天真爛漫 ぼやき日記

大相撲、野球、音楽鑑賞、写真大好き。二児のママ。

おじいちゃん、ありがとう。お疲れ様。

2009-05-22 18:58:02 | 生きるために。

今日も、朝早くから伯父と弟が病院に向かう。

今すぐどうこうってことはないってことで・・伯父は、京都に一度戻って、すぐ病院に戻ってくることになってた。

祖父の妹Aさんは、祖母の施設にまで行ってくれた。で。。また家族さんが迎えに来てくれるとのことで、私と一緒に祖父の病院に。私も夜勤だし・・朝はあいてたし・・

Aさんの話では、朝方血圧が50まで落ちてたが、また60まで持ち直したとのこと・・

10時過ぎ・・そろそろ迎えに来られるとのことで、玄関下まで見送り・・

私と弟は祖父のそばについてた。まだまだ目も動いてる。今晩も大丈夫かな・・・

じっと見つめると。。のど仏動いてる・・

昨日ほど、息は元気じゃないけど・・確かに動いている。動いている。

それから、暫くして。。看護師さんと担当医が入ってきた・・

担当医「家族さん来られますか?すぐ呼んで下さい。」

心電図の反応が無くなったらしい・・・弟はちょっと部屋の外に・・私はとりあえず。

母にすぐ来るように伝え、帰途途中の伯父、まださっき出たばかりのAさんに電話。

急変したわけです・・・

看護師さん「手を握ってしっかり横について上げてください。」

脈が取れない様子・・・

握ってるときに弟から電話・・「つながったか?」

なんだか私も耐え難い・・

看護師さんが、目を確認して戻っていく。

私「つながったから、早く戻ってきて。」

弟と一緒に祖父と手をつなぐ。

担当医「家族さん来られたらすぐに連絡下さい。」と間に合わないかもと言われた・・

叫ばずに入れなかった・・「じいちゃんしっかりして・・まだ行ってないとこあるんやから・・」等々・・

くしくも。。弟の22歳の誕生日・・

「じいちゃんM君誕生日やで・・祝ってやってよ・・」

母が到着。

すぐに弟に連絡してもらった・・

そして・。。Aさんが戻ってきた。

暫くして・・担当医入ってきて・・

目を確認・・

「10時45分永眠されました・・・」

 

信じられなかった・・さっきまで目が動いてたのに・・

まだ動き出しそうなのに・・

なんで・・まるで眠るように・・すーっと。。

 

暫くして・・車を停めてた父も来た・・残念ながらギリギリ間に合わず。。

遺体に服を着せるため・・家族は、待合室へ・・

そうこうしてると。伯父も戻ってくる・・

その間色々手続きがある。。。

あわただしくて・。。悲しんでる暇もなし・・なんだか病院も早く追い出したい様子だし・・

葬儀屋にも連絡。

 

祖父のいる部屋に戻ると。。顔には白い布が被せられてる・・

うそだよね・・・

なんで・・・さっきまで動いてた・・

 

その後は・・葬儀屋に行き・・相談。。私と両親とAさんと伯父で参加。

祖父の遺体を目にしても実感がわかない・。。まだ目を開けそうなんだもん・・

 

そして。。このことをまだ祖母には知らせていなかった。。

どう伝えればいいのか・・そこが問題・・

夕方17時過ぎ・・

母が言うより私が言うほうがいいと思い・・私が切り出す・・

私「おばあちゃん・・元気?」

祖母「何??」

私「あんな・・じいちゃん・・今朝亡くなってん・・」

母「そうやねん・・亡くなってん」

祖母「お父さんが死んだの?何で?何で?私も死ぬ・・」

私「私が行って、暫くは・・・反応もあってん・・それが急変してん」

祖母「何でそんな早いの・・私を置いていくの?約束が違うやん。会いたかった」

母「一昨日会ったよ・・」

私「そうだよ。。おばあちゃんの声かけのおかげで2日間長く生きたんだよ・・」

祖母「そう・・・」

母は、施設の人と話があったんで・・その場を離れました・・

私「そうそう。・・じいちゃんとM君性格似てるせいかな・・今日M君の誕生日やで」

祖母「そうか・・絶対忘れられへん命日やわ。」

私「心配な孫のためにがんばったんやね」

なんて会話も・・

 

時々・・「お父さん返事して~」等々。。訴えはありました。

でも。。やっぱしっかりしてるんでしょうね・・

「私の服あるかしら?」「棺にはしっかり花入れてやって」「私が、ちゃんと見守ってやらんとあかんねんな」とか・・すごく積極的な言葉もちょくちょく出てきた。

 

