つい先日 横尾忠則さんの ツイッターに 気になる言葉が記されていた。
「絵で言葉を 否定しようとしている。 美そのもので 言葉ではなく 哲学を語らせたいのだ・・・」
こんなことが書かれていた。
なるほどね。ボクは馬鹿だけど この言葉に今頃だけど ピントきた。(凄く遅い・・・とは思うけど)
ボクが写真を 選ぶともなく 写真にたどり着いた 理由は 確かにこの辺に 在った・・・ということを思い出させてくれたのだ。
ボクの育ての母親は 眼が不自由で、毎日行く銭湯にも ボクが手を引いて歩いた。 この母は目だけではなく 文盲でもあった。
だから当然本なんて読んだことはなかった。でも晩年は ラジオが彼女の最大の友で なんでもよく知っていたし好奇心も旺盛であった。
今になっては嘘か本当かわからないが、母は芸者であった・・・という話を もう何時であったかもわからないが、誰かが教えてくれた。
それっぽいカツラに着物をきた若き頃の母の写真を見たことがあるので 本当であったかも知れない。
学問はなくても 口が達者で、人の機微を察するに機敏で 気前がよく 明るかった。・・・だから 父が蒸発して貧乏の底にいた病弱な実母
を見かねて ボクを引き取って 育ててくれたわけだ。 ボクの前にも 後にも 何人も子供を預かって育てていたっけ。
そういう母に育てられたからか? 学問とかそんなことより 人情の機微を 察することの 大切さをボクは 自然に学んだ。
「機微を察する」には 子供のボクには 感覚がすべてであった。 その後大人になっていろいろな 理屈を聞かされたが
どれも 屁理屈で この感覚にかなうものは ないという確信に至っていた。
ボクの写真は その延長上にある。
「絵で言葉を 否定しようとしている。 美そのもので 言葉ではなく 哲学を語らせたいのだ・・・」
こんなことが書かれていた。
なるほどね。ボクは馬鹿だけど この言葉に今頃だけど ピントきた。(凄く遅い・・・とは思うけど)
ボクが写真を 選ぶともなく 写真にたどり着いた 理由は 確かにこの辺に 在った・・・ということを思い出させてくれたのだ。
ボクの育ての母親は 眼が不自由で、毎日行く銭湯にも ボクが手を引いて歩いた。 この母は目だけではなく 文盲でもあった。
だから当然本なんて読んだことはなかった。でも晩年は ラジオが彼女の最大の友で なんでもよく知っていたし好奇心も旺盛であった。
今になっては嘘か本当かわからないが、母は芸者であった・・・という話を もう何時であったかもわからないが、誰かが教えてくれた。
それっぽいカツラに着物をきた若き頃の母の写真を見たことがあるので 本当であったかも知れない。
学問はなくても 口が達者で、人の機微を察するに機敏で 気前がよく 明るかった。・・・だから 父が蒸発して貧乏の底にいた病弱な実母
を見かねて ボクを引き取って 育ててくれたわけだ。 ボクの前にも 後にも 何人も子供を預かって育てていたっけ。
そういう母に育てられたからか? 学問とかそんなことより 人情の機微を 察することの 大切さをボクは 自然に学んだ。
「機微を察する」には 子供のボクには 感覚がすべてであった。 その後大人になっていろいろな 理屈を聞かされたが
どれも 屁理屈で この感覚にかなうものは ないという確信に至っていた。
ボクの写真は その延長上にある。
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