拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

秋深し、天才の文字は読みにくい

2018年11月14日 | 写俳一撮

訳してもらって、文句いうのもなんだが…

まぁ、家に帰ってからゆっくり調べればいいヤ〜…なんて思ったのが大間違い。

語学の天才君の書いた文字、下手なうえに小さくて癖のある文字でよめやしない。

こんどいつ会えるかわからないけど、その時確認するしかないか…。

日・スイス文化交流という名目で日本語と仏語、相互教授する場をネットで呼びかける

タンデム(2人組)と呼ばれる会に春頃から参加して、いろいろな人が来て面白い…という話を以前したが。

その中に、まさに言語の天才では?と思えるお兄さんと出会い、ボクの写真に添えた日本語の短歌をフランス語になおしてもらえたら…と思い、すでに出来上がっている手作り写真集をみてもらったのだ。

相方や友人などの助けをえて、ボクの短歌をそれぞれ仏、独、英の三カ国語で訳してある文と写真を見てもらった。

そのときにこの天才君、三カ国語をスラスラと読みくだし、フランス語とドイツ語はまあいいけど、英語はちょっと…、とすぐにボクの採択でGoogle翻訳で助けられた訳の貧弱さをすぐに見破られてしまった。(流石!!)

彼とは今回2度めの対面で、前回会った時語学の大切さを力唱していたと思ったが、中国語、日本語そして母国語のフランス語の他に英語、ドイツ語が堪能であるとは…、片親がアルジェリア人だから多分アラビア語なんかもできるのであろうか?!

まぁ、天才という言葉は知っていたが、対面するのはもしかしたら、今回はじめてかも

一撮辞典によると、天才とは〜ある分野において、普通の人にとって、不可能事をなんなくやり遂げる才能の持ち主・・・っていうようなところかな。

彼の場合は言語なんだけど、今現在『百人一首』の和歌を暗記している最中だそうだ…

f:id:syaraku-sai:20181114201429j:plain

レマン湖の風景を『いぶし銀』を使って一句詠んでみました…これを

彼に英訳してもらいましたが、さすがの彼も、『いぶし銀』…はなぁ、、、

    Fall has  come

              This  sober  season

              In the lake,    a  fisher  let  his  line  fall...     :    Ittusattu


沈黙に 転んだ後の 静寂や…

2018年11月10日 | 写俳一撮

スコセッシ監督の映画『沈黙』、日本では2017年の1月公開だったようだが、ということはスイスではその少し前だろうから、2016年の12月頃として約2年前にボクはニコルと友人のベアトリスの3人で見に行ったのだけれど、

このほど、アマゾン・プレミアムで『沈黙』を見て初めて見るかの如く感動に、ショック。

確かに大画面で見たはずなのに…、アイパッドで見る日本語字幕付き…のほうが断然良かった。大画面の方は英語オリジナル版でフランス語字幕であったが、やはり耳は英語を追っかけ、眼は字幕と画面を追う…というのはボクには無謀であり160分の長丁場に居眠りもしていたと思う。

だいたい、最最初に蝉の鳴き声がピタッと止まって『沈黙』−Silence−のタイトル文字が出るあたりからして、前回見たという覚えがまったく無かった…のがどうも不思議。

で今回、こりゃ…知ってか知らずか?芭蕉先生の『閑さや岩にしみ入る蝉の声』を前面(全面)にもってきて『沈黙』を強調している…とボクは直感した…。

そうなると、もう一撮流映画解釈はもう止まらなかったのだ。

随所にユニークな勝手解釈が炸裂してしまった。

例えば、キリスト教が日本に根づかない理由として『日本は沼だから…』という表現を使ったところで:そりゃそうだ、だから日本では蓮の花(仏教)を咲かせたのだろうよ。

だいたい、『沈黙』という言葉自体、言葉を発する誰か(神)が沈黙を守っている状態を表して、いつの日か発言するだろう…という期待を含んでいる。それは仏教がいう安樂を表す完全な静寂『涅槃寂静』とはまったく違っている。

だから、本当の安心とは 沈黙くすらだまらせた後にくる静寂の中にこそ見いだせるものではないのだろうか。

よく『転ぶ』キチジロ〜も、達磨さんの七転び八起きを想起する。

そこによく、仏教の慈悲と智慧が活かされているとおもうのだが…。

最後のシーンで原作にはないそうだが、スコセッシ監督の蛇足で、ロドリゲスの遺体に

十字架の木片を手に持たせたが、そうでもしないと話は禅仏教になってしまうかな?

