食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

古代インドの歴史の概略-古代インド(1)

2020-09-14 17:30:52 | 第二章 古代文明の食の革命
2・5 古代インド(古代南アジア)の食
今回から古代インドの食です。

古代インドの歴史の概略-古代インド(1)
世界史で「インド」と言う場合には、現在のインドにパキスタン・バングラデシュ・ネパール・スリランカなどを含んだ「南アジア一帯」のことを意味している。この中で歴史的に特に重要なのが次の地域だ(下図参照)。



①パンジャーブ地方(インダス川上流域)
②ガンジス川流域
③南インド地方

インド統一と言う場合には3つの地域を全部支配することを意味するが、それぞれの地域は独立性が高く、独自の歴史を経てきた期間が長い。

ここで、古代インドの歴史を概観すると次のようになる。

・インダス文明:紀元前2600年頃~前1800年頃
・アーリヤ人の侵入:紀元前1500年頃から
・都市国家の形成:紀元前6世紀頃
・アレクダンドロス大王の進入:紀元前4世紀後半
・マウリヤ朝:紀元前317~前180年
・諸国分裂:紀元前2世紀~紀元後3世紀頃
・クシャーナ朝:1世紀中頃~4世紀
・グプタ朝:320~6世紀中頃

紀元前2600年頃からパンジャーブ地方を含むインダス川流域では青銅器を使用する「インダス文明」が栄えた。この文明ではハラッパやモヘンジョダロの遺跡が有名である。インダス文明は紀元前1800年頃に衰退するが、その原因は分かっていない。

紀元前1500年頃になると、中央アジアからインド=ヨーロッパ語族の遊牧民であるアーリヤ人がパンジャーブ地方に進入を開始した。アーリヤ人は進入した土地で先住民と交わり、農耕民族に変貌していった。先住民はドラヴィダ人と考えられており、現在では南インド地方に多く住む民族である。

紀元前1000年頃になると、アーリヤ人はより肥沃なガンジス川上流域にも進出する。アーリヤ人が進入した地域では、バラモン(司祭)・クシャトリア(武士)・ヴァイシャ(農民・牧畜民・商人)・シュードラ(隷属民)という4つの身分に分けられたヴァルナ制と呼ばれる観念が生まれた。そして、ヴァルナ制を基にしてカースト制度が長い時間をかけて作り出されていく。

紀元前6世紀頃になると政治と経済の中心はガンジス川中・下流に移動し、城壁で囲まれた都市国家がいくつも生まれた。都市国家同士は激しく競い合い、勝ち残った国は他国を併合して領域国家へと成長する。このような争いの中で、仏教やジャイナ教などの新しい宗教が生まれた。

紀元前4世紀後半になると、ギリシア・マケドニアのアレクサンドロス大王がパンジャーブ地方に侵攻する。マケドニアの支配は短期間に終わったが、これをきっかけにインドに国家統一の気運が生まれた。その結果登場したのがインド最初の統一国家であるマウリヤ朝である。マウリヤ朝の最盛期を築いたのがアショーカ王で、彼は仏教を篤く保護した。

紀元前2世紀頃にマウリヤ朝が衰退すると、インドは小国に分裂し、抗争を繰り返すようになる。また、パンジャーブ地方にはギリシア人やイラン人などが相次いで進入した。そして、この地域で力をつけたイラン系のクシャーン人がインド北西部にクシャーナ朝を建てる。同じ頃に南インド地方では、サータヴァーハナ朝がオリエントやローマとのインド洋交易によって繁栄していた。その遺跡からは大量のローマ金貨が発見されている。

クシャーナ朝はササン朝ペルシアの侵攻によって次第に衰退した。次いで、4世紀にガンジス川中流域に興ったグプタ朝はインドのほぼ全域を支配することになる。グプタ朝ではバラモン(司祭)の影響力が復活し、また、民間の宗教から徐々に形成されていたヒンドゥー教が社会に定着するようになった。


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