昨日、無事に義父の25回忌法要を営みました。
兄弟のうちでも、父の世界へと移籍した妹のつれあい、九州大学病院で手術のため入院中の弟が欠けて、17回忌法要の時からは叔父や叔母を含めて4名の減少です。
再来年の母の7回忌の集いまで顔ぶれの変化が無いことを祈るのみです。その次の13回忌の法要はもう私たちの手で催すことは考えられませんから。
生前、桜をこよなく愛し、「花の盛りのころ死にたい」と、西行もどきに口癖のように言っていましたが、その通りに「花祭り」の日、花吹雪の舞う晴れた日に旅立ちました。
今年は庭の桜は半ば葉桜となっていますが、八重桜が早くて、もう満開の時を迎えています。この八重桜は父が植えたものですが、親株は虫にやられて枯れていたので、伐ったところから生えたひこばえを夫が大事に育てた二代目です。
日ごろの怠りを見透かして、東京から娘が1週間の予定で片付けや掃除、法要の準備のために時間をやりくりして帰省してくれました。
若い人?の片付けは手早く要領よく、滞りがありません。要するに、思い切りよく捨てること、に尽きます。
読経と、少し難しい説法のあと、会食はもう自分達の手で整えることは無理になっていますので、市街の料亭に席を移すことにしました。
何か一つの行事を営むことが、段取りが悪く重荷になってきています。まるで大事業でもなし終えたように疲れて、自分の老いを厳しく自覚させられました。

門脇で盛りの八重桜 2枚
射干シャガの群生これも父の形見
兄弟のうちでも、父の世界へと移籍した妹のつれあい、九州大学病院で手術のため入院中の弟が欠けて、17回忌法要の時からは叔父や叔母を含めて4名の減少です。
再来年の母の7回忌の集いまで顔ぶれの変化が無いことを祈るのみです。その次の13回忌の法要はもう私たちの手で催すことは考えられませんから。
生前、桜をこよなく愛し、「花の盛りのころ死にたい」と、西行もどきに口癖のように言っていましたが、その通りに「花祭り」の日、花吹雪の舞う晴れた日に旅立ちました。
今年は庭の桜は半ば葉桜となっていますが、八重桜が早くて、もう満開の時を迎えています。この八重桜は父が植えたものですが、親株は虫にやられて枯れていたので、伐ったところから生えたひこばえを夫が大事に育てた二代目です。
日ごろの怠りを見透かして、東京から娘が1週間の予定で片付けや掃除、法要の準備のために時間をやりくりして帰省してくれました。
若い人?の片付けは手早く要領よく、滞りがありません。要するに、思い切りよく捨てること、に尽きます。
読経と、少し難しい説法のあと、会食はもう自分達の手で整えることは無理になっていますので、市街の料亭に席を移すことにしました。
何か一つの行事を営むことが、段取りが悪く重荷になってきています。まるで大事業でもなし終えたように疲れて、自分の老いを厳しく自覚させられました。

門脇で盛りの八重桜 2枚

射干シャガの群生これも父の形見
ふくら雀さん じゅうぶん癒されて、又お元気なblogを再開なさってくださいませ。シャガもいきいきとしていますね。
気候不順のこのごろ、もうイチハツが咲いています。奈良で貰って帰ったオダマキも花盛りです。
お恥ずかしいほど草臥れて、絵筆も執らずにくすんでいます。
いちはつや 親にやさしく 古娘 日野 草城