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晴耕雨読?それとも晴耕雨打?

仕事・家庭菜園・囲碁・アンネのバラ・そして旅行。結構忙しい。

アンネ・フランク展

2012年06月11日 17時42分00秒 | アンネのバラ

綾部グンゼで開催されてたアンネフランク展に行ってきた。

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ナチスドイツによるユダヤ人隔離政策に始まる一連のユダヤ人虐殺の記録やアンネ一家の隠れ家の模型などどの展示物があった。人類の歴史上稀有な人種差別政策であるだけにどの展示物も見過ごすことのできないものばかりであった。

2012061001 右上がアンネ姉妹の部屋。わずか3畳あるかないかの小さな部屋だった。

2012061005 アウシュビッツ収容所のゲートの模型。「働けば自由になれる」と書いてある。

会場の一角に杉原千畝の記事があった。彼は外交官という立場を超えて、多くのユダヤ人が脱出するためのビザを発行した。それによって6000人以上のユダヤ人が救われた。帰国後の彼の生活は決して恵まれたものではなかった。ほとんどの日本人は彼の人道的行為を知らなかったが、戦後彼を探し当てたユダヤ人と杉原家との交流が始まった。もっと多くの人に彼のことを知ってほしい。ユダヤ人を助けたドイツ人オスカーシンドラーとともに。

昨年11月94歳で他界した父も華中、台湾と2度の出征をしている。平素は声を荒げることなどただの一度もなかった父だが、戦争時代のアルバムを見ると、「今日は○○が帰ってこなかった。明日は仇打ちだ」というようなメモが写真の横にあった。

戦争は人格を変える。しかし、花をイメージしながら銃を撃つ兵士はいないだろう。戦場のあちこちに1輪でも多くのアンネのバラが咲くことを願っている。

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アンネの父オットーフランクさんの言葉に、「ただ同情するだけでなく、平和をつくりだすために何かをする人になってください」

私はアンネのバラを増やしていきたい。


綾部バラ園

2012年06月01日 18時24分58秒 | アンネのバラ

今日は、綾部バラ園のバラを見てきた。
アンネのバラを中心に、色々な種類のバラが植えられ、見事に咲いていた。
ここのバラは、多くの人がバラに思いを込めて植樹したもののようである。
日頃の世話は、バラ園の職員さんらしき人たちが丁寧に世話をし、その費用を賄うために、カンパ箱を置いたり、バラの苗を販売したり、していた。少しでもカンパになればと思い、肥料を1袋買ってきた。
アンネフランク展が6月10日から始まる。できれば見に行きたい。

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下の2枚は我が家のバラである。

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記念植樹の桜の手入れ

2011年07月03日 21時09分13秒 | アンネのバラ

2003年3月に市の公園に植えた桜の手入れをしてきた。蒸し暑い日だったが年に1度の手入れ、笹の根切り、除草、施肥をして落ち葉で覆っておいた。植えた時は50センチにも満たない小さな枝だったが、今では2mを超えるまでに成長した。同時期に多くの人たちが植樹をしており、来年の春には花見の会を計画中だとか、今から楽しみである。

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我が家の庭には、アンネのバラの2番花やテッポウユリが咲き始めた。

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また、地を這っていたキュウリの脇芽が根づいていたので、親ヅルから切り離し移植した。

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左の写真の節のところに白くとげのように見えるのが根。畝に横たえるようにして移植した。