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雀の手箱

折々の記録と墨彩画

奥州藤原三代の栄耀のあと

2013年06月21日 | 雀の足跡

 40年近い歳月が経過していますので、再訪の平泉は、高速道の整備で近くなっていました。

 瑞巌寺から一気に走り、昼食前にはもう中尊寺です。

 

 先に毛越寺に参詣して、浄土庭園を回遊する若い人たちを見送って、ひとり、かっての南大門址の礎石の列を眺めていました。金堂円隆寺はじめ、堂塔40、僧坊500あまり、中尊寺を凌ぐ華麗さを誇っていたという、堂宇は打ち重なる兵火で何一つ残っていなくて、大泉ガ池を持つ広大な浄土庭園だけがその名残をとどめています。
 この池にかかる橋を渡って参詣したいにしえ人の眼には、金堂や堂塔は極楽浄土を思わせたことと想像を巡らせながら、池に揺らぐ波紋を追っていました。
 中尊寺と共に世界遺産に登録されて、その昔はひっそりと人の気配もないお寺でしたが今は見学者も増えていました。

毛越寺

 初めての平泉に、期待の大きい一行の中尊寺では、心配する弟を先にゆかせて、昔より道幅が少し広くなった気がする月見坂を休みながらゆっくり登りました。藤原三代の栄華のシンボル金色堂は、夏木立の中にどっしりとした姿で、人々を受け止めていました。芭蕉の見た旧鞘堂や経蔵を見落とさないように伝えて、見違えるほど立派になった宝物館 讃衡蔵で、寺内17ヶ院に伝わる文化財を拝観。一字金輪坐像、紺紙金字一切経や、泰衡の首桶などに、昭和25年の学術調査の折の三代のミイラ像の話題をつい最近のことのように思い出しました。下りは若い甥が従業員用の別の通路を車で迎えに来てくれて無事下山できました。

中尊寺

 金色堂に関しては、次のサイトに案内を譲ります。

岩手日報 金色堂 学術調査
尚、豊富な画像は、ユーチューブで。

毛越寺の歴史や、復元想像図はこちらから.

 おまけの記録

 この日の宿は秋保(あきう)温泉で、政宗はじめ伊達家代々の藩主の休憩所だった、かの「佐勘」が予約されていました。「伝承千年の宿」といううたい文句通り、格式のある宿で、川沿いの風呂の中には、バラが浮かべてあるのもありました。

[佐勘」に泊まる