本当の賢治を渉猟(鈴木 守著作集等)

宮澤賢治は聖人・君子化されすぎている。そこで私は地元の利を活かして、本当の賢治を取り戻そうと渉猟してきた。

はじめに

2015-11-16 08:00:00 | 終焉の真実
「羅須地人協会時代」―終焉の真実―
鈴木 守
 はじめに
 ずっと以前から疑問に思っていたことがある、あの「演習」とは一体何のことだろうかと。
 それは、宮澤賢治が愛弟子の一人澤里武治に宛てた昭和3年9月23日付書簡(243)、
お手紙ありがたく拝見しました。八月十日から丁度四十日の間熱と汗に苦しみましたが、やっと昨日起きて湯にも入り、すっかりすがすがしくなりました。六月中東京へ出て毎夜三四時間しか睡らず疲れたまゝで、七月畑へ出たり村を歩いたり、だんだん無理が重なってこんなことになったのです。
演習が終るころはまた根子へ戻って今度は主に書く方へかゝります。休み中二度もお訪ね下すったさうでまことに済みませんでした。豊沢町に居ることを黒板に書いて置けばよかったとしきりに考へました。こんど出るときは大体葉書を出してください。学校ももう少しでせうがオルガンなどやる暇もありますか。どうかお身体を大切に切角ご勉強ください。まづはお礼乍ら、
        柳原君へも別に書きます。
              九月廿三日

                   <『宮沢賢治と遠野』(遠野市立博物館)より>
の中に出てくる、この「演習」のことである。
 素直に考えれば、「すっかりすがすがしくなりました」というのであれば速やかに下根子桜の羅須地人協会に戻り、それまでのような営為をそこで行いたいと賢治は愛弟子に伝えるであろうと思いきや、「演習が終る」まではそこに戻らないということになるわけだから、この「演習」は極めて重要な意味合いを持っていると言わざるを得ない。そのような「演習」と一体は何のことだろうかと長らく気になっていた。

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