私が帰ることを伝えると・・

「気をつけて帰りなさい・・」とやっぱここはおばあちゃんだって思いながら・・

何とか伝えた・・・今頃またパニック起こしてるかもしれない・・。

でも伝えた・・・

ほんとに・・弟の誕生日とも重なるなんて忘れられない命日です。

 

おじいちゃん・・いろんなとこ連れてってくれたり・・今までいろんなことありがとう・・そして病気との闘いお疲れ様。

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ただ祈る。

2009-05-22 01:08:03 | 生きるために。

家族親戚から、最近の記事を新カテゴリーでに移しました。

 

祖父の血圧はまた下がった様子。いつ急変するかわからない・・・。

http://blog.goo.ne.jp/sumolove115/e/e60557d9cde4f9b0ce404f50f120505b

仕事中も時々メールを見てました。

10時に仕事終えて、すぐ自転車で病院に向かう・・京都のいとこも顔だけ見たらしい・・・

声をかけたら反応があった・・。

私「おじいちゃん。。おばあちゃんに怒られるよ。。元気出してよ・・」

祖父の妹Aさんも、昨日に続いてはるばる来てくれた。そして、病院に泊まってくれてます。

 

伯父は現在うちで泊まってます。

 

ただどうすることも出来ないことが歯がゆい・・

ただがんばれって言うことしか出来ない・・・

 

おじいちゃん。。まだ一緒に出かけてないとこ一杯あるんだよ。。

相撲も、野球も、そして大好きなラジオ局(朝日放送)のイベントも(小さい時に行ったけど覚えてない)。。

行こうって言ってたやん。急がないでよ・・もう一度奇跡の復活見せてよ・・・

じいちゃんがんばって。ただそれしか祈ることが出来ないけど・・

行けなくてもいい・・せめて千秋楽一緒に見ようよ。。

まだ相撲もやってるよ・・。

野球だってこれからだよ。。写真だってまだまだ見せるんだから・・・

ねえおじいちゃんお願い頑張って声も聞きたいよ・・・

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祖母の言葉

2009-05-20 15:45:59 | 生きるために。

今日は、午後出勤の予定でした。


10時前のこと。祖父が入院してる病院より連絡がありました。


母がちょうど出かけてて・・


「おじいさまの血圧が下がって危険な状態です」とのこと・・母の携帯に病院から連絡が行き、母から家に電話。


母がすぐ戻って来てタクシーで一緒に行きました。


伯父がちょうど来る日だったんで・・。連絡するとちょうど一駅前のところ。


祖父の妹さんにも連絡・・


職場にも連絡。。


病院に着くと・・意識はあるものの目はうつろ・・昨日の様子とは大違いで驚きました。


しっかり声をかけながら・・・


私「おじいちゃん!!」


母も伯父も声をかけながら・・・


 


もしかして・・生きてる間に会えないかもと思い・・すぐに祖母も施設の看護師さんに連れてきてもらいました。


祖母は認知症もち。でも祖父が入院してからというものすごくしっかりしてました。


容態を聞かれて「今食べれない」ってことしか伝えてなかった・・


この事態を見てパニック起こさないかとすごく心配してました。


祖母「手が届かないよ。お父さん。手を伸ばして」


私「おじいちゃん調子悪くて手が伸びないから、おばあちゃんしっかり伸ばしてやって」


祖母「ああ繋げた。体も暖かいし、そこまで痩せてない。以外に元気そうや。愛すべき妻が来たし」目が悪いため、吸入器とかは見えてない様子。


母「そうかな。でももともと痩せてるからそうでもないんやろね」


私「でも、確かにおばあちゃん来てから血圧上がったね」


中略・・・


祖母「お父さん、私ら幸せやね。病気にはなったけど、子供がいて、孫も来てくれて・・みんな来てくれるやもんね。ほんとにね。元気なときは、喧嘩もようしたけど・・文句も一杯言ったけど。」


祖父も少ししっかりして来た様子がありました・・。


祖母「若いときは、お互いの悪いとこばっか目に付いたけど、病気なってからこうやって手もつなげるようになったしさ。悪いことばっかりやない。お父さんお互いに長生きしなあかんなあ。お父さん。一日でも長く生きんといかんね。お互いにね」と少し泣いてた・・・


