本当の賢治を渉猟(鈴木 守著作集等)

宮澤賢治は聖人・君子化されすぎている。そこで私は地元の利を活かして、本当の賢治を取り戻そうと渉猟してきた。

仮説を裏付けている賢治自身

2015-11-26 08:00:00 | 終焉の真実
「羅須地人協会時代」―終焉の真実―
鈴木 守
 仮説を裏付けている賢治自身
 さてここまで検証してみた限りでは、仮説
 昭和3年8月に賢治が実家に戻った最大の理由は体調が悪かったからということよりは、「陸軍大演習」を前にして行われていたすさまじい「アカ狩り」に対処するためであり、当局から命じられてその演習が終わるまで実家に戻って謹慎していた。……①
を裏付けてくれるものは少なからず見つかるのだが、一方でその反例は見つかっていない。

 しかも、この仮説をさらに強力に裏付けてくれるある人の有力な証言がまだある。ではその人とはだれか? それはそれこそ賢治自身であり、賢治が昭和3年9月23日付澤里武治宛書簡(243)で述べている
お手紙ありがたく拝見しました。八月十日から丁度四十日の間熱と汗に苦しみましたが、やっと昨日起きて湯にも入り、すっかりすがすがしくなりました。
          …(投稿者略)…
演習が終るころはまた根子へ戻って今度は主に書く方へかゝります。
の中のこの一言「演習が終るころはまた根子へ戻って今度は主に書く方へかゝります」が、他でもないその証言である。
 なぜならば、この「演習」とはあの「陸軍大演習」のことであるということがまず間違いないということは先にはっきりさせることができているから、この一言の意味するところは、
 10月上旬に行われる「陸軍大演習」が終わったら再び下根子桜に戻る。ただし、そこに戻ったならば今までとは違い、創作の方を主にする。
という決意を述べてると言えるから、この一言は仮説〝①〟を強力に裏付けていることになろう。

 もう少し丁寧に言うと。もし従前いわれてきたとおりに「遂に風邪、やがて肋膜炎に罹り、歸宅して父母のもとに病臥す」ということであれば、下根子桜に戻るのは病気が治ったならばと当然なるはずだが、そうではなくて、演習が終わる頃にと愛弟子に伝えているからである。まして賢治は「やっと昨日起きて湯にも入り、すっかりすがすがしくなりました」と9月23日時点で述べているのだから、例えば「かなり体調も良くなったので間もなくまた根子へ戻って……」というような書き方をするのが普通であろう。ところがやはりそうではないのである。しかも、もちろん当時の賢治は体調が優れなかったことはほぼ事実だろうが、それ程重症だったわけでもないこともまた同様であったことは先に検証できているからますます、賢治が実家に戻った真の理由は病気のせいなどではなくて「当局に命じられて、演習が終わるまでは実家に戻って謹慎していなければならなかった」からだということを先の一言が一層示唆してくれる。
 しかもなぜ賢治が官憲からマークされたかといえばそれは、実家に戻る前までは労農党稗和支部の有力なシンパであり、しかも周りからいわゆる「アカ」と見られるような活動をしていたからであったことはほぼ明らかだろう。それがゆえに賢治は「陸軍大演習」を前にして行われたすさまじい「アカ狩り」に遭って当局から「自宅謹慎」をさせられたということであれば、その演習が終わったとしても爾後それまでと同じような活動が許されないことは当然だったであろう。そしてそのことを賢治の一言の中の「根子へ戻って今度は主に書く方へかゝります」が示唆してくれる。もはや賢治がそれまでのような活動が許されないことを賢治は承知し、下根子桜に戻ったならばそれまでとは違って創作の方を主にすると決意したから愛弟子にもそう伝えたのだ、ということをである。

 というわけで、実は賢治自身が仮説〝①〟の妥当性を強力に裏付けてくれていると言える。そして、もしこれが事の顚末であったとするならばそのような賢治の変節については多少違和感はあるものの、それはそれほど責められるべきことでもなかろう。なにしろ私が同じような立場におかれたならば私はいともたやすくにそうしかねないからだ。
 そして同時に、私の同級生の一人Мが賢治の甥岩田純蔵教授に『賢治はどんな人でしたか』と強引に訊ねたところ、先生は『普通の伯父さんでしたよ』と教えてくれたということを最近Мから教わっていたこともあり、
 賢治が実家に戻った最大の理由は体調が悪かったからということよりは、真相は「陸軍大演習」を前にして行われたすさまじい「アカ狩り」に対処するためであった、その辺りは基本的には賢治だって我々と同じ、普通の人間だったのだということなのだろう。
と捉えて構わないのだと安堵した。そしてなによりも、そのような身の処し方をする賢治の方がかえって身近な存在と感ずることができて、賢治は実はとても愛すべき人間だったのだと私には思えてくる。しかも彼の残した作品には極めて素晴らしい作品があまたあるのだからなおさらにである。

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