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(07/06/01)

ニュー・ワールド

2006年04月20日 | 丁稚 定吉の映画日記
わてが丁稚の定吉だす。
4月22日公開のニュー・ワールドの試写会に行って来ました。
キャッチコピーを作った責任者出て来い!!!
「それは、永遠に語り継がれる伝説の愛」
それってどれですか?そんな愛、ありませんでしたよ。
「それは」と「永遠に」の間に打たれた「、」が分かりません。
「それは」を強調してどうするんでしょうか?「それは永遠に語り継がれる、伝説の愛」じゃないの?どっちみち、そんな愛はないんですけど。
「タイタニック以来最高峰」ごめんなさい。わては儲ける為につく嘘が嫌いです。

出だしは非常に荘厳で、重厚なオーケストラ音楽にのせて静々と開拓民を乗せた船がアメリカ大陸に向かっていきます。この時点で早くも映像に癒されます。未開の大地では原住民が豊かな自然とともにゆったりとした時間で暮らしています。
紛れもない招かざる客。原住民とのコンタクトを取ったのがスミス大尉。囚われの身となりますが長老の娘に惚れられて愛の一時を過ごします。この描写が映像美としての評価が高いテレンス・マリックならではのもの、らしいです。観た時にはまったく予備知識がなかったのですが、納得です。自然の中でじゃれ合う二人の姿が延々と描かれますが、これもまた実に癒されます。
ただ、癒されるのが実は映像だけだということが後からわかってきます。
所詮は招かれざる客、帰国を条件にスミス大尉は解放され、いろいろあって長老の娘も追放されて開拓村へ。
このスミス大尉というのが実にダメ男。多分死ぬまで独身。本人もそれがわかってるんでしょうけど。来られちゃうと困っちゃう。イギリス人と現地人、という距離感があるからこそ成立した関係が一変してしまいます。
で、女性に対してしちゃいけない言動を思わずしてしまいます。思いを受け止めきれなくて、嘘をついてまで逃げちゃう。最悪です。
でもキャッチコピーの嘘と違ってこの嘘は許したいんですよ。バカだしガキだけど、でも誠実さゆえの嘘だから。
でもそんなものが伝わるわけがありません。coccoの「強く儚い者たち」という故事の通り、逃げられた娘の方は傷心の日々の後に近づいてきた優しいバツイチ男と家庭を持ちます。
そしてスミス大尉と再会。さぁどちらを選ぶでしょう?って…そんなものは形式的な2択でしょ。答えは一つ。もはやドラマでもなんでもありません。片方をバッサリ斬捨てておしまいです。会うまでは迷ったように見えたりもするのですが、会った後、未練を言われた後のバッサリ具合がたまりませんわ。
ところがこのバッサリがゆったりとした映像美だったりするわけですよ、これが。もう、やってらんね。
ちょっとでも女性不信の気があったら、この作品は観ちゃいけません。その不信が2割は増します。

一方で「顔だけ良くて頼りない男に騙されてたのに目がさめて誠実な男と一緒になって良かったね。それだけの話の割りにずいぶん長かったけど」という見方もあるんでしょうけど。

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春が来れば

2006年04月18日 | 丁稚 定吉の映画日記
わてが丁稚の定吉だす。
韓国映画の「春が来れば」を観て来ました。
本当に「地味」という2文字が似合う映画でした。地味って、文字通り味なんです。
その味の大きな要素がチェ・ミンシク。「オールド・ボーイ」で有名ですけど、わてにとっては「親切なクムジャさん」でチャングムのイ・ヨンエに殺される先生の役が強烈でした。変人・狂気の似合う人…ではなくて、微妙な演技が求められた時に確実に応えられる人です。
「親切なクムジャさん」を見た時にも思ったことですが、本作でますますその思いを強くしました。「この人の舞台(演劇)を見たい」って。
プロのトランペッターになる夢もかなわず都落ちして中学校での音楽指導。しかしそこで出会う人たちや生活に触発されて立ち直ろうと…
と書くと「歓びを歌にのせて」とか「スウィング・ガールズ」みたいな感じですが、ドラマティックな出来事はなにひとつ起こりません。
ストーリーは…ないと言っても過言ではありません。でも陰鬱として流れてきたチェ・ミンシクが晴れ晴れとした表情でソウルに戻る、そこに非常に説得力があるんですよ。
見よ、この屈託のない表情を!

