気まま勝手に

札幌界隈+αのフォトブログです。

雪の中を馬そりが走ります

2015-01-30 10:57:44 | 観光スポット(札幌市内)

リキ君

 

リキ君

 

リキ君

 

アラシ君

 

北海道開拓の村では、村内が雪に覆われると「土・日・祝」に

昔なつかしい馬そりを運行します。

交代でそりを引くのはリキ君(年齢24歳)とアラシ君(21歳)と

いう2頭の白い道産子馬です。

馬そりにはガイドさんが同乗して、コース内の建物を説明してくれます。

 

この2頭の馬は、朝ドラ「マッサン」で余市の工場からウイスキーを

初出荷するシーンに出演した馬です。

このシーンには4頭の馬がでていますが、3頭目がリキ君、4頭目が

アラシ君です。

 

住所   札幌市厚別区厚別町子野幌50-1

電話   011-898-2692

営業   5月1日~9月30日(9:00~17:00 無休)   10月1日~4月30日(9:00~16:30 休村 月曜日 年末年始)

入場料  夏期(4月~11月) 一般 830円 大・高学生 610円  冬期(12月~3月) 一般 680円 大・高学生 550円

馬そり乗車券  大人(15歳以上) 270円  小人(3歳から14歳) 130円

 

リキ君


遅めのランチ

2015-01-28 10:34:56 | 甘味処/cafe

 

 

 

 

ランチタイムに入店したので店内は満席でした。

ピザトーストとツナサンドのセットを注文しましたが、コーヒーは

目の前でサイフォンから注いでくれます。

コーヒーは専門店だけあって美味しかった。

 

料金      ピザトーストセット    890円(税込)

         マグロツナセット     860円(税込)

住所      札幌市厚別区厚別中央2条5丁目サンピアザB1F

電話     011-890-2328

営業時間  10:00~21:00


アサヒビール北海道工場見学 その4

2015-01-26 10:23:15 | まち歩き

 

工場見学を兼ねた「竹鶴政孝とリタ」パネル展。

当日はあまり天候が良くなかったのですが、マッサンについての

ミニ講座があると聞いて行ってきました。(要予約)

 

 

札幌市で唯一のビール工場。

発酵・熟成タンクの高さは18m、直径6m。タンク1本に300klのビールが入ります。

これを350mlの缶ビールに換算すると、約86万本で、毎日1本づつ飲んでいくと全部飲み干すのに

約2.400年かかるそうです。

 

当工場では、瓶ビールは製造しておりません。

5年前までは製造しておりましたが、北海道は瓶ビールの需要が少なく現在は缶・樽のみ製造

 

 

 

ゲストハウス

来場されるお客様を迎える見学受付があり、見学が始まるまでの

待合スペースになっている。

 

 

ギフトショップ

ノベルティグッズや食品など、アサヒビール工場ならではの商品を

多数揃えています。

 

 

煮沸釜

1989年まで実際に使用していた釜を展示しています。

美味しいビールを届けるため、選抜試験に合格した「パネリスト」と

呼ばれる専門家が、実際にビールを飲む「官能検査」を行っています。

検査は味覚が研ぎ澄まされる空腹時に、約1リットルのビールを試飲するそうです。

試飲は毎日1時間で、終わると元の職場に復帰します。

 

余談になりますが、元禄産業の創設者がアサヒビール大阪工場の

製造ラインのベルトコンベアにヒントを得て開発したのが、回転ずしの始まりです。

 

製造ライン、包装ラインは、撮影禁止になっているため映像はありません。

 

 

ゲストホール

広々とした試飲会場で、出来たての生ビールが楽しめます。

試飲時間は20分。お一人様3杯まで試飲できます。

今日は我々のグループの他に、韓国の観光客もきており、テーブルには

両国の国旗が飾ってありました。

 

 

 

アサヒスーパードライ

美味しくいただきました

 

 

