拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

現代における『鬼滅』とは?

2020年11月28日 | 観自在

  『鬼滅』とは…聞いたことがないなぁ、『仏滅』なら昔日本に住んでいた時、カレンダーにそんなこと書いてあったけど・・・
   還暦を過ぎた年代であれば、こんなものであろう。私らの世代で『鬼滅』という言葉と、それがアニメであることを
   知っている、ジジババアたちがいるのであろうか?
   私のようにネットG(爺)であれば、Webに乗っているうちに、今話題の『鬼滅の刃』にいやでも出会うであろうが。

   この『鬼滅の刃』、ベースは勧善懲悪のチャンバラありのちょっと時代劇アニメである。
   その鬼滅を現代に当てはめると、『鬼』は何に当てはまるのだろうか?・・・と考えてみる。

   このアニメでは、人間であれば誰彼となく、食い殺す『鬼』が敵であるから勧善懲悪がじつにはっきりしている。
   だから、『鬼滅隊』の鬼退治も容赦なく首をぶった切るシーンもドンドンあるし、とにかくその点はわかりやすい。
   しかし、
   その『鬼』を現代に置きかえると…、私にはそれはハッキリしている気がするが、それでもまぁ人によってその基準という
   ものが違ってくる、というところがアニメと現実の話の違いであろうか。
   逆に言えば、だからこそ現代の『鬼』は善良な人々をだまし、隠れ蓑を着て平気で人を生き地獄へおとしめる事ができやすい環境
   なのだと思う。
   私は少しずつ自分が仏教徒であると最近とみに自覚してきたが、それは仏というものが、『生きとし生けるものの尊厳』を最も
   大切にする教え・・・であると確信するからである。
   そうであれば、嘘八百の『安倍政権』や『菅政権』による立場の弱い人々への『一顧だにしない政策』を平気でしてのける国会議員こそ
   現代の『鬼』であろう。ことに仏教をベースにする公明党がその自民党を補完する形で『悪政』を共同で進めていることは『鬼』以外ではない。

   選挙があっても50%の人が、投票に行かない現状・・・ここを変えるには、変えなければ『鬼滅』は出来ないのだ。
   勧善懲悪の基準がハッキリ分からなければ、人は行動にうつらない、だから『悟り』が、悟ることが大切なのだと思う日々

           
                    若き日の『鬼滅隊員』馬骨
   今、 『鬼滅の刃』が話題になっているのは、潜在意識に『鬼滅』をせんとする『尊厳』崇拝の本来の心が躍動しているからだ…