徘徊オヤジの日々是ざれごと

還暦退職者が、現在の生活と心情、そしてちょっとした趣味について綴ります。

北海道の里山をあるく・・・1

2014-04-30 15:32:23 | 北海道の里山をあるく
 これまで「十勝の里山をあるく」と称して、私のまったく個人的な興味で、あまり知られていないけれど、とてもすてきな場所(と私は思っている)がこの十勝にもたくさんあって、この場に紹介してきました。

 しかし私の里山歩きはときには少し遠くにまで足を延ばすこともあります。

 特に最近主たる居住地を札幌に移しつつあって、これからはそこを基点に、主に札幌周辺を歩くことになると思いますが、たまには泊りがけで他の地域にも行けないかもと考えています。

 しかし管外での活動を「十勝の‥‥」に記載するわけにもいかず、新たなカテゴリー「北海道の里山をあるく」を設けて、これまで同様に紹介していきたいと考えています。

 また十勝ではほとんど車で現地まで出かけていたのですが、札幌ではできれば車の運転はしたくないと思っていて、また幸い札幌では公共交通機関が発達しているので、バスや鉄道を利用することが多くなると思います。

 このためルートも、十勝では車なので出発地点に再び戻るしかなかったのですが、札幌ではバス停からバス停(あるいは駅から駅)の一方向になることも多いと思っています。

 それからこれまでは主に私が地図上から探し出した地点を訪れ、ここに紹介してきたのですが、札幌周辺にはすでに書物等で紹介されている箇所がたくさんあります。そうした記事を参考にして現地を訪れ、また別の角度から本ブログ上に紹介することも多いと思います。

あらしの夜明け・・・32(第2章・・・10)

2014-04-15 06:24:54 |  (第2章 新たな移住者)
 そして使いの者はつづけた。

「この村は大きい。そしてわしらの村とは古くからの盟友だ。たのむ、わしらを助けてくだされ。このいくさにはわしらの存亡がかかっておるのじゃ。もしわしらが敗れたなら、それはすなわち、このカムエク村にも多大な影響を与えることになろう」

 2人は地面にひれふした。だれもが声も出せずに、その場はしんと静まりかえっていた。しばらくしてモノブが2人の手をとっていった。

「顔をおあげくだされ。わが村とニムシリ村とは古くから友好をあたためてきた。その村を見ごろしになどできるはずなかろう」

 そのあとすぐさま長老がいった。

「そのとおりじゃ。かつてわが村が洪水におそわれたときは、ニムシリ村からたくさんの食べ物をわけていただいた。あのときはどんなにありがたかったことか。わしはそのときの感謝の気持ちをわすれてはおらぬぞ」

「今、となりの村がたいへんな目にあっているというのに、どうしてわれらが放っておけましょう。これを見すごせば、われらの名がすたります」

 と別の年長の男もいう。それから若者を代表してグズリがいった。

「今すぐ村の男たちをあつめて援軍をさしむけましょう。 われらは白いヤリなどおそれはしない。われらが行ったなら、そんな異国のやつらなどけちらしてやる」

 このいさましい発言がその場にいる全員の気持ちを高ぶらせた。

「そうだ。われらの力と団結のかたさを見せてやる」

「大地を焼くなどもってのほかだ。そんなやつらには天罰が下ることを教えてやる」

 人々は口々にこういって、ときの声をあげた。

(あらしの夜明け…33)に続く…

あらしの夜明け・・・31(第2章・・・9)

2014-04-13 07:45:26 |  (第2章 新たな移住者)
 わしらは遺体をかついでやつらのところへいった。遺体を見ればやつらも少しは動じるのではないかとの思いからだった。だがやつらはいっさい取りあわずに、死んだ者が悪いといわんばかりだ。

 そしてまたあの白いヤリをもちだした。 信じられないことに、それからやつらは遺体ののどをヤリでつき、帰らないとこんな目にあうぞ、という風にわしらをおどした。一瞬わしらは自分たちの目をうたがった。

 一度神に召された者をさらに傷つけるとは、いったいどういうことだ。これでは死者はよみの国へいってもさらに苦しむことになるではないか。やつらがどんな神をまつっているかは知らぬが、死者を傷つけてよい神がいるとは思えぬ。やつらは神をもおそれぬまさにけものにもおとる者どもだ。

