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雀の手箱

折々の記録と墨彩画

平和友好交流のつどい

2017年09月03日 | できごと
 昨日は、平和友好交流で長崎から北九州市を訪問した中高生とその保護者の方たちを中心とした人たちと、先に長崎を訪問した、地元北九州市の迎える学生さんたち合わせて100人くらいの前で、戦争体験の講話をしてきました。
 市役所の大会議室一杯の人に少し緊張気味でした。

 太平洋戦争を体験した生き残り世代は、72年という歳月の経過で、当時小学生以上だった人は、すでに80代。やがて消滅してしまうのはもう時間の問題でしょう。戦争を知らない人たちが国のかじ取りをする不安も感じています。
 永年、公の場で口にしたことのなかった戦時中の暮らしや、学徒動員で炭鉱での石炭積み込み作業、農家への勤労奉仕の日々のほか、小倉造兵廠での風船爆弾の素材にする和紙貼り合わせの作業に、昼勤と夜勤の2交替12時間の勤務をしていた16歳の日々を具体的に話しました。
 企画された市の担当者の要望もあって、八幡大空襲の翌日の焼け跡で、地獄絵の中を歩いた記憶と、目にしたことも最後に話しました。

、最近は、平和への思いを筋を通して訴え続けていた方たちが相次いで亡くなっていきます。沖縄の太田さん、被爆した自らの背中をさらして反核を訴えた谷口さん。そして地元で写真を通して戦争のもたらすものを発信し続けていた記録作家の林さんの訃報も昨日でした。

 眼を輝かせ、身を乗り出して耳を傾けてくれる幼い人を目にした時、私のささやかな戦争体験と戦時中の暮らしの一端が、たどたどしい話でも同じ年頃であることに助けられて少しは伝わったと感じることができました。

 今日はいただいた花束を花瓶に移して和やかな休日でした。