食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

古代ローマ人の食事(6)酒宴「コーミッサーティオ」

2020-07-08 17:40:12 | 第二章 古代文明の食の革命
古代ローマ人の食事(6)酒宴「コーミッサーティオ」
ケーナの後にはしばしば「コーミッサーティオ (comissatio)」と呼ばれる飲酒パーティーが開かれた。これは古代ギリシアの「シュンポシオン」を取り入れたもので、ソラマメやフルーツ、お菓子などの軽食を食べながらワイン(古代ローマ人は白ワインを好んで飲んだ)を飲み、おしゃべりや遊びを楽しんだ。徹夜して飲む場合には途中でお腹がすくので、夜食(ウェスペルナ)が出されることもあったようだ。
*シュンポシオンはこちら⇒古代ギリシアの宴会「シュンポシオン」

ケーナには男性付き添いのもとで女性も参加できたが、コーミッサーティオの参加者は通常は男性に限られていた。ただし、女性の楽器演奏者やダンサー、そして高級売春婦(hetaeraeと呼ばれた)も参加することがあった。

コーミッサーティオを始める前に服(トガ)が汚れている場合は着替えて手を洗った。そして香水をつけて、ユピテル(ギリシア神話のゼウス)を象徴する樫の冠やバッカスを象徴するブドウやツタの冠、もしくはバラなどの花の冠をかぶった。香水やこのような冠には悪酔いを防ぐ力があると信じられていたからだ。なお、ローマの守護神はユピテルで、ローマの中心にはユピテル神殿があり戦いの神として崇められていた。

ギリシアのシュンポシオンと同じように、ローマ人もワインを水と混ぜて薄めてから飲んだ。水以外には、オーテプセ(写真)と呼ばれた専用の器具で温めたお湯や、ローマから30キロメートルほど離れたペンニクル山から運んできた雪がワインを薄めるのに使用された。この雪は冬に運ばれてきて雪蔵の中で保存されていた。古代ローマでは雪で冷やして作ったアイスクリームを暑い日に食べるのが人気だったという。

   オーテプセ

ギリシアでは大きなクラテールという容器でその日に飲む分のワインが水と混ぜられたが、ローマでは小ぶりのカップでこまめに混合が繰り返された。いろいろな種類の酒が飲みたかったのだろう。

コーミッサーティオが始まると、まずレックス・ビベンティと呼ばれる進行役がサイコロで決められた。この進行役がワインを薄める割合を決めるとともに、どのような飲み方をするかとか、どのような遊びをするかなどを決めた。コーミッサーティオでは、一つの酒盃を順番に回して、参加者全員が同じ量のお酒を同じ回数だけ飲んでいくのが普通だった。レックス・ビベンティが参加者の中から一人を選び、その人の名前の文字の数だけ乾杯を繰り返すということがよく行われたようだ。

コーミッサーティオでもケーナと同じように、ソファに寝転がって酒を楽しんだ。飲むときにワインが床にこぼれることも多かったが、これは死者への捧げものの意味があった。実は、邸宅の食事室の地下はお墓になっていたという過去があり、死者は地下で生活していると考えられていたのである。食べ物も床に落ちると死者のものとなり、拾うのはタブーとされた。床がワインでびしょびしょになって来るとおがくずがまかれて、最後に食べ物と一緒に集められて捨てられた。

進行役のレックス・ビベンティは場を盛り上げるために、出席者の様子を見ながらその場にふさわしいおしゃべりのテーマを工夫しなければならなかった。古代ローマの著述家のプルタルコス(西暦46年頃~127年頃)によれば、「ニワトリと卵はどちらが先に生まれたか」「人は秋になると食欲が出るのはなぜか」などが話題に上ったらしい。ちなみに秋に食欲が出るのは、涼しくなったことで食事をした後に起こる発熱(食事誘導性熱産生と呼ばれる)によって体にダメージが出なくなり、そのことを脳が察知して食欲を増進させるからである。

コーミッサーティオではおしゃべり以外に、歌を歌ったり、詩を朗読したり、ボードゲームをしたり、賭博を行ったりもした。また、曲芸師や音楽家、ダンサー、役者などを呼んで芸を披露してもらったり、剣闘士に模擬試合をやってもらったり、ライオンやヒョウなどの猛獣を見たりしたようである。このように客に珍しい体験をさせて自分の権威を示すのがコーミッサーティオの目的の一つであり、古代ローマの重要な社交行事だったのだ。