彼岸・・・って聞くと、私ですら、なんか『年寄り臭い』・・・なんて、自分の歳を忘れて思ったりするんだから、今どきの人は
彼岸は『春秋の墓参り』ぐらいにしか思ってないに違いない。
彼岸に至ることを『到彼岸』といって、それが実は『摩訶般若波羅蜜多心経』の『偉大な智慧の完成』であることを知る人は少ない。
まぁ、宗派によってニュアンスが違うのだろうけど、禅宗では『到彼岸』は『悟り』である。
彼岸があるからには、その対岸は私達がいる『此岸』があるわけで、その間には河が流れている。その河の名前は?・・・聞いたことないが?
では・・・ということで、名前を馬骨風に考えてみて、 『無理河』(ムリカ)と河の名前を付けた。
何故なら、大半の人間はこの『此岸』までたどり着いても、河で隔てられ遥か遠くにみえる『彼岸』を見て、一言『無理か・・・』と諦める者
遥か遠くの『彼岸』を眺め、『無の理(ことわり)』と悟って、『無』になりきり、いつの日か渡ってしまう者・・・の二者があるのだから…。
湖岸で『瞑想』している人を、時々見かけるが、無意識に『到彼岸』を求めるのだろうか…
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