ミイラ取りがミイラになってしまうような…。

俺なんかスイスに来て、何回転んだか!!そして多分まだ立ち上がってない…

f:id:syaraku-sai:20181110080921j:plain

   ニュヨーク郊外の禅堂にて(33年前)

 

 


漢文かいな!

2018年11月03日 | 写俳一撮

今年の春くらいから?だったろうか…

日仏言語文化交流をめざし、ネットでもって運営しているTandem(タンデム):=二人組の意:というものを友人が紹介してくれ週一で参加している。

フランス語を母国語とする人と日本人が一時間ずつ交互に言葉を教え合う…というもの。

毎回だいたい8人平均集まって、語学学習。初心者からびっくりするほど上級者までゆっくりとした流れで人が入れ替わりしながら交流している。

ボクは去年までの15年間は100%ジュネーブにて引っ越し屋勤務で他の分野の人との関わりがまったくなかったから、ここで利害関係が一切ない様々な立場の人々との出会いが実に楽しい。

ここに集まってくる日本語を学びたい連中はとにかく皆、日本に夢中だ。集合場所が大学のカフェであることから、大学生や卒業生が多い。日本人も一番多いのが留学生の立場でフランス語を是非学びたいという若者か、或いはボクみたいなローザンヌに住んでいるオッサン…と言おうとおもったが、そんなオッサンは目下のところボクだけだ。

スイス人でボクと同年輩のオッサンが一人、常連で毎回きている。日本語もペラペラだし学ぶこともない…と思うが、フランス語を日本人に教えるのが楽しいのだろう。

先週は寿司の板前業をしている、スイス在住8年の日本人男性がきた。一見板前にはみえなく、IT関連の職員かと思える雰囲気を出していたが、話してみるとじつに『アナログ』なので驚いた。『最近はスーパーの入り口そばに、寿司弁当なんかが置いてあって、寿司のバリューがかなり下がった…』と嘆いていた。次回時間をとってヨーロッパにおける寿司業界の様子などを聞きたいと思う。

それとここ最近、タンデムに集まる連中のなかで、漢文をやっているスイス人男女、それぞれに出会って正直驚愕した。

外国人にとって、話すことはとにかく漢字を読み書きすることがどれだけ大変なことが容易に想像できるのであるから、それよりもっと踏み込んだ『漢文』を読みこなそうと

努力している外人さんを見ると自ずと『敬意』の念が湧くというもの。

ボクは数学も嫌いだったが、古文漢文も大嫌いで何にも読めないが、今になって高校で古典を教えていた上品な女先生の顔を思い出しては後悔している。

これも先週初めて出会ったジュネーブ大学、日本語科3年生のスイスとアルジェリアの混血男性が来て、半端じゃない語学力と学問に対する底なしの情熱を見せつけられ、我が仏語熱も若干であるがヒートアップしたのである。

f:id:syaraku-sai:20181103230809j:plain

 


 秋桜(コスモス)

2018年09月10日 | 写俳一撮

f:id:syaraku-sai:20180909233017p:plain

今回、移行したブログにはお絵描き機能が備わっているので早速試してみた図

 

昨夜は月一回の俳句会がVeveyで催された。

その前に毎週土曜、3時間のバトミントン・ダブルスの混戦を1時間半で切り上げて湖畔の喫茶の俳句会にぎりぎりまにあった。総勢10名中、ボクは黒一点、日本人は指導役の女先生とボクの二人であった。