でも、この言葉・・みんなほっこりさせられた・・


何か悟ってたのかもしれません・・。


母「お母さんどうする?もうちょっとそばにいる?」


祖母「いいよ。私がおって治るんやったらええけど・・そうやないから今日は帰るわ」


祖母も自分で決めたし・・これでいいか。看護師さんと一緒に施設に戻りました。


でも・・。祖父の目がちょっと大きく見開きました。暫くして祖父の妹Aさんも来て、少し反応も見られるようになりました。


 


そして・・昼ごはんも済ませる・・


祖父に聞いてみる。


私「じいちゃん、ばあちゃんもAさんも来てくれたんわかってる」


朝とは違い、かなり反応がしっかりしてました。


しっかり首を振ってました。


 


14時ごろ・・安定してきたとのことで・・処置室から普通の病室に移すということになりました。15時には家に帰ったんで職場に連絡。


とりあえず今日は、有休扱い。明日もとりあえず出勤・・予断を許さない状況ですが・・何も出来ないし・・


取り合えず仕事ですわ・・・


 


バタバタしてますが・。祖母の言葉があまりにも良かったんで・・書きたくて投稿しちゃいました。




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生きていく中での選択肢。

2009-05-16 18:58:08 | 生きるために。

今日は、午前中は祖父のお見舞い、午後は祖母の施設に行って来ました。

今、祖父は肺炎で入院中。

近いうちに、食べる練習をしようという話になっていたんです。

ところが・・いざ開始したところ、とろみをつけたお茶でさえ受け付けれず、ムセがあったとのこと。

肺炎というと、風邪が悪化してなるというイメージがあるんだけど・・

高齢者になると誤嚥性肺炎というものがあるんです。

http://www.dental-shuttle.co.jp/ants/oral/sonof10.htm

 

祖父は、歯も悪いため・・かなり飲み込みも悪かったし・・私も介護職の端くれですから・・その辺は危惧してました。

私が、祖父のところへ行くと・・しばらくして内科の祖父の担当医が来られました。

担当医「あの、お母様は明日にでも来られますかね。」

私「ちょっとわからないんですよ」

担当医「ご親族の方だれか来られますか?」

私「私、孫なんでよければ聞きますが。」

担当医「実は、とろみをつけたものを飲んでもらおうとしたんですが、おじい様むせられてしまって、食べれない状態なんですよ。まあ入院されたのもその辺が原因なんですよね」

私「誤嚥性肺炎ということですね」

担当医「そうなんですよ。点滴だけでは、十分ではないんでね、胃から直接栄養とらないといけないんですよね。胃ろうというものを使うんですよね。」

私「わかります。わかります。でも、体力の心配もありますよね。」

担当医「そうですね。お母様に言っといてもらえますか」

ということでした・・・

ちなみに・・胃ろう

http://www.peg.or.jp/eiyou/peg/about.html

私は、胃ろうの人見たことあるんで・・普通に聞いてましたけど・・

 

そのことを両親に話、伯父にもメールで連絡。

改めて電話もかかって来ました。

 

私の中では常識であっても、福祉や医療に関わってないとなかなか耳にしないことなんでしょうね。

両親にも、伯父にも・・そのことで色々説明もしました。

たまに、胃ろうをしてた人でも、体力が回復し、口から食べれるうようになるケースもありますが・・・86歳の祖父。それにガンもあったりするとかなり苦しいのではと思うんです。

 

でも祖父は食べることが大好き。たとえ元気になったとして、口から食べれないということに対して抵抗がないとは思えない。肺炎で息が苦しくても口から摂取するのか。

明日、母も病院に行ってもっと詳しい話を聞いてくることと思います。

私も身体の様子とかみると・・祖父の足はだんだん動かなくなっていることがわかります。体が元気で寝たきり・・それもまたつらいのかとも考えたり・・

ただ祖父も意思がはっきりしてます。その辺は自分で決めるのもひとつの手立てかとも考えたり。

祖父がどういう選択をしようとも、何か楽しみを持ってて欲しい。ただそれだけは願いたいと思う。

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2度目だけど・・

2009-05-09 22:32:09 | 生きるために。

久々に祖父のことを書こうかと。。。

現在、私の自宅から歩いて10分ほどのところに入所している祖父母。それ故夜勤の入りなんかでよく行きます。

こっちへ来て半年あまり。私も月平均7回以上祖父母のところへ行ってます。

以前もちらっと紹介してますが・・

http://blog.goo.ne.jp/sumolove115/e/a7d29f082c9bdd3590af642cbaf71861

 

