朝夕は冷え込むものの、日中の気温は快適で、櫻の開花も話題を呼んでいます。
今日の彼岸の入りは、雨で明けました。昔の人の「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言いえたものです。
雪柳が大方雪を散らして、ゆすら梅が盛りに向おうとしています。早くもシャガが花を開き始めています。岩八手も庭石に張り付いたまま花をつけ、根元には八手の葉が見えてきました。
掛け軸を仏事のものに掛け換え、仏壇の掃除を済ませて花とお供えを飾ると、準備完了です。牡丹餅はお菓子屋さんで買ってくることにして楽になりました。
雨も上がった午後からは、「お四国」の八十八箇所を結願していた亡き母を偲んで、遍路を題材に何枚か描いてみました。毎年描く「お遍路さん」ですが、年によって感じが違っています。
私も、いつかは宗教色抜きで歩き遍路の旅を歩いて「自分」とじっくり向き合ってみたいと思っていたのですが、足のほうが先に駄目になってしまいました。まだ車でまわるという手段もあるにはあるのですが、お寺は大抵高い石段の上です。地元の方の「お接待」を受けながら、「お遍路さん」と呼ばれる終わりのない旅を夢見ていました。


今日の彼岸の入りは、雨で明けました。昔の人の「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言いえたものです。
雪柳が大方雪を散らして、ゆすら梅が盛りに向おうとしています。早くもシャガが花を開き始めています。岩八手も庭石に張り付いたまま花をつけ、根元には八手の葉が見えてきました。
掛け軸を仏事のものに掛け換え、仏壇の掃除を済ませて花とお供えを飾ると、準備完了です。牡丹餅はお菓子屋さんで買ってくることにして楽になりました。
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雨も上がった午後からは、「お四国」の八十八箇所を結願していた亡き母を偲んで、遍路を題材に何枚か描いてみました。毎年描く「お遍路さん」ですが、年によって感じが違っています。
私も、いつかは宗教色抜きで歩き遍路の旅を歩いて「自分」とじっくり向き合ってみたいと思っていたのですが、足のほうが先に駄目になってしまいました。まだ車でまわるという手段もあるにはあるのですが、お寺は大抵高い石段の上です。地元の方の「お接待」を受けながら、「お遍路さん」と呼ばれる終わりのない旅を夢見ていました。


岩八手を身近にみるのもはじめてです。今まで気付かなかっただけなのかも知れない。
構図のよい大きな写真のピントも決まってすてきです。蔓桔梗も、もうこんなに咲いて。家のは陰で、蔓ばかりが伸びています。
お遍路さんの絵 これはもうふくら雀さんのせかいです。私には到底描けない境地。 明るい陽のなかの後ろ姿や、街道を行くお遍路に人生の悲哀を感じます。長い道のりを重ねて… でも 行く手に希望がみえます。
菜の花や連翹の黄色に元気がでました。すぐ筆をとるふくら雀さんはすばらしい。ずっとお続けくださいね。ありがとうございました。
ゆすら梅の後ろには散ったままのさくらんぼの花びらが散り敷いて、勢いづいてきた萱などの草がぬきとる手がない分安心して茂っています。庭石の間にはこれも落ち松葉が溜まって、侘び、寂びもここに自然形成です。
温かくなって、薄着で過ごせる日をひたすら待ち焦がれています。