拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  仏の掌

2021年04月01日 | 観自在

              

               『花さか爺&婆』物語も・・・、『仏の掌』にあることの気づきなのだ…

         

   『仏』という言葉で、我が半生を『還暦スキャナー』で検索したところ、意外なところから意外なモノが検出した。

  『仏の掌』の物語は昔見たアニメというか、当時アニメという言葉はなかっただろうから・・・?

  何というのか、兎に角、今考えても堂々たるアニメ映画でタイトルが『西遊記』…その中の逸話の一つ。

  仙術で『筋斗雲』というジェット機の如き雲の乗り物と『如意棒』という武器は読んで字の如し、

  大きさを自在に変化させ、普段はマッチ棒の大きさにして耳に隠し、戦う相手に合わせて大きくするというスグレモノ。

  そういったパワーを身に着けた『孫悟空』は超天狗になり、仏様にもその腕白ぶりを諌められても、まったく言うことを聞かない。

  それで仏様は、孫悟空に『では、そのパワーを使って見せてみなさい、私の目から遠ざかることができるかどうか… 』。

  筋斗雲で飛び立った孫悟空が、何千キロも飛んで、『もうそろそろいいだろう…』と下を観ると、そこは『仏の掌』の中であった…という話。

  今朝、この映画をウィキペディアでみると、1960年長編漫画映画『西遊記』で原案は手塚治虫であった。

  私は8歳のとき、この映画を見たのだ。その時の『刷り込み』…があったからこそ、後に『ドラゴンボール』の孫悟空の話に夢中になったし、

  大人になってからも、『仏教』にも『AI』にも興味を持つのは、変幻自在の物語『西遊記』の影響の為と思う。

  だから私の『悟り=郷里(さとり)』も本来は『仏の掌』から来ているに違いなく、またそこから一歩も出ていない。

 

          

           1960年公開 東映・長編漫画映画 『西遊記』監督(薮下泰司、手塚治虫、白川大作)より