ジャガイモ飢饉-イギリスの産業革命と食(7)
アメリカ合衆国には、先祖がアイルランド出身のアイルランド系アメリカ人(Irish American)がたくさんいます。自らの出自がアイルランド系であるという意識が高い人は多く、一説によると、約1割のアメリカ人が自分のことをアイルランド系と考えているそうです。
アイルランドは、イングランド・ウエールズ・スコットランドがあるブリテン島の西隣の島で、1649年から1920年代までイギリス(イングランド)の支配を受けていました。このため、アイルランドからイギリスの支配であった北アメリカなどに移住する人が多くいました。特に1840年代後半にアイルランドで「ジャガイモ飢饉」と呼ばれる大飢饉が起きると、数百万人のアイルランド人が北アメリカに移住しました。
アイルランド人はイギリス(イングランド)人とは異なり、カトリック教徒であったことや、イギリスに支配されていたことから、初期の移民はアメリカでさまざまな差別を受けました。そのため、危険な職業である警察官や消防士、軍人などになるしかなかったそうです。また、ギャングなどの犯罪者になる者も多かったようです。レオナルド・ディカプリオ主演の映画『ギャング・オブ・ニューヨーク』は、このようなアイルランド出身の若者たちの姿を描いています。
その後、アイルランド出身の人々は南北戦争で勇敢に戦ったり、警察官や消防士の仕事を真面目にこなしたりしたため、次第にアメリカ社会に受け入れられるようになります。
また、アイルランド系アメリカ人の数が多いため選挙で有利だったことから、政治の世界に進出する人も出ました。例えば、ジョン・F・ケネディのケネディ家はアイルランド系の政治家の一族として有名です。また、現在の合衆国大統領ジョー・バイデンもアイルランド系アメリカ人です。
今回は、大量のアイルランド人の移民の原因となったジャガイモ飢饉について見て行きます。
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19世紀のアイルランドは事実上イギリスの植民地であった。アイルランド人のほとんどはカトリック教徒だったが、アイルランドが植民地化される時に彼らの土地は没収され、イギリス在住あるいはイギリス出身の地主が所有するようになった。そして、カトリック教徒は、地主に家賃を支払うことを強いられる小作人として働かされるようになったのだ。また、アイルランドのカトリック教徒は、1829年まで土地の所有や投票、公職への就任が禁止されていた。
イギリスでは産業革命によって工業化が進んでいたが、アイルランドでは工業化はほとんど行われず、イギリスにとっての食糧生産地とみなされていた。すなわち、アイルランドではコムギなどの栽培と牛などの飼育が盛んだったが、穀物の4分の1と家畜の大半はイギリスへ輸出されていたのだ。
一方、貧しい小作人たちは主にエンバクを食べていたが、次第にジャガイモを主食とするようになった。ジャガイモは16世紀末にアイルランドに持ち込まれたが、アイルランドの気候や土壌に合っていたことと、ジャガイモ栽培には地代がかからなかったことから、盛んに栽培されるようになったのだ。こうして19世までには、貧しい小作人たちは、必要とされるカロリーの80%以上をジャガイモから摂るようになったと推測されている。
アイルランドのジャガイモは「ランパー」と呼ばれる一品種しか栽培されていなかった。ランパーは少ない肥料でよく育つからだ。しかし、このようなモノカルチャーでは、ひとたび病気が発生すると壊滅的な被害に至ることが多い(ジャガイモの原産地のアンデス地方では、1つの畑にいくつもの品種を混ぜて栽培する習慣がある)。果せるかな、アメリカ大陸で感染が広がっていたジャガイモ疫病が1845年にヨーロッパにも上陸したのだ。
この疫病の原因はフィトフトラ・インフェスタンスという真菌(酵母やカビなどの仲間)で、ジャガイモに感染すると、まず葉に斑点ができ、やがて黒くなる。次に、これが茎やイモ(地下茎)に広がってグニャグニャに柔らかくなり、さらに悪臭を発するようになるのだ。この真菌がランパーにとりついたのである。
ジャガイモ疫病の広がりによって、1845年のアイルランドにおけるジャガイモの収量は約半分に落ち込んだ。さらに翌年には、約9割のジャガイモが疫病にやられてしまう。1847年は少し持ち直したが、1848年には再び深刻な被害を受けることとなった。
このような深刻な状況でも、アイルランドからの穀物や家畜の輸出は止まらなかった。また、イギリス政府は救済策を講じず、民間の慈善団体だけが頼りだったが、商人たちは食糧を買い占め、それを慈善団体に高く売りつけたという。また、オスマン帝国(現在のトルコ)のスルタンが多額の支援を申し出たが、イギリス女王のメンツがつぶれるという理由から、その申し出は拒絶された(それでも食糧の輸送は強行したらしい)。
その結果、アイルランドでは大規模な飢饉が起こる。さらに、食糧不足によって体力が低下した人々の間でチフスやコレラ、赤痢などの伝染病が流行した。こうして約150万人が死亡し、約100万人が国外に脱出したと言われているが、これはイギリスが発表した数字であり、実際はもっと多かったと考えられている。
このように、アイルランドのジャガイモ危機は人災の面が強いと解釈されている。これが後のアイルランドとイギリスとの紛争の原因の一つとなっている。
アイルランドのジャガイモの収穫が回復したのは1852年のことである。