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雀の手箱

折々の記録と墨彩画

追悼の日

2016年08月15日 | 塵界茫々
 今年も71年前の8月15日と同じ晴れ渡る夏空でした。照りつける陽射の中、終戦の日がめぐってきました。
 正午にはテレビの戦没者追悼式の式典中継に合わせて、天皇とご一緒に、戦没者への黙祷を捧げました。
 今年は、北九州市の市民の戦争体験を採録する企画に参加して以来、市のDVD録画、二つのテレビ局からの取材や、ムーブでの講演と、次々にお呼びがかかりました。
 今日は、夕方5時から西日本テレビの”終戦71年女性の証言 花火に重ねる記憶とは“の放映でした。折からリオでのオリンピックの華やかな成果で、大分端折った内容になっていたようです。
 今日の朝日新聞の一面のトップ記事も「戦争体験 老いる語り部」でした。
 老残の姿を曝すのはやめにしようと決めて、同窓会の招きにもこの3年は欠席を続けてきましたが、次の80周年の戦争体験を語る企画には到底参加はありえないと思い、あえてお断りせずに応じてきました。これは戦争を知らない世代へ、戦争を体験し生き残った者が、なすべき責務のようなものだと考えたからです。
 私の体験などは、広島や長崎で原爆を体験した方々や地上戦を体験した沖縄の方たちに比べれば微々たるものです。その上、すでに記憶も曖昧になってはいますが、小倉造兵廠で風船爆弾の紙張りをした16歳の日々や、八幡大空襲の翌日の焼け野が原を目にし、黒焦げの屍を呆然と見つめてさまよった記憶、頭上の空中戦で体当たりした飛行機の部品が空を舞うのを防空壕から目の当たりにした鮮烈な記憶の切れ端は70年の歳月を経ても消えることはありません。

 どうかこの国の豊かな美しい自然が戦禍で壊滅するような日が再び来ることがないよう叡智を集結して守り続けてください。地震や大雨といった自然災害は人の力で食い止めることは難しいでしょうが、人が起こす戦争は人の力で何とか防ぎとめることが可能なはずです。