食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

ゲルマン民族の大移動(2)

2020-07-24 23:30:16 | 第二章 古代文明の食の革命
ゲルマン民族の大移動(2)
ここで、ゲルマン民族の大移動に至る前のローマ帝国の内情についてまとめておこう。
以前にお話ししたように、マリウス(紀元前157~前86年)の兵制改革によって土地を失った無産市民が兵士として雇用されるようになっていた。彼らの武器と日々の食料は将軍から与えられとともに、戦争で勝ち取った土地と戦利品はおこぼれにあずかることができたため、彼らは将軍の下で一致団結して一生懸命戦った。この結果ローマ軍は強くなったわけだが、彼らの忠誠心は国ではなく、彼らを率いる将軍に対して向くようになってしまった。つまり、将軍の私兵軍と呼べるものになっていったのだ。

ところで、ローマ市民(ローマ市民権を持っている者)には食べ物が保証されていたので、ローマ市民でない多くの者がローマ市民になりたがっていた。奴隷は頑張って仕事をこなして解放されるとローマ市民権を得ることができた。ちなみに、女性の奴隷は主人との間にたくさんの子供を産めば解放されたという。また、大金を積めば市民権を買うこともできた。

一方、初代皇帝のアウグストゥス(在位:紀元前27~西暦14年)は軍隊を強化するために、誰でも兵役に付くと除隊後にローマ市民権を与えることにした。また、特に戦功があった者は、除隊前にローマ市民権を得ることができた。この結果、市民権欲しさに多くのよそ者が兵士(傭兵)になったという。実は、ローマ軍を破ったゲルマン人の将軍アルミニウスはこうしてローマ市民権を得た後にゲルマニウムに戻り、ローマ軍と戦ったのである。

このように、人種に関係なく役立つ者にはそれなりの待遇を与えるというのがローマ帝国のやり方だった。言い換えるとローマ人は現実主義者であって、より良い生活をするために最適と思われる行動を取っていただけである。それはゲルマン人も同じことで、良い就職口だったのでローマの兵士(傭兵)になったのである。このため、アルミニウスのようにローマに対する忠誠心は低かったと考えられる。

西暦212年にはカラカラ帝(在位:209~217年)がローマ帝国内のすべての自由民にローマ市民権を与える勅令(アントニヌス勅令、アントニヌスはカラカラの本名)を出した。この勅令の意義については、皇帝の権威を示すためなどいろいろ言われているが、この頃には市民権を持ったローマ市民がたくさんいて市民権の価値が下がっており、この勅令の影響力はあまりなかったようだ。逆に、養わないといけない市民が増えたことによって、国の負担は増えてしまった。

この状況で北半球で広く寒冷化が起こり、食料生産が滞るようになる。