拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  『拈華微笑』考

2023年03月06日 | 東洋自分なり研究所

  『拈華微笑』のタイトルでブログを始めたのは、2009年頃であるから足掛け14年目を迎える。

  何故タイトルを『拈華微笑』にしたのか?・・・よくわからない。 多分、よくわからないのに重要な意味が秘められていると直感した事、

  象徴としてのSomething…が、視覚的にカッコいい・・・と思ったのだろう。

  その『よくわからない…』というモヤモヤの四文字熟語をタイトルにしてしまったから、自然私の愚脳にとって負荷(疑問=公案)となっていたか。

  根っから怠惰な質である私は、その問題を正面から受け止めず、時々猫がじゃれるように、猫パンチを横合いから入れている間に14年という歳月が流れた。

       

  今日もその猫パンチの一発として、『拈華微笑』が象徴するものを考察してみたい。

  象徴〜1 仏教史上、最初の公案であり、釈尊の最初の相伝の弟子の発掘となった事。

    〜2 『拈華』で不立文字・・・つまり以心伝心で相伝した事。

    〜3 『拈華』で、人は『悟りの華』を咲かすことを示した。

    〜4 『拈華』の華は『蓮華』で、煩悩の汚れを肥やしとして咲くことを示した。

    〜5 『微笑』によって、仏性が『絶対肯定』であることを示した。

    〜6 弟子による『微笑』は、釈尊の『悟り』が証された瞬間であった。

  ・・・目下のところ、私の理解はこんなものであろうか。

  そうそう、法華経に『常不軽菩薩』といって、釈尊の前世と言われているが、会う人全員に『貴方はいずれ仏になる人で尊い方です…』と

  説いて回ったそうであるが、『拈華微笑』は正にその精神の源泉のようなものでなかろうか。

 

          『 僧はただ 万事はいらず 常不軽 菩薩の行ぞ 殊勝なりける 』 良寛