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雀の手箱

折々の記録と墨彩画

豊の国

2012年03月07日 | 雀の足跡
 帰りは、午後から雨の予報が朝からの小雨になりました。高速自動車道を使わず国道10号を通ってゆっくり帰ることにして10時にチエックアウトして、道の駅「新吉富」に寄り道し、時間も早いので、通りすがりに案内標識を見ては一度参詣したいと思っていた綱敷天満宮に車を回しました。梅の季節とあって道路沿いには「梅まつり」の赤い幟が並んでいました。
10号線から1キロほど海岸に出たところに海に向かって真っすぐに、松の古木に囲まれて浜の宮 綱敷天満宮は厳かなたたずまいでした。

 菅原道真公が大宰府配流の折(901年)、周防灘で暴風にあい、この椎田の浜に漂着されたのを村人たちがとりあえず船の網綱を巻いて敷物として差し上げたところからの命名のようです。
 浜から延びる参道には祭りの小屋掛けも出ていて、「梅が枝餅」など売っていました。
 境内にはそこここに歌碑や句碑が建てられていて、学問の神様を祭る社らしく、受験生の絵馬も多く奉納されています。
 神楽殿では土地の人の奉納する「おろち舞」が舞われていました。素朴な神楽囃とやまたのおろち退治の舞に古事記の世界にしばし浸っていました。
 ここも梅の花の開花が遅れていました。



























 補注 現在の社殿は、寛永14年(1634)豊前国主小笠原忠眞公と豊後国主木下延俊公によって造営されたもの。
    説明板によると、多くの知名人の参詣があり、貝原益軒も海岸の景を称え、菅公を偲び、各務支考(蕉門十哲)も「昼がほよ今宵はここにはまの宮」の句を残しているそうです。