拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  釈迦はなぜ『悟り』のあるのを知っていたか?

2022年01月05日 | 観自在

  まぁ、2500年も前の話なので、『釈迦物語』のどこまでが真偽であるかは定かではないが

  私にとって問題なのは『釈迦はなぜ「悟り」をあきらめなかったのか・・・』なのだ。

 

  『小さな国の王子であったが、無常を感じ29歳で出家。

   三人の師につき、同レベルの境地につきそれぞれ後継者として請われるもいずれも悟りを得る道ではないとして辞し、彼らのもとを去った。

   その後6年間、様々な苦行を行なったが、極端な苦行も不適切であると苦行をやめ、沐浴したあと

   村娘の乳粥の布施を受け、体力を回復して瞑想に入り、悟りに達して仏陀となった。』・・・というのだ。

 

  仏陀とは『目覚めた人』という意味で、すぐれた修行者とか聖者に対する呼称であったのが、仏教で用いられるようになり、釈迦の尊称となった。

  であるから、釈迦以前にも『仏陀』と呼ばれる人がいたのであろうが、釈迦以降、彼に匹敵する境涯の者がいなかったので彼の尊称になったのであろう。

  思うに、釈迦は出家当初から『悟り』への予感があったのだと思う。

  6年間の苦行を含めた修行の中で小悟(悟りの予感)が何度も何度もあって、それが少しずつ確信へと変わっていったのではないか。

  前人未到の『悟りの境涯』への確信があったからこそ、三人の師の要請も断り、苦行を止めることで非難されると解っていても

  自分の信じる道へと突き進むことができたのだと思う。

  悟る前に悪魔がでてきて誘惑したり、悟り後、梵天様がでてきて『悟り』を衆生に説くように要請したとあるが、

  それこそ『自他不二』の境涯を味わった結果なのだと思うが・・・。

           

  いずれにせよ、じつに有難いことで・・・『一休』さん、『良寛』さん、『大拙』さん等、こんなチッポケな国に輩出してくれたのだから。

            

 

  

  


  ニコルの『天地無動説』

2022年01月05日 | 我が妻ニコル行状記

  暮にある街のオシャレな本兼文房具屋さんのショウウィンドウに掲げられていた、エイ(魚)が空中を泳いでるイラストの

  月の満ち欠けをカレンダーにした『月カレンダー』が素敵で、自分と友人用に2枚購入した。 

 

  月の満ち欠けを一ヶ月ごとに12ヶ月分イラストにしてあり、視覚的にいつ満月なのかが一目瞭然でわかるようになっている。

  普段、『月の満ち欠け』に関してそう関心を持っていなかったので、満月というのが、月に一回のわりあいであることを初めて知った。

  学生の頃?『月の満ち欠けと女性の月経周期』についての話をチラリと耳にしたような気がするが、

  興味がなかったのか、なんだか恐れ多い気がしたのか、それきりになって現在にいたる…という恥ずべき事態を告白しておく。

 

  であるから『月の満ち欠け』に関しては、女性の方がよく知っているのかな?とふと思ったが、我が相方はそれには含んではいなかった。

  なにせ、我が相方は小学生程度の天体に関する基礎的な知識が皆無なのだ。実は私も人のことは言えないほど低レベルであるが

  私以上に何も知らない相方の『無のレベル』には、驚きを通り越したものだ・・・。

  人間が月面に到着した時、14歳の彼女にとっては許しがたい出来事で、一日中ひとりで泣いていた、そうだ・・・。

  だから、月食とか日食などが我々の人生にも、時折訪れるが、相方にはその仕組がまったく分からないし、知りたくもない様子で

  彼女にとってこの世は『天地無動説』ですべてうまくいっているらしい。

         

          我が相方は昔からパイプに憧れがあり、中古のパイプを購入して時々葉のないパイプを口に加えて悦に入っている・・・図