リタハイボール

すっきりした味わいのウイスキーに、ソーダとリンゴ果汁を

加えた缶入りハイボール。

果汁:1%  アルコール分:7%  品目:リキュール(発砲性)

 

 


アサヒビール北海道工場見学 その3

2015-01-24 13:21:08 | まち歩き

 

 

 

 

 

 

ドラマではマッサンとリタが二人で帰国したことになっていますが、

国際結婚を心配した摂津酒造の阿部社長がスコットランドまで来て、

三人一緒に帰ってきています。

 

当時、世界恐慌の中で摂津酒造はウイスキーを造る余裕がなくなり、

ウイスキー造りに夢を持つマッサンはやむなく辞表を出して退社。

その後、寿屋(現在のサントリー)の鳥居信治朗に招かれて、山崎蒸留所を

造るが最初の約束である10年が経過したため円満退社。

 

昭和9年(1934年)マッサンはウイスキーづくりの理想郷と考えていた

北海道余市町に蒸留所を建設

リタが英会話を教えていた縁で知り合った大阪の数名の出資者が

支援することになった。

リタなくしてニッカウヰスキーは存在しなかったと言われている。

 

ウイスキーは5年~10年ねかせなければならないので、その間の

資金確保のためリンゴ果汁の製造も手掛けることになった。

そのため当初は、社名も「大日本果汁株式会社」としていました。

しかしマッサンが無加水にこだわったため、1本造るのにリンゴ5個も

必要としたため高価なものになり、なかなか売れず苦労する。

 

昭和15年(1940年)ついに念願の第1号ウヰスキーが誕生しました。

当時は手づくりのミニクリスタル瓶で、ふたはその瓶しか会わなかった。

いまでも、ごく稀にススキノや銀座に置いているお店がある。

 

昭和27年(1952年)に社名をニッカウヰスキー株式会社に変更する。

この社名は前の社名「大日本果汁」の日(ニッ)と果(カ)を取っている。

 

昭和36年(1961年)、リタは64歳で亡くなった。

マッサンは日本に連れてこなければ、こんなに早く死ぬことはなかった

と自分を責め、悲しみにくれ2日間部屋を出てこなかったそうです。

そのため通夜には出ていない。

 

昭和54年(1979年)マッサンは順天堂大病院で85歳で亡くなっている。

亡くなる直前にキリスト教に入信し、妻のリタと共に北海道余市町に

埋葬されている。

 

世界のウイスキー品評会で、2012年に「竹鶴17年ピュアモルト」は

世界最高賞を受賞しています。

世界で一番ウイスキーを飲む国御存じですか。

インドだそうです。

 

 

 

 

 

 


アサヒビール北海道工場見学 その2

2015-01-22 10:14:47 | まち歩き

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マッサンは、摂津酒造の阿部社長の好意でサンフランシスコ経由で

スコットランドへ渡った。

 

ウイスキーの製法は門外不出のものなので、蒸留所の研修・実習に

なかなか入れてもらえず、ようやく三か所で実習が出来た。

写真やメモを取ることは禁じられていたので、白衣のポケットにメモ帳

をしのばせて、こっそり書き取っていたそうです。

 

40年間マッサンを支えたリタは一男三女の長女で、医師をしていた

父が早くなくなったため家は大きかったが家計は苦しかった。

妹のエラが通っていた大学で、マッサンが日本人だと知り、弟に柔道を

教えてほしいとお願いし、週1回稽古をつけてもらっている。

 

スコットランドではクリスマスに、プリンの中に六ペンス銀貨と指輪を

入れる慣習があった。

六ペンス銀貨を取った男は金持ちに、指輪を取った女性は良妻に

になるといった言い伝えがあり、このプリンが二人を結びつけるきっかけ

になったのではないかと言われています。

 

1920年に結婚しますが、周囲から猛反対されイレギュラーマリッジで

登記所で式を挙げています。