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雀の手箱

折々の記録と墨彩画

不忘

2011年08月15日 | 塵界茫々
 66回目の終戦記念日がめぐってきました。あの日は、学徒動員先から重大放送があるから自宅待機するようにと命じられて、自宅にいました。正午過ぎ、「玉音放送」が、聞き取りにくい途切れがちなラジオの放送で始まりました。
 初めて耳にする天皇の肉声「玉音(ぎょくおん)」は、やや甲高く、全文が漢文調の難解な語句で、17歳の女学生には十分な理解はできませんでした。それでも、断片的な語句をつなぎ合わせて、降伏という言葉こそないものの、、「米英支蘇四国に対し、その共同宣言を受諾する」や、「今後の苦難は尋常にあらず…堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び…」などの言葉から戦争の終結と、それが敗戦として終わることが告げられたのだということをおぼろげながら理解しました。
 失ったものの大きさを涙とともに次々に思い浮かべていたような気がします。戦後は、すべての価値観が逆転する茫然自失の混乱と、飢えは現代を生きる人に話しても想像することは難しいと思います。

 今日もあの日と同じ照りつける日差しのなか、蝉しぐれの声を聴いています。追悼の一日、本日は画像なしです。