「音楽とはこうあるべきだ」とか「俺の本来の姿は」なんて独身男が持ちがちなつまらないこだわりや束縛から逃れて再生、なんて理屈じゃ説明しきれない表情ですよ。
まぁ再生というか、最初から生きてないも同然ですけど。
この後、桜並木のこのベンチで昼寝。ああ、春っていいなぁ、って感じの作品でした。

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連理の枝

2006年04月15日 | 丁稚 定吉の映画日記
わてが丁稚の定吉だす。
4月15日公開の連理の枝を観て来ました。
化学調味料たっぷりの不自然に旨味があってコクがまったくない料理を食べたような、味わいの割りにアンバランスで不安な作品でした。
全ては様式美のような予定調和の世界の出来事で、その世界の持つ魅力にはあふれているのですが、この作品ならではのものがなにもありません。
あ、一つありました。「実は不治の病」にかかったヒロインはいくらでもいますが、「実は不治の病」にかかったヒーローってのはあまり見かけません。ましてヒロインもヒーローも「実は不治の病」って、やり過ぎでしょ。
ところがヒーローの不治の病という設定があまり生かされていないような感覚をずっと持って見続けるハメになりました。伏線をはりまくったあげくに放ったらかしにして終わる消化不良の映画というものは珍しくありません。でもヒーローが不治の病という重大な設定が生かされない映画って…と思っていたら最後の最後にこの設定を利用した泣かせがありました。でもたった1回の泣かせ場面のための設定なんですよね…。贅沢というか無茶しやがってというか。どっちにしても「こんな重大な設定を放ったらかしにするの?」という不安を拭い去ることが出来ませんでした。それほどにこの作品の作りこみ方が「辻褄が合わなくても泣かせてしまえば勝ちよ」という精神に貫かれている感じがしました。
ただ一点、スクリーンで見る価値があるといえば、ラストでのチェ・ジウのドアップ数10秒。このスクリーンドアップ数10秒に耐えうる顔って他には原田知世様以外に思い浮かびません。
といった後半の感動編よりもわては前半のアジアンラブコメ編が非常に気に入りました。もともとわての映画人生はチャイニーズ・ゴーストストーリーから香港映画にハマり、香港のアイドル・ラブコメあたりから日本、台湾の安っぽい青春映画っぽいものをみるようになった経緯がありまして。直視に耐えない恋に落ちたバカ、大好きです。
でもそれはこの映画が計算し尽くして狙った楽しみ方とは違うんでしょうけど。
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LIMIT OF LOVE 海猿

2006年04月15日 | 丁稚 定吉の映画日記
わてが丁稚の定吉だす。
5月6日公開の「LIMIT OF LOVE 海猿」の試写会に行って来ました。
単純、明快、かつ最強の娯楽映画でした。
ただ「え?こんな終わりかたなの…?」って誰もが抱くであろう感情はシリーズをずっと追ってきた人のほうが遥かに重いでしょうね。数年後にテレビでオンエアしたら放送事故になるんじゃないかという長い沈黙が印象的でした。
静岡での試写会って公開の2-3日前ってのが多くて、何でこんなに早い時期に試写会をやるんだろ?って思ってたらサプライズゲストで加藤あいがキタ Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒(。A。)!!
ローカル番組での特集の収録を今日やったそうで。力入ってます、フジサンケイグループ。生で見た加藤あいは色が真っ白で目が大きくて顔の作りがシャープでいて、しなやか。顔の中に川が流れているような涼やかさでした。

加藤あい登場も驚きましたが、この映画も驚きました。
もしかして本当に1万トンの船を沈めて撮ったの?ってくらい。最後の爆発から沈没までのCGはちょっとアレでしたが、傾いてた姿は本当に船を傾けたんでしょ?違うの?
斜め45度になっているのに水が垂直に落ちてきたりとか、計算された都合のいいアクシデントが起きて歯を食いしばって解決する場面の連続で、まるでリポビタンDのCMみたいだとか、ツッコミどころは多々あります。しかし映画・テレビ・映画と続いて入れ込んで来た役者の熱演派手な仕掛けの織り成す圧倒的な迫力の前に、ツッコミを差そうとした指の持っていきどころがなくなる感じです。
子供の頃からこの手のパニック脱出ものの洋画をよく見てきましたが、いい意味で洋画劇場クオリティの邦画を見れる日が来るとは思いませんでしたよ。
この邦画という親近感がなんともいえません。この作品を見てる間中、わては「ああ、アメリカ人ってのはこういう親近感を持って映画を楽しんでいるんだな」ってうらやましがり続けていました。だっていままで客を引きつけ手に汗握らせ続ける世界はテレビにしろ映画にしろ、遥かかなたの外国だけだったんですから。
今まで「邦画」という2文字がもたらす親近感というものは、内輪で出来の悪さを誤魔化す効果でしかなかったことをはっきりと自覚しました。
惜しむらくはこれが日本であってもわてにとってはアメリカ並に遠い鹿児島であったことでした。
鹿児島の人には全員に見て欲しい作品です。もちろんすべての日本の人にも。


