拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  悲鳴の森

2022年01月28日 | 我が妻ニコル行状記

  こちらモルジュ市に移って、早5ヶ月。

  我がコックピットである書棚に囲まれた書斎にいる限り無次元であるから自分の現在位置というのはまったく気にならないが

  そこから一歩でると、自動なのかどうかこれといった暖房装置も無いのに常に19,5〜20度の室温を保ち、シャッターで遮るほど眩しい陽光が

  差し込む、シンプルなのに豊かさを感じさせる我がアパートに『へ〜っ』といまだに気付く如き心持ちになる・・・事が不思議。

 

  昨日の午前中は曇り気味の天気であったが、私はどうしてもモルジュ市の外れにあるレマン湖に水をそそぐ小さな川沿いの散歩道の

  未踏の部分を踏破したくなり相方とでかけた。

  川幅は2〜3mほどで、上流に沿って続く細い道は曾ては原生林であったことを偲ばせ、街の中心地から徒歩で30分のところとは

  思えない野趣に富んだ新しい散歩道に我々は喜々として所々どろんこな道を分け入った。

 

  林から抜けた場所に小さな菜園があった。ヨーロッパではよく見かける陶でできた小人の人形が多数…その他水鳥とか…三箇所ある

  菜園は、魔女人形や頭部だけの不気味なマネキンなどが増えてきて、ずーっと見てくるとなんだか普通ではない雰囲気が漂ってくる。

  そばにある小さな小屋には誰もいないようで、精神異常者が急に現れてこないだろうか…とも思ったが、菜園の端にある4本の背の低い松に

  それぞれ配されたスマイリーマークが貼り付けられている所を見ると、ここを訪れる子供達を楽しませるもののようではあった。

 

  再び野趣のある川沿いの林道をしばらくいくと、前方から犬を散歩させている老女が近づいてきた。

  しかし、よく見るとセントバーナードよりも背が高く、ドーベルマンのような黒く大きな犬が駆け寄ってくるではないか!

  ほとんど体当たりせんばかりの勢いで、『ヒへ〜ッ!』とそばの大木に身を隠す間もなく私にかすって行ったかと思ったら

  戻ってきて、またぶっかってきそうになる・・・。こんなどでかい犬は鎖に繋いで散歩しろ!と思ったら、老婦人は

  『大丈夫よ、この子は良い子だから心配しないで…』とのたまうが、このどでかい犬は何度も体当たりゲームを楽しむかのごとく

  なんども行ったり来たりしている。『まだ8ヶ月の、赤ちゃんなのよ!』と怯えてる私達をみて済まなそうに言った。

  そういえば、真っ黒で手足の異常に長い犬の動作はどう見ても『はしゃいで』いる様子ではあったが…。

  後ろを振り返って相方を見ると、大木に隠れながらその老婦人に愛想笑いを浮かべていたが、その笑いは間違いなく引きつっていた。

 

  道はだんだん険しくなり、登り下りが多くなると、膝の悪い相方が少しずつ愚痴りだしてきた。

  2時間行ったぐらいの所で『喫茶店』をイメージしていたであろう思惑も完全に外れ、あとどれだけ山道を歩けば目的の街の駅に

  たどり着くのか?二人共まったく見通しがつかなかった。

  私は杖となりそうな棒きれを見つけ、相方に持たせて私の前方をいかせる。彼女は愚痴を言いながらも杖をつきつき登っていく。

  途中掲示板で道を確認したので私は10mほど彼女の後を登っていた。

  しばらくすると、私の背後から急に荒い息遣いのような音がして、振り返ると熊のようなおっさんが『スミマセン…』と通り過ぎていった。

  2時間の間、出会ったのは犬連れの老婦人だけで、人っ子一人もいないと思い込んでいた矢先だったので、こんな所をジョギングする人がいるとは

  思わなかったから、まじでビックリしたが、同じ気持ちで前方を歩いている相方に知らせようと急いで『口笛』を吹いたものの、 

  一心不乱で登っている相方は聞く耳を持たず、熊のような男は段々とニコルに近づいていく・・・数秒後何が起きるか予想できる私は

  叫ぼうかとも思ったが、ジョギングする男に悪いような気もして、躊躇している時、『ギャ〜!』というそれまでの山の静けさを引き裂く

  悲鳴を私は聞いたのだった・・・。

  ( ニコルの悲鳴については十年ほど前の話になるが、寝床に先についたニコルの後に寝室に入る時、

  物音で目を覚ましたニコルが全力の大声で『悲鳴〜』をあげるので、私は毎回それが恐ろしくかったものである。)

  

  あとで当然、相方ニコルは何故熊のような男が来ることを『教えてくれなかったのよー』っと文句を言い、私も口笛で連絡した

  ことを言ったが、あの男こそ逆に『ビックリした』であろう事を想像すると、その後の道中二人共笑いが止まらなかった。

  私達二人は、よる寝床にはいってからも、あの『悲鳴』を思い出して笑った。

  あのオッサンも、自宅に帰ってから奥さんや家族の誰かに話しては大笑いしているのだといいが・・・。