最近、この俳句会でボクはスランプ気味で俳句が一向に出来ないで困っていた。

この会はだいたい、地元スイス人の俳句がメイン。それもゆる~い、俳句会で日本の俳句のように5・7・5にとらわれずに…ということで、俳句とは言い難い長々としたポエムで、情景を詠んだものがほとんどで心情を詠んだようなものは稀だ。

会を主催している日本人の方も、有名な俳句を紹介する程度でそれに関する深掘りした解説はしないし、この会に集まる者にも俳句を詠むにあたってほとんど何も要求をしない。30〜40分題を与えて俳句を練って各自その俳句を皆に披露してそれだけである。

良く言えば誰でも参加できるゆるゆるの俳句会であるが、一切の指導がないので、題を与えられたら各自思い思いに作俳に集中する…初めて参加する人の中には何をしてよいのかわからず戸惑っている人もいたが、昨夜も奥様の一人が途中で帰って行った。今週のテーマは『コスモス』であったが、コスモスと聞いただけで山口百恵のあの歌の秋桜のメロディーが頭をいっぱいにして他には何も考えられない状態に陥り、ああ今日も何にも詠めないかなぁ〜・・・なんて、ペンを持ちながらもノートに何も書けない自分と隣に座って何も書かずにじっとしているマダムに同情。

そのうち、『コスモスが 秋の桜の 日本人 : 一撮 』とノートに書き始めたあたりから少しエンジンがかかり始めた。また秋のイメージから『枯れ葉』を思い浮かべ

フランス語を見ると『feuille morte』となり直訳すると、『死んだ葉』となることに大いに引っ掛かるものを感じた。ここのあたりに日本文化と西欧文化の違いが大いにあるように思えたのだ。

だいたい俳句が万人の心をうつのは『枯れ葉』を死んだ葉っぱと割り切った見方ではなく、枯れる状態から死に至るまでのニュアンス(生き様)に何モノかを見出す喜び…

そういったところに感動が呼び起こされるのではないだろうか。

そういつた気付きが無いところに、俳句は無いような気がするのだが。

それと、俳句は兎に角短い…ボクにはちょっと短すぎる。てなことで

いままで、我慢していたが外人さんのルールを無視した俳句もどきを聞いていたら

まぁ、短歌でもいいから練ってみっか!・・・とも思ったのである。


   緑濃き

2018年07月28日 | 写俳一撮

  小さな小児科院に勤めている相方も子供達のバカンスに伴って今週から2週間のバカンスに入った。
  それで、我々は今回で 4, 5回目になるフランス領のストラスブールへ2泊3日の旅にでかけた。
  そういえば、去年の夏もストラスブールへ行ったのだったが、そのことすらすっかり忘れていた。

  なにせ、ローザンヌから電車で2度乗り換えて、4時間足らずで行くことのできる、それでいて
  なんとなく、異国情緒豊かな、人口30万人足らずのこの街が我々は気に入っていたが、
  今回はなお一層好きになって帰ってきた気がする。

  フランスだから当然フランス語が通じて、旅をしていてもその点気が楽ということも大いにあるが
  程よい大きさの領土をセーヌ河の3分の1ほどの川が取り囲んでいる…という独特の地理のあり方も
  影響しているのであろう、人々がどこか充足感を漂わせている風に見えるのだ。
  また、まっ平らな土地柄で、自転車をスカートをなびかせて颯爽と行き交う様もなかなかなのだ。

  そうそう、ストラスブールを観光するに、最も地の利がいいホテルを我々は基点としていることも
  あらためて今回痛感したが、まさにどこに行くのにも徒歩で数分〜数十分で行けるホテルに泊まっていた
  ことも、猛暑(35度ぐらい?)の中、拠点のホテルに戻って涼をとってから再び出かけることができた。
 
  今回は観光名所へは特に行く気がなく、地図で見つけた大きなオランジェリー公園を訪ねたがストラスブールの象徴にも
  なっているコウノトリ…は初めて見たがちょっと丹頂鶴に似た趣のある鳥が長い脚を見せて優雅に飛んでいた。