2006年5月7日
海猿(on TV)をupしました。
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タイフーン

2006年04月09日 | 丁稚 定吉の映画日記
わてが丁稚の定吉だす。
4月8日公開の韓国映画「タイフーン」を見てきました。
言語明瞭意味不明瞭といわれた総理大臣が日本にいましたが、この作品は表現明瞭意味不明瞭といったところでしょうか。チャンやん、アンタなに言いたいねん?って感じです。
米軍の秘密兵器を民間船舶で輸送中に海賊に襲われます。その海賊が実は北朝鮮からの脱北者。亡命を認められずに一族郎党皆殺しにされ韓国を恨んでいます。姉が生きていることを知り駆け付けますが身柄はすでに韓国のエージェントが確保した後。取引、脱出、そして韓国人を皆殺しにするために台風に向けて出航…
いきなり始まる大型船襲撃の不気味さといい、極東って韓国を中心に回ってるのかと思わせる説得力ある展開といい、アクション・ドンパチの派手さといい、一部のCGを除いて迫力は満点なのです、が。
高さ10メートルの大波が来るような台風なのにヘリコプターで突撃してゴムボートで移動出来るくらい凪いでるとか、ツッコミどころはごまんとありますし、例によって「さあ!ここで!泣いて!ください!どうぞ!」みたいな過剰な演出もありますし、勢いで押しまくる、期待していたような(ハリウッド模倣の)韓国映画でした。
ただどこか物足りなさが残る¥りました。なぜだろ?と考えたのですが、主題がハッキリしていないからではないでしょうか?それが姉弟愛なのか、国家への忠誠心なのか、男の友情なのか、家族断絶の悲劇なのか…
韓国映画はなりふり構わず訴えたい主題を一点突破してくるという印象があるのですが、この作品では主題としてなにをいいたいのかよく分からないからチャン・ドンゴンの行動もわけがわからないのだと思います。腐った国を皆殺しにするのに一部の風船には時限爆弾を付けていないことに納得のいく説明がありませんし、説明みたいなセリフの通りの目的だとすれば「腐った国を皆殺し」と矛盾します。
切なさは十分に感じられます。でもその切なさの正体を見極めようとすると説明不足なんですよね。チャン・ドンゴンの凄まじき演技力に頼りきった切なさです。
と、油断していた最後の最後、ホワイトクリスマスはわてにとっては闇討ちで半強制的に感動させられてしまいました。不覚。

