政局のコマにできちゃうっていう、悪しき手本になってしまったようで。。。ちなみに大統領が推薦する総裁候補は国営マンディリ銀行の頭取だそうですが、「マクロ経済に詳しくない」との理由で反対にあっているとか。日本でもそうだったように、そんなこと言うんなら、やっぱり中銀経験者ってことにならざるを得ない。そうすると選択肢なんてそんなに多くはないでしょうから、そもそも紛糾するような話じゃないハズなんですが。反対されそうな候補立てちゃうところまで、日本とおんなじ(苦笑)。これで経済に悪影響が及ぶようなことがあったとしても、どうせ誰も責任取らないんだから、せめて無駄に引っ掻き回すのだけはやめて欲しいところですね。

で、今回の報道で幾度となく目にしたのがタイトルの言葉。ウィキペディアによると、開発「独裁」という言葉が用いられているのはほぼ日本ぐらいで、80年代にアジア各国で開発による負の側面(反共政策や言論弾圧)がクローズアップされ、各国での政権批判が生じて以降のことなんだそうです。ただ、一国経済をテイクオフさせる局面で、強力な政治的リーダーシップが重要であることは間違いありませんし、その過程で一時的な権力の集中が効果的であることも、相当程度実証されているのではないかと。
それについていく側の国民感情という観点から問題なのは、そのリーダーが終始身ギレイでいながらそれを成し遂げることができるどうかであり、シンガポールの「建国の父」であるリー・クアンユー現・顧問相などは、その好例かも知れません。くしくも今朝の日経で紹介されていた、同氏のコメント --- 「信じられない個人的不始末で、スハルト氏は歴史の中で正当に占めるべき地位につけなかった」 --- がそれを物語っています。清廉なリーダーシップを全うできるかは、貧しい出ならば余程の倫理観の持ち主であるか、さもなければシュワルツェネッガー・カリフォルニア州知事のように、はじめから蓄財の必要がないぐらいリッチでなければ、難しいのかも知れません...。
末筆ながら、「開発の父」のご冥福をお祈り致します。

あいにく天気は曇り気味でしたが、それでも雲の切れ目から日の出の太陽が時々のぞいていたので、とにかく急ぎ足で入場。ゲートから5分ほど歩いて、いよいよ遺跡の姿が朝靄のなか浮び上がってきた時にはさすがに息を呑みました。歩みを進めるにつれ、その巨大さがますます実感を伴って目の前に迫ってきて、ふもとの入口に辿り着いた時には頂上の大ストゥーパは見えなくなってました。
幅2mほどの回廊をらせん状に上ってゆく際に見える壁面に描かれたレリーフは、釈迦、菩薩、王族、兵士など登場人物1万人超、パネルは2500面以上という巨大な絵巻。1814年ラッフルズ卿によって発見され10世紀に及ぶ眠りから覚めるまでの間に地震や火山の噴火で破壊されたり、持ち去られたりした石の部分の壁画が失われていて、統治時代のオランダや1970年代のユネスコにより修復された部分には、壁画は施されてありません。そしてやっとのことで辿り着いた頂上にギッシリ並んだ72基のストゥーパと、そこから見下ろす朝靄に埋もれた椰子林は、この世のものとは思えないぐらい神秘的(写真)。雨季のはじめということで遠くのほうは曇っていたので、残念ながら東に見えるはずのムラピ火山は見えずじまいでしたが、それでもこの朝靄につつまれた日の出の眺望はまさに一見の価値ありです。
アジアでは初であったというユネスコ主導の復興事業には、ロックフェラー財団、IBMなども協力をしており、関係者の心意気と熱意をヒシヒシと感じました。もちろん我が国もユネスコのメンバーで、この復興事業にも深く関わったとのことですが、こういうのだったら仮に他国が拠出金を出し渋るようなことがあっても、率先してカネ出せばいいんじゃないかなって思いますね。時が止まったかのような早朝の古代遺跡にたたずんで、暫しそんなことを考えさせられました。是非もう一度、今度は乾季の早朝にもトライしてみたい!なーんて思ってしまったわしです。(おわり)

1日目の夕方には、今回の旅の目玉の一つであるプランバナン寺院史跡へ。--- 9世紀の中部ジャワは北部が仏教王国(シャイレンドラ王朝)、南部がヒンドゥー教国(マタラム朝)に統治されていましたが、その南部側に建てられた寺院群がプランバナンであり、91年に世界遺産に指定されています。
ここはインドネシアの駐在経験も長かった職場の大ボスが「あそこは暑い昼間よりも夕刻のサンセットの頃に行くのがいい」と薦めてくれたので、迷うことなく日の入り時刻をガイドに確認し、5時半の日没1時間前をターゲットにホテルを出発。ジョグジャ市内からは車で東へ約40分。辺りは寺院史跡公園としてすっかり観光化されていて、寺院群に向かう通りに並ぶ出店には、寺院を形取った置物が山のように売られています。まさかひっくり返した裏側に漢字で「根性」なんて書いてあったりしないだろうな...なんてクダラナイことを考えながら、いよいよ寺院群のある丘へ。
到着したのはまだ空の明るい4時半ちょっと前でしたが、その大きさと異様な雰囲気に思わず立ち止まってしまいました。中心にそびえるロロ・ジョングラン寺院は高さ47m、それを取り囲む寺院たちもその半分ぐらいの高さがあり、まるでガウディの建築物か何かでも見ているかのような感じ。近寄ってみると壁にはギッシリとラーマーヤナをモチーフにした壁画が施されてあります。周辺には16世紀の火山爆発で崩壊したお堂200余棟の残骸が転がっていて、修復待ちの状態。これが全て修復されたらさぞかしスゴイことになるだろうなって思います。
ロロ・ジョングラン寺院には清掃作業のためやぐらが掛けられていたのがちょっと残念でしたが、それでもこの巨大さ&壮観にはやはり息を呑みます。小一時間ほど壁画を見たり中に張ったりしてのんびり堪能したあとで、坂上二郎が教えてくれたベストアングルから日没に浮かび上がる寺院をパチリとやったのが、この写真です。(つづく)