  前回訪ねたとき、気に入った地区があって、今回ゆくとその街によく似合った街路樹の存在が気になって道行く人々
  や、カフェのおばさん、植物に水を与える市の職員なども聞いたが、不思議なくらい誰も知らなく、
  いや、ただ一人勤めにゆく風体の三十代の男性が一言『チヨル・菩提樹』と迷いなく答えてくれたが、それは
  どうも信憑性がなく、いくらなんでも、我々でもチヨルだったらわかるよ・・・となって却下。
  どう見ても地元の老婆に聞いたら、知らない・・・という。どころか、木から落ちる種?だかなんだか知らないが
  地面に沢山緑色の何かが落ちているものをつくづくみながら、自分は花粉症だからこの樹木は『大嫌い』と言われて…。
  結局、帰宅してネットで調べると、それらしいのが『Sophora Japonia』とかいう木なんだけど・・・。

  その、緑の葉のところに、白く泡立ったような花かなんだかぼんぼり状のものが華やかさを醸し出してそれが、
  なんとなく、街にやさしい雰囲気を演出しているようで、ボクは非常に気に入ったもののひとつであった。

  街の人達は結構気さくな人々が多く、相方はいたるところで地元の人々と話が弾んでいたが、その中のひとりが教えてくれた
  一押しの美術館へ出かけたが、はたして彼のイラストは世界的に有名なひと『Tomi Ungerer』の作品を展示している美術館で
  とてもよかったのだ。

  

    川沿いの散歩で見かけた風景より
  


[雲無心]  飛中死燕落下の巻

2018年06月21日 | 写俳一撮

 ネットに親しむようになって、様々な動物の意外な生態を動画などを通して観察することができるようになった。

 身近な犬猫などの生態も実際に一度も飼ったことのない、ボクには初めて知ることができるような事柄が毎日のように
 それも世界中から動画がUPされる・・・しかし、これらは全部ボクにとってはバーチャルな知識というか、体験というか??

 しかし、昨日の出来事は実際にボクの目の前で起きた事実の出来事であった。

 友人に手渡しすることが出来なかった本(日本名で:奇跡の脳)~5月21日にブログに『Zen脳』のタイトルで紹介した
 Dr.ジル・ボルティ・テーラーの著書を市内の友人に郵送するために朝10時ごろ近所の郵便局へ向かう途中
 ボクの眼前右27度のあたりに、突然空から燕がトラムの線路が通っている地面に落下したのだ・・・

 『えっ!』と、思いながらボクは通り過ぎようと思ったが、思い直して、そのままじゃ車や電車にひかれてしまう、と思って
 引き返し、片方の翼が少し広がっている方を持って、草むらの場所においた。

 それからしばらく、燕は何故落下したのか? 空中で飛びながら死んだのだろうか?・・・などなどググってみたりしたが謎は解けなかった。

 翌日相方に、その顛末を話すと即座に『心臓マヒや!』と即答・・・。
 分野に限らず、科学的現象に全く疎い相方が何時になく即答するので、疑惑の視線を投げかけると『そんな話結構よく聞くよ… 』と言うのだ。

 燕は飛びながら『死』ぬのであろうか・・・


f:id:syaraku-sai:20180622044253j:image


[雲無心]  飛中死燕落下の巻

2018年06月21日 | 写俳一撮

 ネットに親しむようになって、様々な動物の意外な生態を動画などを通して観察することができるようになった。

 身近な犬猫などの生態も実際に一度も飼ったことのない、ボクには初めて知ることができるような事柄が毎日のように
 それも世界中から動画がUPされる・・・しかし、これらは全部ボクにとってはバーチャルな知識というか、体験というか??

