徘徊オヤジの日々是ざれごと

還暦退職者が、現在の生活と心情、そしてちょっとした趣味について綴ります。

あらしの夜明け・・・26(第2章・・・4)

2014-02-27 08:53:57 |  (第2章 新たな移住者)
 わしらの村は高台にあるが、やつらが働くのは海辺とあたりの低地に限られていて、互いの活動範囲が重なることはなかった。

 もっともこまったのは、わしらがこれまで海への出入り口としていた浜辺を失ったことだ。だがやつらはそこで貝や海藻をひろって、近くの岩場でつりをするくらいで、もぐって魚をとることはしない。つりでとれる魚など多くない。

 わしらはこれまで使っていた浜辺をやつらにゆずって、少しはなれた浜から舟を出し、海の幸を得ることにした。いくぶん不便になったが、収穫がへることはなかった。

 狩りも得意ではないらしい。男たちが森へ入っていくこともまれだった。

 そのかわり、草地をたがやして育てた作物を大事にして、夏にうえたというのにぐんぐん育って、秋にはもう収穫していた。

 山に入って木の実をとることもあったが、それも多くはない。だからわしらが狩りの獲物や山の幸を失うことも多くはなかった。

 若者たちも、何とかこのくらいならとがまんしていた。しかしそれも秋までだった。

(あらしの夜明け…27)に続く…

あらしの夜明け・・・25(第2章・・・3)

2014-02-25 09:33:50 |  (第2章 新たな移住者)
 わしらの村は全員で60人だ。そこへ一度に40人もの言葉も通じない人間がやってきたのだ。これまでわしらが自分たちのものと思っていた浜辺やあたり一帯がみなやつらのものになってしまった。浜で貝をひろうことも、つりをすることもできなくなった。

 なかには血気にはやって、やつらを追い出そうという若者もいた。だがわしらは若者らを押しとどめた。

 やつらがどこからきたかは知らぬが、おそらくこれまで住んでいた地を追われて、必死の思いであのあらしの海をこえてやってきたのだ。帰れといわれて簡単に帰るわけにはいかないだろう。はじめのうちは、そんなやつらに同情する気持ちもいくらかあった。

 しかし何より、わしらは年よりも子どもも含めて60人。やつらも子どもはいるが、ほとんどは元気いっぱいの若者や壮年の者だ。追いだそうとしたところで追いだせるものではない。力づくでは逆にわしらが追いだされてしまうだろう。

『こうなった以上、いっしょにこの地に住むしかない』とわしらは若い者をなだめた。

(あらしの夜明け…26)に続く…

十勝の里山をあるく・・・61

2014-02-22 09:04:52 | 十勝の里山をあるく
音更町・十勝川温泉北方

 冬はあたり一面雪におおわれ、除雪されていない道などいたるところにあって、どこでも行けそうですが、案外そうでもありません。その理由の一つに駐車スペースの問題があります。

 夏場なら道路端にちょっとスペースがあれば停められるのですが、冬場は道幅がせまくなっていて、気軽に道端に停めるというわけにはいきません。必然的にウォーキングは車を停められるところから出発して、また戻ってくるという形になります。

 この日は十勝川温泉街を望む展望台に駐車し、温泉街とは反対側の士幌川の支流・アサヒザワ川に沿った道をスノーシューを用いて歩いてきました。

 途中までですが、こんなところにも除雪用のブルトーザーが入っていて、また以前は畑だったところに太陽光発電パネルがたくさん設置されていて、おどろきました。


展望台からの風景


アサヒザワ川に沿った道


たくさんのソーラーパネル


←2万5千分の1地形図「十勝川温泉」より

←このあたり

人生の終章を迎えて・・・104(第6章・・・8)

2014-02-20 09:14:28 |  (第6章 死を目前にしたら)
放置しておけない重大な問題に

 昔は、人は要介護の状態になったら早期に逝くことができたので、そうなったときのことなど考えなくてもよかったのです。しかし現在の日本では、好むと好まざるとにかかわらずかなりの期間この状態ですごさざるをえないので、今では放置しておけない重大な問題になっています。

 高齢になっても、老人にまだ自力で何かを行うだけの力があるうちは、そして「これがしたい、あれをやらねば」という思いさえあれば、少なくともそれに取りかかるくらい(完成までいかなくても)はできるでしょう。

 しかしどんなに強い思いと意志を有していても、そしてどんなに健康に留意していても、いつかは(どうやっても能動的に何かを行うことなどできなくなる)ときがきます。なかには「おれは死ぬときはコロッと逝くから」といっている人もいます。

 平安時代末期の僧侶で歌人の西行法師は、「願わくは花の下にて春死なん、そのきさらぎの望月のころ」と詠み、そのとおりに入滅したといいます。しかしふつうは望むときに望むように往生できる人はまずいません。  (人生の終章を迎えて…105)に続く…

人生の終章を迎えて・・・103(第6章・・・7)

2014-02-18 08:36:44 |  (第6章 死を目前にしたら)
せめて自分だけでも

 日本尊厳死協会副理事長で積極的に在宅医療を実践している長尾和宏医師のもとには、「延命治療を止めてくれない」という(家族からの)相談ばかりが全国からたくさん寄せられているといいます。

 以前にも述べましたが、現在の日本では、家族の希望のみで延命措置を中止すれば(原則的には)実行した医師が処罰されます。つまり日本では、本人が何の準備もしないまま終末期を迎えると自動的にこうした延命治療がなされ、いくら家族が止めてくれといっても、医師としてはおいそれと中止するわけにはいかないのです。

 しかし本人の事前の了承もしくは希望(つまり尊厳死の宣言書)があれば話は別です。「こういう治療は拒否します」という患者自身の意思がはっきり確認できれば、(エホバの証人信者への輸血の場合と同じく)医師が無理やりそうした治療を行うことはできません(今はまだ判例の段階で、はっきりした法律になっているわけではありませんが)。

 正直いえば、他の人がどんな死を迎えようが私には関係のないことです。医者として働くことも辞めたのですから、この先仕事でそうした人々と接する機会もないでしょう。また家族としてそんな場面に立たされる可能性も高くはないでしょう。

 だからいま私は自分のことだけを考えればよい立場です。他人のことはいざ知らず、私はせめて自分だけでもこうした医療を受けたいと願っています。そのために、先のように改定した尊厳死の宣言書を用意しておこうと考えているのです。  (人生の終章を迎えて…104)に続く…

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 本欄「人生の終章を迎えて」における記事はすでに100回を超えました。筆者としては通して見ていただきたいのですが、これでは、はじめのころの記事を表示させるのはとても大変です。
 このためもうお分かりと思いますが、左に記載したように、内容に応じてサブタイトルをつけて、第1~第6章まで6つのカテゴリーに分割することにしました。
 また「あらしの夜明け」についても同様にしました。