様々な人生のイベントを終え、あと大きなイベントと言えば、自分の葬式ぐらいかなぁ、なんて考えていた。
いや、まだ子供達の結婚式と言う大イベントがあるか。しかし、いつになるのか分からないし、そもそも結婚するのかどうかも分からない。また、生きている内に見られるかどうか。明日何があってもおかしくない時代だ。
20代の頃は、自分の人生がどうなって行くか、確たるビジョンも無かったけど、来たる未来にワクワク感だけがあった。
そして、あっと言う間に何十年もの時を経て、今の自分があり。若い頃と違って、今は先の見通しが直ぐに立ってしまうので、ちょっとつまらない感じもする。
ブログを書き始めたのは、元々息子の勧めがあったからだ。
息子は高校生の頃からブログを書き始めていた。
彼は車と珍スポット、秘境に目がない旅行好き。
特にオタモイ海岸が好きで、「秘境オタモイ海岸」とググると筆頭に彼のブログが出てくる。
随分前から書くよう勧められていたにもかかわらず、なかなか始めることができなかった。
退職後に始めようと思っていた事もあるし、ネットの事が苦手という意識があったので、自分にはブログの敷居が高かった。
ある日スマホで検索をしていた時に、偶然出てきたブログを何気なく読んだ。
ブログは、その方が最近読んだという本の画像と共に、文章が綴られていた。
読んでみると、かなりご高齢の方らしく、入所している施設の風景とともに、静かな日々が感じられる文章だった。
それを読んで初めて「ご高齢の方も難無く出来ている。自分にもできるかも知れない」と強く感じた。
その方のブログを読んだその日に、何の計画性もなくブログを始めてしまった。
なんの為に書くか。
私の場合は思い出の整理だったかも知れない。
歳を取るにしたがい、記憶違いが生じ始めていることに気付いた。
中学校と高校の時のクラスメートがごっちゃになってしまう。「まずい」と思った。記憶違いは記録で正さなきゃ。
それと、自分の人生を振り返ってもみたくなった。特に父との日々を。愚かな子供だった自分を客観的に眺めて見たくもあった。
実は、その“愚かさ”は父の育て方から来たのでは無いかと、父を責めていた自分がいたのだ。けれども、ブログに思い出を綴るうち、父の育て方に原因は何一つ無かった。ただ、自分自身が真に愚かであっただけだった。それが判っただけでも、ブログを書き始めた意味はあった。
記憶を辿るという行為は、人生の後半部分に入った私には必要な事だったと痛感する。
子供が巣立つまで、必死でやって来た。巣立ってしまった後、一瞬戸惑ってしまった。人生のゴールじゃないけど、目標をそこにおいていた。
ゴールまで突っ走ってゴールのテープを切ったけど、まだコースは続いている。ゴールの無いコース。走る必要の無いコース。
そんな戸惑いの時期にブログを書き始めた。
子供だけを見て生活していた日々が終わりを告げ、今度は子供だった自分を振り返り始めた。
幼かった私にとっての激動の時代。
でも、思い返すと当時の生活の辛さよりも、夢見がちなあの頃のふわふわとワクワクした感覚だけが湧き上がった。サンタ・クロースを信じ込み、魔法を使えると信じていたあの頃。
書き始めの頃、込み上げるものを書き留めるのに時間が足りないぐらいで、今読み返すと、まとまりの無い文章だらけだ。
でも、文を書きながら思いついた絵を描くのも楽しく、ああ私はこんなにも「お絵描き」に飢えていたんだなと思った。
込み上げるものがひと通り出尽くして、これからどこまで書けるか分からない。でも、取り敢えず私の好きな日本のホラー「百物語」にあやかって、100話まで書けたらいいなあと思っている。