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プロデューサーズ

2006年04月06日 | 丁稚 定吉の映画日記
わてが丁稚の定吉だす。
4月8日公開「プロデューサーズ」の試写会に行って来ました。ミュージカルという表現方法といい、下ネタを散りばめた演出といい、一昔前のアメリカの雰囲気といい、コメディーのアメリカンな内容といい、見る人を選ぶ映画だと断言しておきます。ただどんな人が選ばれるかは見てみないと分からないと思います。
つーか、こんなに評判がいいのにミュージカルが好き、コメディが好き、下ネタが好きのわてが置いていかれるとは思いませんでした…。夢を実現させるぞ!というあたりまでは感情移入しまくりだったんですけど。
ミュージカルには2種類あります。「なぜ歌うの?」という永遠の謎を無視する作品とそうでない作品と。この製作者側の意識の違いは最終的にはミュージカルに馴染みのない観客を置いていくか手を差し伸べるか、という形で現れます。この作品は明らかに後者。出来る限りミュージカルに馴染みのない観客でも置いていかないような努力が見て取れます。
例えば最後の法廷の場面。ちょいとした感動の曲を歌い上げた後に入る「君って歌が上手いんだね」というツッコミ。わてはここで一番笑いました。はっきりとした製作者側からのメッセージを感じ取ったからです。「厳粛な法廷で論理的な証言の代わりに感情的に歌うなんておかしいですよね。それは私たちも十分わかっています。でもミュージカルってそれを補って余りある表現手法でしょ」ってメッセージを。
不自然に歌い出すことも少なく、感情の爆発から歌に移行する場面など説得力十分です。けど一方でミュージカル臭さが薄いって感じです。名曲といえるような曲もないですし。
ストーリーはブロードウェイでプロデュースをしたいという夢を持っていた単調な生活の会計士が仕事で胡散臭い業界人と出会い、絶対に失敗する公演をすれば大儲けが出来ることに気付き夢のカネのために奔走します。親ナチスの脚本にゲイを広めたい演出家。しかしそれが思いもしない作品になり大ヒット、そして片や留置所、片やバカンス…
この作品よりも劇中劇「春の日のヒトラー」の方が通しで見てみたい魅力にあふれてました。ヒトラーの登場場面での出の笑顔がなんとも印象的です。
正直なところ、ミュージカル映画である必然性がさほど感じられなかったのが残念でした。舞台の劣化コピーだとまでは酷評しませんが、ブロードウェイ作品を映画化するなら映画でしか見せられないものを見たかったと思います。
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ファイヤーウォール

2006年04月02日 | 丁稚 定吉の映画日記
わてが丁稚の定吉だす。
4月1日公開「ファイヤーウォール」を観て来ました。
なんか幕の内弁当みたいな映画でした。
無難な材料でバランスの取れたよくある献立。調理人に腕があるから結構美味しいけど、午後になったら何を食べたか覚えていない、みたいな。
ネットバンクのセキュリティ担当者が家族を拘束されて(ソーシャルハッキングですな)自分の作ったシステムに不法侵入して…というと動きがなさそうなストーリーですが、後半は完全なアクション映画と化します。ハリソン・フォードって年いくつでしたっけ?年齢を忘れさせる動きでした。
謎解きありスリルありアクションあり、善人がいて悪人がいて、起承転結があって最後はハッピーエンドと。
特に思い入れもなく、お仕事で作った印象がぬぐえませんが、でもこうやって客をあまり飽きさせない作品を大騒ぎすることなく普通に作れるところが凋落したとはいえ洋画の地力を思い知らさせます。
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クラッシュ

2006年03月31日 | 丁稚 定吉の映画日記
わてが丁稚の定吉だす。
2006年アカデミー作品賞のクラッシュを観て来ました。
今年のアカデミーは不作だの小粒だの政治的判断だのという騒音に惑わされてこの作品を過少評価してましたよ。
人種差別とか暴力とか、いろんな切り口があるでしょうが、もう少し別の面から。
わても英語はさほど理解出来るわけじゃありませんが、それを差し引いても差別と憎悪に満ちたスラング交じりで感情的な英語のわかりにくさが印象的でした。英文解釈をしようという理性が登場人物のあまりにも激しい感情を拒否して思考をシャットアウトしたのでしょう。内容は聞き取れなくても彼らの伝えようとするところはこの上なく伝わってくるのが恐ろしいです。
人は心と心を触れ合わせることを求めています。でも心には壁があります。(エヴァで言うところのATフィールドですな)
その壁をいともたやすく突き抜ける強い感情を人は持っています。
文字だけでは伝わらない、音声や身振りだけでは伝わらない、でも伝えたい・伝えなければならない思い、伝えられたいメッセージ、それらを必死で込める人、読み取ろうとする人、しかしそれは時に伝わりません。文字や言葉、動きだけでしか判断できない人、局面がありますから。そして時になにもないところからさまざまなものを受け取ることもあります。伝えるつもりのないものが伝わったりもします。
特に言葉を有用に使える能力のある人、他人を思い遣る心の強い人にはそういった齟齬が生まれる傾向が強いのではないでしょうか?
また意図という理性と愛・憎悪という感情、そのふたつが違う場合、一体何が、そしてどうして伝わるのでしょうか?
以上、わての中では非常に良くまとまった文章なのですが、第三者視点から見るとさっぱり分かりまへんな。
でも「答えのない映画」に速攻でブログで答えを出そうとするとこうなってしまいます。難しいですよ。この映画を見てインスパイアされた詩を500篇書いてもいい、と言われたらどんなに楽なことか!
時間をかけてこの項を何回も書き直すことになると思います。そういった咀嚼に事欠かない作品でした。

