拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

 亀の記憶 “トータルリコール”

2012年08月26日 | オレ的アングル
  昨日見た映画 「トータルリコール」レイ・ワイズマン監督は良かった。
  この映画は1990年にシュワルツネッガー主演のリメイクだそうだが そちらは見ていないので解らないが
  2012年版は SFファンのボクを大満足させてくれた。
  まさに息をつかせぬアクションの連続・・・というだけでなく 近未来の様子を垣間見るのがじつに楽しい。

  映画「ブレードランナー」の未来都市下町は ど言うわけか貧乏臭いところが面白く 究極の自由の雰囲気が
  アジア的混沌の街風になってしまうのか トータルリコールでも 原作者がおなじフィリップ・K・ディクのせいか
  ブレードランナーと同じような下町が出てきた。

  主演の男性コリン・ファレルの 妻の役ケイト・ベッキンセイルの執拗な追跡とアクションはなかなか
  そして彼女は実生活で監督のワイズマンの妻だそうだが、美人であんなに華奢なのに執念的アクションは凄い。
  それともう一人の女優ジェシカ・ビールには 東洋的雰囲気にあふれていたが インディアンの血が流れている
  からだろうか? 
  追跡アクションを見ているうちに 一人の男を巡って 2人の女が闘っているのではないか?・・・と錯覚してくる。
  元妻のポリスウーマンが 死に際に「愛してる・・・」とか何とか言うのではないか・・・という甘い期待はあっさり
  裏切られたが。

  ストーリーは語るつもりはないが、 支配者に記憶を奪われて おとなしく市民生活を営んでいるが、ある日・・・
  と云う感じの展開は 大好きな「マトリックス」と同じだ。
  
  先日読んだ 大江健三郎さんの本に ちょうどその事を書いた グランデという人の引用文があった。
  「権力を持っている強い連中のやり方は 忘れさせることだ・・・・その反対に記憶し続けること、覚えている
   ということが弱い民衆の武器なんだ。忘却を強いられる時 我々が抵抗する唯一の道は記憶することだ。」・・・


  そう考えてくると その記憶を喚起する役目をするメディアの働きが とても重要であるわけであるが 
  そのメディアが権力者側に立った時 我々弱者にとって 大変恐ろしいことになるわけだが・・・それが今の日本の現実なのだ。

        
             この写真は 21歳の時の自写像であるが、 撮った記憶がない・・・

  もう一つの視点 「亀の記憶」としてのトータルリコールも 面白いことが 出てきそうだ。
  僕自身は「亀の記憶術」を埋め込まれて生まれてきた 気がするので そこへの回帰としての “禅”が あったような・・・。
  つまり、 記憶を一切しない生き方 である。 だから 簡単に権力者に支配されてしまうという欠点があるものの
  本人は全く支配されている気はないという 暢気な生き方であるが・・・ダメかな?

  


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