 しかし、昨日の出来事は実際にボクの目の前で起きた事実の出来事であった。

 友人に手渡しすることが出来なかった本(日本名で:奇跡の脳)〜5月21日にブログに『Zen脳』のタイトルで紹介した
 Dr.ジル・ボルティ・テーラーの著書を市内の友人に郵送するために朝10時ごろ近所の郵便局へ向かう途中
 ボクの眼前右27度のあたりに、突然空から燕がトラムの線路が通っている地面に落下したのだ・・・

 『えっ!』と、思いながらボクは通り過ぎようと思ったが、思い直して、そのままじゃ車や電車にひかれてしまう、と思って
 引き返し、片方の翼が少し広がっている方を持って、草むらの場所においた。

 それからしばらく、燕は何故落下したのか? 空中で飛びながら死んだのだろうか?・・・などなどググってみたりしたが謎は解けなかった。

 翌日相方に、その顛末を話すと即座に『心臓マヒや!』と即答・・・。
 分野に限らず、科学的現象に全く疎い相方が何時になく即答するので、疑惑の視線を投げかけると『そんな話結構よく聞くよ… 』と言うのだ。

 燕は飛びながら『死』ぬのであろうか・・・



  梅殺し

2018年03月25日 | 写俳一撮

 昨夜(3/24)は月イチの『俳句会』があった。
 いつものカフェ文学が、閉まっているので今回のみ別なカフェで開催したが
 時が経つにつれ小さなカフェは混み合って、最初は保護されていた我々の一角も他の客が侵入してきて
 話し出すものだから、句を練った40分ほどは静寂だったのに、10人ほどいた各自がいざ発表という時にカフェ内のざわめきで
 なかなかよく聞き取れず、この点のみはカフェでやる限り改善の見込みは…などと思っていた。

 この夜、でたテーマは『梅の花』『風』『ドレス』…とかであったが、 練った句は 『 北風や ツバは目深に 紅(べに)は赤 』:一撮
 てな句しか出なく、冷たい北風のなか すれ違う 目深に帽子をかぶった女性・・・(上村一夫の漫画を最近みかけた影響がもろに出て
 彼が描く)女性の赤い唇が『梅の花』が咲いているように鮮やか…だった印象を詠ったつもりであった。
 ・・・その情景をフランス語で他のメンバーに説明するのは容易ではなく、わかってくれた人はいたであろうか・・・?

 帰宅して毎週金曜日の歌勝ち取り大会的なTV番組『Voice』を二人で観る。夜11時頃になると急にニコルがそわそわしだし、番組もそこそこ
 我が家の10個近くある時計を一時間進める作業をし始めたのだ。あゝ~そうか!!明日を境にサマータイムなのだ~
 時計を進めると相方は、もう夜中よ、と本来23時ちょっと過ぎただけなのにいそいそと床にむかった。

 前回のブログのショックはその後も尾を引いて特に、たまたま出会った芭蕉の句 『野ざらしを  心に風の  しむ身かな』…の真剣さに
 あらためて、それこそ身を引き締める思いにさせられ、あのショックも悪いばかりではないものだ・・・と云うようなことが頭の隅にしっかりと
 あったのだろう、よく眠れぬ朝を迎えた時、この様な一句が浮かんできたのであった。

 
f:id:syaraku-sai:20180329204111j:image
   写真は2月にパリに行った時、Palais de Tokyoで行われていた展示より

 この『梅殺し』の句のこころは、退職後ゆえにわかるサマータイムの不自然さを詠ったもので
 昨年までサマータイムといっても仕事にかまけて何の感慨もなく、ただただ日が長くなって『便利』ぐらいのものであったが
 今回一日一日その流れを身に感じ始める生活をしていると、突然夜になってもなかなか日が沈まない不自然さ、
 そして春になったばかりの時期にバッサリと夏時間に人工的にして春を殺すような感じを…はじめて受けた心持ちからきたものである。
 
 


  梅殺し

2018年03月25日 | 写俳一撮

 昨夜(3/24)は月イチの『俳句会』があった。
 いつものカフェ文学が、閉まっているので今回のみ別なカフェで開催したが
 時が経つにつれ小さなカフェは混み合って、最初は保護されていた我々の一角も他の客が侵入してきて
 話し出すものだから、句を練った40分ほどは静寂だったのに、10人ほどいた各自がいざ発表という時にカフェ内のざわめきで
 なかなかよく聞き取れず、この点のみはカフェでやる限り改善の見込みは…などと思っていた。

 この夜、でたテーマは『梅の花』『風』『ドレス』…とかであったが、 練った句は 『 北風や ツバは目深に 紅(べに)は赤 』:一撮
 てな句しか出なく、冷たい北風のなか すれ違う 目深に帽子をかぶった女性・・・(上村一夫の漫画を最近みかけた影響がもろに出て
 彼が描く)女性の赤い唇が『梅の花』が咲いているように鮮やか…だった印象を詠ったつもりであった。
 ・・・その情景をフランス語で他のメンバーに説明するのは容易ではなく、わかってくれた人はいたであろうか・・・?

