あくまで本人の意思
終末期にあって延命治療を続けるか否か。このとき本人自筆の宣言書がある場合はいいでしょう。それがないときは、本人に代わって家族が判断しなくてはならないのですが、それは決して家族のみの判断であってはいけないのです。あくまで本人の日ごろの言動から、本人の意思を推察したうえでの決断でなければならないのが原則です。
親族が一致して「本人はこういっていた」と証言してくれれば問題はないのですが、1人2人の家族の記憶だけでは、“本人の意思が確認できた”とはいいがたいでしょう。
前にもいいましたが、最近になって(2012年、民主党政権のころのことです)、①患者がもはや回復しえない「終末期」にあって、②二人以上の医師による判定があり、③延命治療を希望しない意思が明らかな患者に対して、延命治療を始めなくても医師は責任を問われない、という主旨の法案も提出されようとしていました。
しかしその後政権が変わり、また「難病の患者等が自ら尊厳死を希望するよう迫られる恐れもある」という反対意見もあって、法律の成立にはまだまだ紆余曲折があり、時間もかかるでしょう。
それからこの法案にしても家族のみの判断ではだめなのです。だから法的に厳密に考えると、20年前の私の義父の場合は、今はもちろん、たとえ上記の法案が成立した後であっても、問題なしとはいえないのです。
また終末期患者の呼吸器を止めた医師が殺人罪に問われるのも、多くはこのためです。 (人生の終章を迎えて…52)に続く…