私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

改めて悟りの階梯(1)

2014年10月27日 19時42分33秒 | 悟りの階梯
◇改めて悟りの階梯(1)◇

<この記事は今年2月27日に書いたものをもとに、書き直したものです>

改めて悟りの階梯について文章を書いてみたいと思い、書いてみることにしました。
前回の記事も削除せずに残しておくことにしました。

悟りの道は、階段状の構造を有していて、大きく分けて四つの段階があります。
殆どの方は、階段を一つずつ上がっていかれるようです。

ここで私が書きます悟りの階梯も、私の考えに過ぎないものであり、幻です。
しかし、悟りの各段階のゲートを潜ったときに得られる体験や理解は、少なくともその基本的な部分については非常に共通性が高いのです。
つまり、誰かがある段階のゲートを潜ったとき得られる体験や理解は、その人がどのような経過を辿ってきたかは余り関係がないのです。

まず最初に、用語や基本的なことに関しまして、予め少し説明します。
私という存在は、自我(個の意識)と真我(全体意識)の二面性を有しています。
なお、ここで言う自我とは、肉体に付随した私という感覚(肉体感覚の私)のことではなく、私の内面にある本質的な私(大いなる私と言ってもいいです)のことです。
あるいは、創造主としての私と言ってもいいです。

次に、悟りの階梯の四段階について簡単に説明します。
第一の段階は、私という自我を捉える見性か、あるいは、真我の第一段階の覚醒かのいずれか一方を得た段階です。
なお、真我の覚醒の段階には、真我の外縁に触れる第一段階の覚醒と、真我に完全に覚醒する第二段階の覚醒があります。
第二の段階は、真我の第一段階の覚醒を得ることと、自我を捉えること(見性)の両方を得た段階です。
第三の段階は、真我の第二段階の覚醒を得た段階です。
第四の段階は、最終的な悟りである解脱の悟りを得た段階です。

私は、第一の段階のことを、ラジニーシさんの言い方に習って4次元(物理的な次元ではなく、意識の次元です)と言ったりもしています。
なお、この次元の数は私自身はそれほど意味があるものだとは思っておらず、簡単に表現できるので便利だから使っています。
ちなみに、悟りを全く知らない一般的な人の意識は3次元です。

続いて、第二の段階のことは、天界の悟りと言ったり、5次元の悟りと言ったりしています。
また、第三の段階のことを、大悟とか、真我の完全覚醒とか、梵天の悟りとか、6次元の悟りと言ったりしています。
第四の段階は、解脱の悟りとか、無明が晴れるとか、7次元の悟りと言っています。


次に、第一から第四の段階についての全体的な特徴等について説明します。

一つの見方として、私という存在である自我は、その自我が握りしめている考えの集まりだということができます。
そして、悟り道を進んでいくということは、その自我が握りしめている考えを手放していくことなのです。

また、私という自我に起こってくる考えの原因は、自我が握りしめた考えであり、執着(カルマ)ですから、握りしめた考えが多いほど、起こってくる考えも多くなり、自我も厚くなります。
このため、悟りの道を進むのに従って、自我が握りしめている考えも減っていき、自我も薄くなっていきます。

また、良い悪い等で代表される二元の迷いとの関係で言うと、悟りを知らない一般的な方がおられる段階(3次元)から第二の段階(天界の悟り、5次元)までは、二元の迷いの中です。
第三の段階(大悟、6次元)の悟りを得ると、大凡の部分において二元の迷いから脱却できますが、多くの場合、まだ一部に二元の迷いが残るケースが多いようです。
例えば、悟りや幸せを良いものとして掴んでおられる方がおられるようです。
二元の迷いを含めたすべての迷いから抜け出すためには、第四の段階(解脱の悟り、7次元)を得る必要があります。


続きます。


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読んで頂いてありがとうございました。

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