 わしらは口々にののしった。だがやつらはそ知らぬ顔をしているだけだ。しかたなく涙をのんで、遺体をまた村につれ帰って丁重にほうむった。これで決定的になった。あとは村をあげてのいくさしかない。村じゅうの者の意思がひとつになった。

 その日から毎日わしらは数人でやつらを見張っている。やつらも周囲の警戒をおこたらない。一触即発のにらみあいが続いている。相手はあの白いヤリをもっている。わしらの石のヤリではとうていたちうちできないだろう。それに何より戦力となる壮健な者の数もやつらの方がずっと多い。

 まともにたたかえば勝ち目はない。夜明け前にいっせいにおそおうという者もいた。だがこれは、やつらにかすみとられた天と地を、もとの持ち主にとりもどすための聖なるたたかいだ。そんなひきょうなことはできん。正々堂々とたたかって、やつらをこの地から追いだすのだ。

 そしてこの危機はニムシリ村だけのものではない。放っておくとやつらはどこまで勢力をのばすかわからん。あるいはまた別の船がやってくるかもしれん。

 やつらに対抗するには、わしらの村だけではなく、この地に住む者がみな心をひとつにすることだ。それだからスクどのは、わしらをこのカムエク村に使いにだしたのだ。

(あらしの夜明け…32)に続く…

老いの日々・・・9

2014-04-11 20:45:19 | 老いの日々
「人生の終章を迎えて」を終了して

 上記タイトルで長く連載していたが、ようやく終了した。始めたのが24年5月だから、2年近くに渡って続けていたことになる。

 ブログを始める前からある程度構想を練っていて、草稿も用意していたのだが、実際に登載を続けるなかで「これを書かねば、あれも載せなくては」とどんどんふくらんでいき、当初想定していたものの2倍以上になってしまった。

 この先自分の考えがまたどう変わっていくかわからないが、また他の人はどう考えているか知らないが(どう考えていようと)、ここには人生の終章を迎えるにあたっていま私が考えていることを、最大もらさず記したつもりである。

 ここでいいたかったことの要点は、「私は介護を要すようになってまで長生きしたくない。そのためには尊厳死の宣言書を準備しておくことが、今考えられる最も有効な手段だろう。しかし運悪く長期の介護を受けざるを得なくなったときは、早いうちに介護施設へ入所し、できればそこで最期を迎えたい」ということである。

 老いと健康の問題は、これから先の私の人生の中で最重要課題となっていくのはおそらく間違いないだろう。

 フランスの哲学者・ボーボォワールは、その著書『老い』の中で、たしか「むしろ老いたときのことなど考えずに今を生きることが大事だ」と語っていた、と記憶している。しかしこれは現役世代についていえることで、われわれの年代になると、それはすぐそこまで迫っていて、いくら考えまいとしても常に脳裏の一角を占めている。

 本欄は私にとっては老いについての4度目の特集といってよいのだが、あるいはもう何年かして、私が真に目前に死を意識するようになって、また別の考えにいたるときがくるかもしれない。そのときまた新たに発信しなければと思うようになり、そしてそのとき私にまだものを記すだけの知的能力と意欲が残っていて、いつか5度目の特集を表す日が訪れれば幸いである。 

十勝の里山をあるく・・・64

2014-04-05 05:54:10 | 十勝の里山をあるく
芽室町・剣山山麓

 冬の間は帯広近郊ばかりだったので、雪もとけて暖かくなってくると少し遠出がしたくなってきました。もっとも私の場合は、遠出といってもせいぜい車で1~2時間程度のところですが。

 芽室町新嵐山付近の地形図をながめていると、剣山山麓にぐるっと一巡りできそうなちょうどよい小道が目につきました。

 山の南斜面に沿っているので、雪が残っていたとしても大丈夫だろうと思って出かけたのですが、山に沿った道は進むにつれ残雪がどんどん深くなり、ついに進むのは断念し、かわりにもっと上方の道をいってみることにしました。こちらの道は冬の間除雪されていたのか(途中までですが)、意外と快適に歩けました。

 久々の山すその道でしたが、日差しは暖かく、草木はまだ芽吹いていませんが、もうすでに春の気配でした。


残雪多い山すその道


まぢかに迫る剣山


新嵐山の牧場


←2万5千分の1地形図「渋山」「上美生」より

←このあたり