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残された家族の悲しみ

2006年03月29日 | 丁稚 定吉の映画日記
わてが丁稚の定吉だす。
「残された家族の悲しみ」を観て来ました。
期待していたようなリアリティに欠けるくどい演出や偽善性がなく、案外あっさりと、それでいて役者がしっかりしていた作品でした。
ストーリーは会社の飲み会でへべれけになった加害者が車を運転して帰る途中に4人跳ねて死なせてしまって警察に捕まる一方で、お母さんをなくして父子3人の家庭になってしまった家族を描きます。最後には父子で力をあわせてがんばろう!なんて感じのハッピーエンドになりかけたところで、最後にしっかりとアンハッピーエンドにもってくるところがさすがに警察の交通教育映画でした。
でもクライマックスでの子供の野球の試合のビデオを見ながら涙する場面、プレーする子供が映った次の場面でカメラが切り替わって応援のお母さん、そしてカメラが切り替わって子供の試合、ととてもホームビデオではありえない映像になんだかなー感が否めなくてイマイチでした。
あと、飲み会で加害者に嫌味を言って大酒を飲むキッカケを与える副店長みたいのがエーツーの専務に似てて不謹慎ながら出てくるたびに口元が緩んでしまいました。
これは誰でも見れる作品ではありません。静岡南警察署管内では優良運転者が免許更新時に入口付近の衝立の陰でこそこそ見てる映画とは内容が違って、交通違反をした人だけが違反者講習で別室を用意してもらって見れる特別な作品です。

禁固2時間の内訳はこの映画が21分、休憩5分、残りは催眠術の実習でした。
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50回目のファーストキス

2006年03月26日 | 丁稚 定吉の映画日記
わてが丁稚の定吉だす。
50回目のファーストキス、次世代DVD版(と廉価版)が出るようです。
駿河屋在庫はこちら
うーん、この作品をこういうプロモーション的に使われるのは複雑な思いです。
だったらなんで公開時に力を入れて宣伝しないんだ!!!!って思いと、さっぱり当たらなかったけどやっぱりこの作品には力があったんだ、って思いとで。
ストーリーは陳腐、仕込まれたネタもありがち。
ハワイの遊び人がかわいい女の子に一目ボレ。速攻ナンパしてハッピー、しかし翌日、彼女に声をかけると冷たい。そのわけは彼女の記憶は1日たつと全て失われてしまう…
これが韓国映画だったらウェットでベタベタな映画になっていたことでしょうし、それはそれでいい作品になったかもしれません。しかしこの作品は舞台となったハワイの空の青さにも似た爽やかさが秀逸です。その爽やかさとハワイアンかアメリカ人かは分かりませんが彼らのユーモアで心が開かれるからこそ、涙が引き出されやすいのかもしれれません。
泣ける映画はたくさんあります。笑える映画もたくさんあります。
しかしここまで泣き笑い出来る映画がどれだけあるでしょうか?
この映画の登場人物は全員不幸です。
でも主人公の1人は記憶喪失で不幸だということに気づかない、もう1人は記憶喪失の彼女に毎日出会って愛を告げることがが幸せだと思う。(ある意味キャッツアイの最終回みたいです。「瞳ともう一度恋ができる」)それが周りにも波及してきて、しぶとく不幸を引きずっていた親父までもが最後はハッピーになる、映画全体からハッピーな空気が客席に伝わってきて観てる客までもがハッピーになる、まさにハッピーの連鎖が生まれる21世紀の名作です。
人の趣味好みは千差万別ですが、それを承知の上で全ての人にお薦めします。