短いけど楽しかった観劇ののち、市内のレストランでゆっくり昼食をとったあと、一番暑い午後1~3時の間はホテルに戻って昼寝(笑)。そして3時半になったところで、いよいよ日没のプランバナンを目指してホテルを出発したのでした。(つづく)

市内のバティック専門店が軒を連ねるJl. Tirtodipuranという通り沿いのバティック工房のひとつであるPlentongという店を尋ねましたが、ここではバティックの製造工程をひと通り見せてくれるコースを見学。まともに製造工程を見たのはこれが初めてでしたが、こーんなに手間のかかるものと知ってビックリ仰天。コットンまたはシルクの白布に鉛筆で下絵を書いて、それに沿って蝋で模様を入れ(写真)、それが固まったら染めるわけですが、そうすると蝋を塗った部分が色に染まりません。この蝋をコットン地の場合は湯、シルク地の場合はガソリンで溶かしてやって、現れた白地の部分をまた違う色で染める...という工程を色の数の分だけ繰り返す、っていう気の遠くなるような作業。それが、あんな値段(高級品でも女性用のショールで5千円前後)で売られている訳ですから、やはり人件費が格段に安いんでしょうねぇ。。。
その次に向かったすぐ近所のシルバー工房(Ansor’s Silver)でも、アクセサリーやシルバーウェアのほか、細く糸状に伸ばした銀をピンセットで編んでブローチを作る、これまた気の遠くなるような作業工程を見学。そして併設されているショップではあらゆる銀製品がとにかく安い!この店には日本語を上手に話す可愛いお姉さん達が4人も常駐していて、暫し話し込んでいるうちに最近にわかに凝りはじめたごっつ系の「オヤジ・リング」を発見、交渉の末20%ディスカウントにて購入。と、ここまでダラダラのんびり見終ってもまだ朝の10時半(!)。ここまでアクティビティを詰め込んだ観光っぽい旅したのなんて何年ぶり?って感じ。(つづく)

土曜日は朝6時のフライトでジャカルタを後にし、7時前にはジョグジャに到着、ホテルにチェックイン後、8時にはスルタン(王侯)の王宮&離宮を見学。ここのスルタンは今でも州の首長を務めていて、先代はインドネシア国の国防大臣、副大統領まで勤め上げた大物。今のスルタンも遠からず国政に出てゆくだろうなんてガイドのオバチャンが言ってました。王宮は広く公に公開されていて、敷地内には歴代スルタンの使った家具調度品や王族の歴史にまつわる写真や肖像画や、各種セレモニーに使われる楽器や飾り付けの数々が展示されており、腰にサーベルを下げた老兵士達が無給で警備に当たっています(写真)。だけど、こんなヨボヨボの呑気な爺さんたちで大丈夫?って感じなのが微笑ましかったりします。平和なんですね、きっと。
このあと、すぐ近所にある離宮にも訪問。ここはスルタンが、妻たちや子供たちをプールで遊ばせてそれを高みから見物する、というなんとも優雅な施設ですが、あいにく長期のリノベーション中だったので、殆ど工事現場状態でした。完全に復旧して3つもあるプールに水を張ったらさぞかし優雅なんだろうな...なんて、左官工の兄ちゃんが作業している横で思ったりしました。(つづく)
2週間のバンコク・マニラ出張を終え、無事帰国。なんだけど木曜日からはまた1週間ジャカルタへ(涙)。今度はせっかく週末が挟まるので、ボロブドゥール(8~9世紀に築かれた世界最大の仏教遺跡)とプランバナン(ボロブドゥールと同時期のヒンドゥー・仏教混在遺跡)巡りの1泊ツアーにでも行ってこようかなと計画中です。うまく週末に仕事が入らずに出掛けられたらまたご報告します。世界遺産巡りしてる人って結構たくさんいるみたいですけど、この方々の紹介サイトがなかなかでしたので、ご紹介して気分を盛り上げることに。それにしても北上している台風23号がちょっと心配。そもそも飛べるのやら...。
http://www.fan.hi-ho.ne.jp/e-taira/borobudur_1.htm
http://www.tcat.ne.jp/~eden/Hst/dic/borobudur.html
http://www.hcn.zaq.ne.jp/cabhg103/borobudur0.htm
http://www.fan.hi-ho.ne.jp/e-taira/borobudur_1.htm
http://www.tcat.ne.jp/~eden/Hst/dic/borobudur.html
http://www.hcn.zaq.ne.jp/cabhg103/borobudur0.htm
なんかイヤ~な感じになってきましたね。来月ジャカルタ出張なんだけど、大丈夫かな...。某証券会社の友人によると、同社は早々に社員のインドネシア渡航を全面禁止したそうですが、うちはないだろーな、そういうの。「死んでも稼いで来い」って感じ。くわばらくわばら。