第二章 愛の学びの形 2-5
質問者。
「 人は、その大我をまこと失うことはない 」 とは、大我を 「 見失う 」 ことはあっても、完全に 「 失う 」 ことはありえないということですか。
昌清霊。
さようじゃ。 現世には、ほとんど小我に近い者もいる。 しかし大我は絶対に消えぬのじゃ。
ぬしらに、傲慢という影の話をしたことがあるな。 人の傲慢は影と同じで、どんなに消しても消えきらないものであると。 この話しの逆であって、光もまた、闇によって消そう消そうとしても、絶対に消えぬのじゃ。
むしろ、闇をすべて光に変えることはできる。 みずからが光になれば、闇はなくなり、すべて光に変わるのじゃ。 しかし光をすべて闇に変えることはできぬ。 人は神の粒子である以上、光を消そうと思うても、まったくすべて消すことはできぬのじゃ。
一点の光を闇が覆( おお )えば光は消える。 しかし、それは長く続かぬ。 なぜならば、大我を持つゆえ、苦しいからじゃ。 光、愛を消そうとすれば、大我、神我は苦しいのじゃ。
となれば、一点の光でもまた作ってしまうのが、これまた人の神性。 それが、落ちこぼれたとしても、人が天使であるゆえんなのじゃ。
――――――――――――――――――――――
人が 「 神の粒子 」 である以上、大我という光が魂からまったく消えうせてしまうことはない。
( 江原啓之 スピリチュアルメッセージⅢより )
質問者。
「 人は、その大我をまこと失うことはない 」 とは、大我を 「 見失う 」 ことはあっても、完全に 「 失う 」 ことはありえないということですか。
昌清霊。
さようじゃ。 現世には、ほとんど小我に近い者もいる。 しかし大我は絶対に消えぬのじゃ。
ぬしらに、傲慢という影の話をしたことがあるな。 人の傲慢は影と同じで、どんなに消しても消えきらないものであると。 この話しの逆であって、光もまた、闇によって消そう消そうとしても、絶対に消えぬのじゃ。
むしろ、闇をすべて光に変えることはできる。 みずからが光になれば、闇はなくなり、すべて光に変わるのじゃ。 しかし光をすべて闇に変えることはできぬ。 人は神の粒子である以上、光を消そうと思うても、まったくすべて消すことはできぬのじゃ。
一点の光を闇が覆( おお )えば光は消える。 しかし、それは長く続かぬ。 なぜならば、大我を持つゆえ、苦しいからじゃ。 光、愛を消そうとすれば、大我、神我は苦しいのじゃ。
となれば、一点の光でもまた作ってしまうのが、これまた人の神性。 それが、落ちこぼれたとしても、人が天使であるゆえんなのじゃ。
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人が 「 神の粒子 」 である以上、大我という光が魂からまったく消えうせてしまうことはない。
( 江原啓之 スピリチュアルメッセージⅢより )