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サウンド・オブ・サンダー

2006年03月24日 | 丁稚 定吉の映画日記
わてが丁稚の定吉だす。
3月25日公開「サウンド・オブ・サンダー」の試写会に行って来ました。
いい意味でも悪い意味でも懐かしい感じのSF映画でした。
西暦2055年、タイムトラベル会社のツアー客が1.3グラムのなにかを持ち返ってしまいます。「過去を変えない」という絶対のルールが破られ、過去が変わり、白亜紀以来の進化の変化が何回かの波となって一挙に押し寄せてきます。
人類に変化をもたらす最後の波が来る前に原因を突き止めて戻すことが出来るのか?
「ルールは破られた、未来は守れるか?」それこそヒットした「アイ、ロボット」のキャッチコピーですが、レイ・ブラッドベリ原作の、まさにSFが熱かった時代の王道を行く映画です。
SFが熱かった時代・・・70年代ぐらいでしょうか?
この映画の最大の難点は1970年代のようなチャチいCGを2006年の今日にリアルタイムで
見せてしまうことに尽きます。このしょぼい画面を大きなスクリーンで見て楽しむには相当の人生修養が必要です。
水害で被害が出たり、制作会社が倒産したりで資金が尽きた、ということらしいのですが…。
とはいえ資金があるうちに作ったと思われる変な進化をした「トカゲオラウータン」とか「毒性巻き付くつる草」とか「口割け太刀魚」とか「虫」とか、キモイ怪物はなかなかの見物です。それに呆れるくらいCGがしょぼいのも序盤だけで、中盤以降はそこそこというか、なかなか見れるレベルです。
ストーリーとしてSFの説明的な要素にやや欠けて話ハショリすぎのきらいもありますが、上映時間を考えるとこういう構成になってしまうのかもしれません。
しょぼさのファーストインパクトに負けずに温かい目で見守ってあげたい映画でした。
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SPIRIT

2006年03月19日 | 丁稚 定吉の映画日記
わてが丁稚の定吉だす。
3月18日公開のSPIRITを観て来ました。
ジェット・リー演じる霍元甲は実在の人物で、日本で言えば力道山のような実在の伝説の存在。実際の死因とか戦いの経緯なども史実では不明らしいです。
父は甘さを見せる格闘家、その父を超えて天津一の格闘家を目指して戦いに明け暮れます。そして最後の1人を倒すのですが…
ジェット・リーはダニー・ザ・ドッグを演じた頃に比べて太って見えました。役作りなのでしょうか?
そして動きがトロい。なんか一線を退いた元スターみたいな感じで。
演技は見るからに作り笑いで薄っぺら。演出がわざとらしい。音楽も軽い。ファンはどうなんだろ、この作品…
とあくびをかみ殺して見ていましたよ、序盤は。でもそれも演技・演出だったんでしょう。
中盤から変わってきます。放浪から自然の理とともに生きる田舎の村に流れつき暮らしていく雰囲気がなんとも言えません。癒されます。
メチャクチャに速いだけが取り柄の田植えをしていた生き急ぐ人生から風が吹けば身を任せるようになるまでの生活の変化、ここをもっと膨らませてほしかったなぁ。
で、後半に来るとジェット・リーが全然違うんですよ。なんか晴れ晴れしてて。
音楽もヤケに重低音が響くようになるし。アクションの動きにしても序盤に見られたような無理な動きを必要最低限に抑えて、自然にすんなり入って行けます。
一度入りこめなかった映画に急に入り込むと一気にクライマックスに引きずりこまれて妙に涙もろくなってしまいます。
CMで言う泣ける映画ってのもあながち間違いじゃありませんが…
でもCMではジェット・リーと並ぶ存在のようだった中村獅童は完全に助演でした。
戦いに明け暮れて中身のない薄っぺら前半生。
人生の真実に触れて、それを全うすることに捧げた後半生。
この対比が見事な秀作でした。
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子ぎつねヘレン

2006年03月14日 | 丁稚 定吉の映画日記
わてが丁稚の定吉だす。
3月18日公開「子ぎつねヘレン」の試写会に行ってきました。
実はわては北海道の出で、人命に関わる危険のあるエキノコックスという北海道特有の寄生虫について教育を受けてきました。エキノコックスは主にキツネに住んでいるため
「キツネのいる山では生水を飲んではいけません」
「キツネに触ってはいけません」