 帰宅して毎週金曜日の歌勝ち取り大会的なTV番組『Voice』を二人で観る。夜11時頃になると急にニコルがそわそわしだし、番組もそこそこ
 我が家の10個近くある時計を一時間進める作業をし始めたのだ。あゝ〜そうか!!明日を境にサマータイムなのだ〜
 時計を進めると相方は、もう夜中よ、と本来23時ちょっと過ぎただけなのにいそいそと床にむかった。

 前回のブログのショックはその後も尾を引いて特に、たまたま出会った芭蕉の句 『野ざらしを  心に風の  しむ身かな』…の真剣さに
 あらためて、それこそ身を引き締める思いにさせられ、あのショックも悪いばかりではないものだ・・・と云うようなことが頭の隅にしっかりと
 あったのだろう、よく眠れぬ朝を迎えた時、この様な一句が浮かんできたのであった。

 

   写真は2月にパリに行った時、Palais de Tokyoで行われていた展示より

 この『梅殺し』の句のこころは、退職後ゆえにわかるサマータイムの不自然さを詠ったもので
 昨年までサマータイムといっても仕事にかまけて何の感慨もなく、ただただ日が長くなって『便利』ぐらいのものであったが
 今回一日一日その流れを身に感じ始める生活をしていると、突然夜になってもなかなか日が沈まない不自然さ、
 そして春になったばかりの時期にバッサリと夏時間に人工的にして春を殺すような感じを…はじめて受けた心持ちからきたものである。
 
 


 シーズン11の13、14

2018年01月25日 | 写俳一撮

f:id:syaraku-sai:20180126071812j:image

去年の12月14日にアメリカのTVドラマ『グレイズ・アナトミー』のシーズン9を見ていると書いたが
今現在アマゾン・プレミアム会員で見られる最後のシーズン11を見終えて、感動+感心してこれは
一言賞賛したいと思った。
先月の年越しそばを友人宅で食べながら、大学を終えて就職したばかりの友人の娘に『グレイズ・アナトミーしっとるか?
なかなかいいよ~』と映画や芝居の好きな彼女に水を向けると、『ああ~中学生の女の子の間で人気あるやつね』と
小馬鹿にしていたが、見てない人に言ってもわかんないよなァ…

ボクは今回のシーズン11の13,14が特に気に入った。
基本的に外科医の話なので、『生死』の事があり、それに真剣に、ときにユーモアでもって様々な人間関係をドラマを見せてくれる。

こういう優れたドラマに若いうちに出会うことは、本当に大切だと思う。
そう云えば、ボクが中学?高校生だったか、デビット・ジャンセン演ずる『逃亡者』はなんだかの影響をボクに与えている
数少ないアメリカのTVシリーズであるが、これも医者の話だね・・・(今気が付いたけど)


 シーズン11の13、14

2018年01月25日 | 写俳一撮

去年の12月14日にアメリカのTVドラマ『グレイズ・アナトミー』のシーズン9を見ていると書いたが
今現在アマゾン・プレミアム会員で見られる最後のシーズン11を見終えて、感動+感心してこれは
一言賞賛したいと思った。
先月の年越しそばを友人宅で食べながら、大学を終えて就職したばかりの友人の娘に『グレイズ・アナトミーしっとるか?
なかなかいいよ〜』と映画や芝居の好きな彼女に水を向けると、『ああ〜中学生の女の子の間で人気あるやつね』と
小馬鹿にしていたが、見てない人に言ってもわかんないよなァ…

