拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  カミングアウトの年

2022年10月06日 | 娑婆惰罵駄(シャバ・ダバダ)

  スイスでは今年2022年1月1日より『性別変更手続きが簡略化』となり、以前は申請書類のほかに医学的証明、数万円の手数料であったのが

  『心と身体の性が一致しない旨を口頭で説明』し、75フラン(1万1千円)の手数料で役所で変更できるようになり、これまで毎年平均

  200人程度であったのが、今年は大幅に増加することが予想されているという。

 

  このニュースは今年初めにチラッと耳にした程度で別に気にもしていなかったのだが、初夏になって友人の息子(20歳)が性別を『女性』に

  変更する・・・という話を彼の母親から聞いたときは、本当に驚いた。

  彼を赤ん坊の頃から知っている身としては複雑な思いであり、そういう悩みを抱いていることに全く気付いてやれなかった事を

  今となっては残念に思うばかり・・・。といっても年に数回会う程度なのだから、本人から相談でもない限り解ることではないし

  問題がデリケートなので、両親である友人夫婦に根掘り葉掘り聞くわけにもいかず、20歳になった本人の意向を受け入れるのみ。

 

  爺となった自分としては、『性別』などどうでもいい…というのが本音であるが、20歳そこそこの青年ではその悩みは

  とてつもなく大きい問題であることは私でも想像できる。(と思う)

  以前にアイデンティティの確立という視点で『悟り』が持つ意味合い…のような記事を書いたが、こういった問題にたいしても

  『悟り』は有効であろうか? 性別問題は煩悩が極まったものであるから、臨済禅師のいう『無位の真人』、道元禅師のいう

  『身心脱落・脱落身心』状態になればこの悩みも深刻度が半減するような気はするが・・・。

                       

  実はカミングアウトするが、私は3歳ぐらいまで、女装させられていた。(育ての母が女の子が好き…という理由で)

  それで『立ちション』するものだから、『ええッ、お前は男か!』と、他のガキどもに私の大事な処を覗かれ、それがトラウマになっている。

       

  



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