「キツネ狩りに行くなら ララ気をつけておゆきよ」
と教育を受けてきたもので、キツネとは恐ろしい生き物だという刷り込みを受けています。だからコツネがかわいいというこの映画の大前提を共有できずに、疎外感を感じてしまいました。
本編中ではエキノコックスに対する配慮はされていました。主人公の少年が勝手に触って叱られていましたし。
映画としては完全にお子様向けです。クドイほどに分かりやすいです。演出も設定もありきたり感がぬぐえません。動物を愛する貧乏家族をとりまくおもしろ動物。ありがちです。
観客の興味は要するに「ヘレンって死ぬの?」ってことに尽きるでしょう。見せる側もヘレンの生死をクライマックスに用意するという実に分かりやすい展開。
で、ある場面でのこと。ばったりと倒れるヘレン。
その瞬間。
300人満員の場内のあちこちから
「あ、死んだ」「死んだ」「死んだの?」「死んだよ」
そこにしか興味が持てないから待ってましたとばかりに思わず声に出ちゃったんでしょう。でも死んでもいないのに死んだ死んだって声に出すのはいかがなものでしょうか?
とはいえ死んだ死んだの親子とわてとの違いは単に声に出すか出さないかの違いに過ぎなかったりするわけで。
わても思いましたよ。「あ、死んだ」って。
そんなわても主人公の少年と同じ位の年のころに飼っていた十姉妹に三重苦のヒナが生まれて、人格形成に大きな影響を与えられたなんて経緯があります。この少年がどんな大人になったのか、非常に気がかりです。
ペットといろんな思い出があればツボにハマる部分があるかもしれません。
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イーオン・フラックス

2006年03月10日 | 丁稚 定吉の映画日記
3月11日公開「イーオン・フラックス」の試写会に行って来ました。
近未来、ウィルスで人類の大多数が死滅、残された人類の末裔は壁の中の管理された社会の中で自由のない生活をしています。失踪者が多発してもその情報が握りつぶされる管理社会に対するレジスタンス…
まぁええわ。ストーリーを紹介するのもアホらしい。
この作品においてはストーリーは後づけ。もともとはアメリカで人気のコミックだそうですが、どうでもいいです。舞台設定も世界観もテーマもすべてセリフで説明されるような薄っぺらいもの。
ストーリー自体にやや思わせぶりなところがあって「グッドチャイルド」からロスチャイルドをイメージして左翼レジスタンス映画と受け取るような見方もあるでしょう。
ただ、わてはむしろこの映画の日本臭(和傘をさしてる人が何回も出てきたり日の丸やら「イナリ」やら日本庭園のような作り込まれた舞台とか)とクローンのつながりから輪廻転生思想を想起しました…でもそう解釈すると黒髪のセロン女王様がクローンという輪廻転生と戦うという構図になってしまうわけで。
いろいろありそうで、しかしどうも上手く説明のいく解釈が出来ずにいます。
製作者側がなんも考えずにいろんな要素をゴチャゴチャ取り入れることによって受け手が勝手にいろんなことを示唆してるような受け取りかたすることを期待していると言ってはいい過ぎでしょうか?
まさかこの作品は単にシャーリーズがヘンテコなカッコをしてみたかっただけとか?
そのヘンテコなカッコをしたシャーリーズが実に美しいんですわ。まさに倒錯の美。
もうね、あのボンデージ姿には「セロン様、この卑しい下僕めを踏んでください」って土下座出来ます。
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力道山

2006年03月04日 | 丁稚 定吉の映画日記
わてが丁稚の定吉だす。
3月4日公開の力道山を観てきました。
一昔前、80年代から90年代のプロレスファンでもあるわてのお目当てはやはり武藤敬司・船木誠勝・最後の橋本真也、そしてリック・スタイナー。
いやぁ船木縮んだなぁ…貴乃花親方のまわし姿を見たとき並みのショックでした。
とはいえそれなり以上の体ではあるんですわ。その船木とタッグを組んで見事なタッグチームに見えるソル・ギョングって役者、この人はすごい。体を筋肉で大きくするのは並大抵の役作りじゃないですよ。
プロレスシーンも今風のクラシカルプロレスという感じで見応え十分な内容でしかも結構量が多く、天龍源一郎がやっていたWARのプロレスってこんな感じでした。
ソル・ギョングも天龍に似てたような気が。
力道山の闇とか真相とかいった事実描写は今まで語られている以上のものはありませんでした。
その代わり中谷美紀が美味しすぎ。力道山との心のつながりがキメ細やかに描かれていました。予想外の清楚で上質な恋愛劇にになったのは力道山の本妻の存在を完全に消し去っていたからでしょう。
セリフや表情といった直接見えたり聞こえたりするものではなく、構成や雰囲気といった間接的に心に訴えてくる描写まで重層的に感じ取れないと下手すると中谷美紀が単なる男にとって都合のいい女に見えてしまうかもしれません。そうなるとこの作品の価値は半減です。そんなことを分析する時とエンドテロップのハングルだけは韓国映画っぽいところでしたが、本編を楽しむうちは邦画そのものでした。
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