食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

パクス・ブリタニカの食生活-イギリスの産業革命と食(8)

2022-04-03 17:26:43 | 第五章 近代の食の革命
パクス・ブリタニカの食生活-イギリスの産業革命と食(8)
18世紀の後半から世界に先駆けて産業革命がイギリスで始まった結果、イギリスは飛び抜けた工業生産力を有する国へと成長しました。例えば、1870年頃には世界の工業製品の約30%をイギリスが生産するまでになっていました。

イギリスで生産された様々な製品は世界各国に輸出されたことから、イギリスは「世界の工場」と呼ばれるようになります。

このようにイギリスが貿易大国として大躍進した理由として、工業力の発展に加えて海軍力の強大化があります。イギリスは高い経済力と工業力を駆使して多数の軍艦を建造し続け、世界一の海軍を作り上げました。19世紀末にはトン数換算で世界全体の約8割に達する軍艦を所有していたと言われています。この強大な海軍力を用いて世界中の制海権を獲得し、各国との貿易を有利に進めたのです。

こうして19世紀はイギリス(大英帝国)を中心に比較的平和な世界が維持されたことから、「パクス・ブリタニカ(イギリスによる平和)」と呼ばれることがあります。この呼び方は、かつてローマ帝国が広大な領土からなる大帝国を建設し、「パックス・ロマーナ」と称したことになぞらえたものです。

今回は、パクス・ブリタニカにおけるイギリス人の食生活について見て行きます。

***************
イギリスは厳格な階級社会と言われている。そこで、最初に19世期のイギリスにおける階級について見て行こう。

イギリスの上流階級には貴族ジェントリと呼ばれた地主がいた。19世紀のイギリスには300~500家ほどの貴族がいて、彼らの所有地はそれぞれ1万~5万エーカーほどだった。1エーカーは約4000㎡なので、40k㎡から200k㎡の土地を所有していた計算になる。一方、ジェントリは4000人弱で、所有地は1000~1万エーカー(4~40k㎡)ほどだった。

貴族とジェントリは地代から主な収入を得ていた。地代収入は1エーカー当たりおおよそ1ポンドだった。当時の1ポンドは現在の1~5万円と言われていることからすると、少なく見積もっても小貴族で年収1億円以上、小地主のジェントリで年収1000万円以上になる。

貴族とジェントリはそれぞれの所有地に邸宅を建てて、普段はそこで生活をしていた。邸宅にはたくさんの使用人(召使い)がいて、身の回りの世話は全部やってくれた。また、貴族とジェントリは議員でもあったため、議会のあるロンドンにも邸宅を構えていて、議会の間はそこで過ごした。

次の階級の中流階級は裕福な上位層とそれほど豊かでない下位層に分けられる。上位層には、資本家や医者、法律家、高級官吏、聖職者、教師、軍の士官などが含まれていた。下位層には、下級官吏、会社員、商人などがいた。

なお、中流階級でも一定以上の土地を購入して地主になれば、ジェントリや貴族になることができた。その点でイギリスの階級制度は比較的オープンであり、これがイギリス社会の活力を生み出していたという指摘もある。

上位層でも下位層でも中流階級と呼ばれるためには使用人を雇う必要があり、上位層では最低でも3名の使用人が必要だった。料理や洗濯などは、労働者が行う下賤な作業と考えられていたからだ。また、馬車も必須で、豊かになった19世紀のイギリスでは馬車の数が急増した。

下流階級はいわゆる労働者階級で、人口の大部分がこの階級に含まれていた。労働者たちは、19世紀の前半まではかなり貧しい生活を送っていたが、19世紀後半になるとパクス・ブリタニカの恩恵にあずかり、他の国々の労働者に比べて豊かな生活を送れるようになったと言われている。

それでは、19世紀の各階級の食生活について見て行こう。

イギリスの食生活は、18世紀に入るまでは上流階級でも国内で生産される作物や家畜の肉、そして漁や狩りで得られる魚介類や鳥獣の肉などを使用した質素なものだった。その理由の一つに、プロテスタントには質素な生活が推奨されていたことがあった。

ところが18世紀になってイギリスの海外進出が盛んになると、香辛料や砂糖、紅茶などの海外産の食品・飲料品が国内に流通するようになり、これらが食事で大量に使用されるようになった。しかし、19世紀には新鮮で高品質の食材が出回るようになり、次第に香辛料の使用量は減って行ったという。

なお、1772年には複数のスパイスを使用したインドの「カレー」がイギリス国内に紹介され、19世紀初めには手軽に利用できる混合スパイスのカレーパウダーの販売が開始された。

また、18世紀から上流階級を中心にフランス料理イタリア料理がよく食べられるようになった。また、ワインもよく飲まれるようになった。シンプルなイギリス料理に代わって、フランス料理のように手の込んだ料理が好まれるようになったからだと考えられている。

イギリスでは下の階級の人々は、上の階級の生活様式を真似ることが伝統的に行われてきた。19世紀の中流階級では住宅や使用人に多額の費用をかける必要がなかったので、食事では上流階級と同じようなものを食べることができた。

上流階級と中流階級の食事の大きな違いが、狩猟で得た肉を食べるかどうかだった。古くから狩猟は貴族やジェントリなど上流階級の最大の娯楽で、狩りで得た鳥獣の肉が最高のごちそうだったのだ。なお、上流階級の狩りは頻繁に行われたため、19世紀中頃には獲物を育てる鳥獣管理人が3000人ほどいたと言われている。

下流階級の食の中心はパンジャガイモで、これらを紅茶やスープ、ミルクと一緒に食べるのが一般的だった。また、エンバクのかゆ(オートミール)もよく食べられていた。タンパク源としては、チーズやソーセージ、ベーコン、牛肉や羊肉、ニシンやタラ、ウナギなどが定番だった。ただし、これらは比較的高価だったので、多くは食べられなかった。

労働者によく利用された売店にホットパイ・スタンドがあった。パイと言っても甘いお菓子ではなく、中に羊肉や牛肉などが入ったものが売られていたのだ。

1860年代になると、ホットパイ・スタンドでイギリス名物の「フィッシュ・アンド・チップス」が売られるようになり、大人気を博するようになる。これは、タラなどの白身魚のフライに棒状のポテトフライを添えたもので、当時も今と同じで酢をかけて食べるのが一般的だった。

通常サイズのフィッシュ・アンド・チップスは、大人一日の必要カロリーの3分の1ほどをまかなうことができ、味も良かったため一般庶民にも欠かせないものになって行く。


フィッシュ・アンド・チップス(kirstiecoolinによるPixabayからの画像)

ちなみに、19世紀に蒸気式トロール船や鉄道網が発達したことによって、北大西洋などで獲れた魚を大都市に迅速に運ぶことができるようになったことが、フィッシュ・アンド・チップスが広まる要因になったと言われている。

現在のイギリスには約8500のフィッシュ・アンド・チップスを売る店があるそうで、マクドナルドの店舗数が約1300店舗であることを考えると、フィッシュ・アンド・チップスの人気のすごさがよく分かる。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。