今日は、会議で帰りも遅かったです。。母からメールも着信も。。家族間ではただなんで携帯にかけても出ないんで仕方なく家の電話に・・

 

「大丈夫なん?ってかやばいやん」とか言ってたんで・・

たまたまそばにいた、ホーム長と兄貴が「大丈夫か?」と言ってました。

 

兄貴とは自転車で途中まで一緒なんで・・

「いや~じいちゃん肺炎で入院してん。今回2回目やしやばいなあって」

兄「それで話してたんや」と。。。

まあ坂下りたらすぐ反対方向なわけで・・・

「また明日」と別れたわけですが。。

 

昨年も肺炎になりました。でもそのときもやばいやばいといいつつ、神戸から大阪の施設に移って、年内危険かもなんて言われながらも。。元気になってました。

ガンを持ってる祖父ですが、神戸の病院で見つけてもらった抗がん剤がすっごく合ってて、医者も驚くくらいの生命力。

祖父の楽しみと言えば、野球や相撲。

テレビを欠かさず見てます。

阪神戦でも結構夜見てたし。家でも阪神のおかげかなあなんて話しもあったくらい

明日からそういや・・大相撲も始まる。

きっと阪神だって元気になる。

祖父の元気の源のひとつ。

 

余命5ヶ月なんて言われてから、もう2年2ヶ月も経ってる。何度も危機を脱してる祖父だけに、きっと大丈夫。

そう信じる。ただそれだけ

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付き添い・・

2008-04-17 20:45:42 | 生きるために。

先週の水曜日以来のお休み・・

まあ今回は結構お休みがあるわけですが。。。

とはいうものの2月は1日(有給)、3月は1日の休みで通過したわけですが・・・

四月後半に3日の休暇・・

 

なのに・・

施設のほうから連絡もらいましてなるべく早く祖父の診察をして欲しいとのこと・・

何度か書いてますが、祖父は、がんで一度は手術しました。(しなければ余命5ヶ月とは言われましたが、してからすでに一年以上)

でも一年以内に再発し、手術するだけの体力もないし、薬でやっていこうといういわゆる積極的治療というものは行わないことにしてます。ゆくゆくはターミナルケアとなりますが・・

今のところ安定してます

でも何が原因かわかりませんが・・腫れが見られるとのこと・・日曜日も一応行ったんですけどね・・

で近々って私しかいなかったもので・・・

付き添い・・・

朝早くから出て祖父の施設に行き、病院まで・・・

血液結果が出るのに時間がかかることかかること

特に悪くなった様子はないけど。。腫れを抑える薬を処方されたわけです。

それは、血小板とか白血球の値に異常を与えるかもしれないとのことで、また来週血液検査・・

来週の金曜日というわけなんですがまたもや私が着いていくことになりそうです・・・忙しい忙しい

休みを下さい

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付き添い

2007-12-05 23:19:45 | 生きるために。

祖父が検査を受けるということで私が付き添い。

いやほんとに夜勤変わってもらって助かりました。

午前中は梅田で買うものがあったんで買い物・・ってヨドバシカメラとビッグイシューだけなんですけどね・・・ビッグイッシュ300円にあがったんですね。。なんだかんだで8月15日号から買ってなくて7冊購入

それから神戸に向かいました。施設から病院へ。受診が14:40分から・・検査終わるのが15時過ぎ。それから病院の喫茶店とかいくともう16時・・施設に戻ったのは17時前・・当然夜勤なんて間に合ったものじゃないです。

変わってくれたお姉さまに感謝

明日しっかり改めてお礼いっとかないと・・・まあ夜勤手当はなくなるけど。。助かりました。しかもお姉さまは休み一日無くなったわけですから。。

でもお姉さまは家が遠いんで早く来たり、遅く帰るよりは夜勤のほうがいいそうで。。

おかげで三宮で買い物しっかりしました。。お財布も新しく出来たしおいしいチョコレートも購入職場に持っていってわずかだけど食べてもらうつもりです

祖父とは、相撲や野球の話もしましたし、もちろん仕事の話も。

祖母。。相変わらず波が激しいようでちょっと眠そうでした。

メガネ汚れてたんで軽く拭いてあげました。半分寝てる状態ではあったんですが、きれいになったって喜んでました。祖母とは少ししか話できなかったんですけどね・・・次に行くのは来年になりそうですが、頑張って刺激を与えに行きたいものです。

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