ボクは今回のシーズン11の13,14が特に気に入った。
基本的に外科医の話なので、『生死』の事があり、それに真剣に、ときにユーモアでもって様々な人間関係をドラマを見せてくれる。

こういう優れたドラマに若いうちに出会うことは、本当に大切だと思う。
そう云えば、ボクが中学?高校生だったか、デビット・ジャンセン演ずる『逃亡者』はなんだかの影響をボクに与えている
数少ないアメリカのTVシリーズであるが、これも医者の話だね・・・(今気が付いたけど)


 スイス式-露天風呂

2017年12月16日 | 写俳一撮

f:id:syaraku-sai:20171217053425j:image

                 露天風呂 窓を開ければ それなりに 熱い湯船に 北風の吹く : 一撮

今日のローザンヌの最低気温は -1度で東京より寒い、明日はもっと気温が下がるそうだ。
こんな日は温泉がいいな~、それも露天風呂、最高だね。

ってなわけで、うちのアパート風呂で露天気分を味わおうと、陽が沈んだ夕方、洋式湯船のそばにロウソクを
一本立て熱い風呂に入る。そしてちょうど茹で上がる頃、湯船のすぐそばにある窓を開ければ、冬の北風が
火照った頭をスーッとしてくれ、裏の隣のアパートの灯りがクリスマスツリーのローソクのように暖かそうに
輝いている…。


 季語はクリスマス

2017年12月12日 | 写俳一撮

f:id:syaraku-sai:20171213044704j:image
  12月9日 初雪

朝起きると薄っすらと雪化粧、思わず一撮。一撮は俳句より簡単だなァ、
一句読もうとすると、かなり脳に負荷がかかるが~・・・。

この時は、夜に我々にとっては第二回目、『俳句会』があるのをすっかり忘れていた。

夜はけっこう冷え込みが強く、きょうは誰もい『来ないんじゃない…』なんて相方と話していたが
行ってみると、12名。うち日本人は2名、そして男はボクだけであった。

主催の日本人女性のリードで今回はクリスマスをテーマに、それぞれ思い出のエピソードを語り
その中から言葉を選び、詠み込もうという趣向であった。

その前に、例として正岡子規の俳句が紹介された。 『 八人の 子供むつまし クリスマス 』

約30~40分ぐらい、俳句を練る時間が静かに流れる。といっても喫茶店であるから雑音はあるものの…

この時、日本で買って読んだ、藤沢周平の小説『一茶』を思っていた。
一茶も生前中、あちこちで句会を開いたが、そういった時も数々の名句を生み出したのだろうか…と。

というのも、作句には大きく2つのやり方があるように思う、実際に目前に起こる事象を詠む場合と
句会にて『お題』を決めてからあれこれ情景を思い描き、言葉を選んで句を練るようなやり方などなど…

ただ、ここの句会じゃ、一茶や芭蕉のような情緒は残念ながら味わえそうもない。
なにせ、仏語なもんで。指導する人がよほどフランス語に堪能かつ日本文化を熟知したひとでなければ
ならないことと、集まる人のレベルが相当なものでなければ・・・・まァ、望むほうがどうかしている。

いよいよ各自発表の段となり、一人3~10句ぐらい読み始め、時折皆爆笑したりして。
ボクは仏語の意味がよくわからず笑えなかったが、どうもクリスマスを題に『川柳』的な可笑しみを
出していたらしい。なかには本当に5・7・5…というのを考えて詠んでいるのか疑問な長い句を
詠んでいたりと、俳句の妙味ははるか遠い・・・。

 
ボクもいろいろ考えるが、あらためて俳句の短さに、苦しむ。
最近ボクは短歌が好みであるが、俳句は短すぎ、しかも季語にこだわった場合
なかなか納得いく一句は生まれそうもないようだ。

  苦し紛れ、時間切れに一句   『 クリスマス 寄せあう肩に 雪の舞う 』 一撮
  そして短歌で一句      『 窓辺には 忍ぶサンタを 飾り付け 家族の笑顔 我は盗人 』 一撮