Subang Jaya より

「人生は冒険だ」の言葉に痛く共感し飛び出した日本。その後はどうなったか?

キナバル登山 5

2019年08月18日 | キナバル山

いよいよ山頂アタック

-2℃+強風を考慮した服装、昼過ぎにはベースキャンプのロッジまで戻れるので最小の荷物に絞り2時半からアタック開始。

 

真っ暗の中をヘッドランプの灯りを頼りに上って行く。

真っ暗なので山の形、道がどこにあるかは見えないのだが、時々夜空の星のように見えるのが先行者のヘッドランプであることに気が付くと、「あんなところまで行くのか!」と先が長いことを知るのだった。

驚いたのは、毎日この山のどこかにいるガイドのジャスティンさんはランプをもっていなかった。

もっと驚いたのは、我々登山初心者が最も選択に気を遣うであろう靴については、コインローファーを軟質塩ビで一体成型したような、チープなチープな靴だった。

底形状はちょっとしたブロック(但しすり減り状態)、ソックスも履いていない。

我々なら、足を傷めないよう良い履き心地を保つよう、ゴアテックスだの、特殊形状衝撃吸収特殊材料だの、マメができないようなパッド付で血流を考えた締め込みソックスだの、どれにしようか相当悩むものだと思うが、全く「僕には必要ないよ」と言われているようだった。これは、プロだからできることで真似はできないと思う。他にもガイドさんをたくさん見たが、みな同じ靴(麓の売店で売っている)だった。または、クロックス(もちろん偽物)だったりもした。

ちょうど山頂につくあたりに日が昇ってきた。キナバル山の山頂は、広大なフラットな岩盤の上に、いくつかの数十メートルの小山があるといった感じ。

中でも、登山者の目的は海抜最高のLows Peakだ。交代で記念撮影。

ゴリラの横顔ってコレ?

 

ここから下りが始まる。

下り始めて間もなく、Lさんがカニ歩きになった。パナドールを飲むことですぐに回復した。

下り始めてすぐの場所。岩の表面が白く窪んで見える部分がいくつかある。2階建て家屋一軒分くらいの大きさに思えた。これが先の地震で剥がれ落ち、日本人登山者も犠牲になった。

 

ベースキャンプに戻り昼食を食べ、またすべての荷物を背負い7時間かけて登ってきた道を下る。

私の荷物は出発時の6.7㎏ほどに戻っていた。

ところが驚いたことに、ガイドのジャスティンさんの荷物がさらに一つ増えている。

S君もガイドに荷物を託したようだ。片道だけなら半額だそうだ。

L:「Nさんも預けてはどうですか?まだいけるそうですよ。登りでも35㎏まではOK。下りなら余裕だそうですよ。お安いと思いますよ。」

疲れがたまってきたし、下りで足を痛めやすいのは経験済みだった。しかし、ここで私の悪い癖である、意地、意固地が働いて、自分の荷物は自分で運びきる!が新たな目標となっていた。

ベースキャンプから山を下ること3時間半、やっとの思いでゴール目前。


イブで痛みからは逃れられるのだが、筋肉がパワーを失っていることも忘れてしまう。下りで深めの段差を降りようとするとき、先に下した足で体重を支えることになる。この時、経験では十分支えられるはずの体重が支えきれず、ヘロヘロとなってしまうのだ。
下り坂では、手すりにつかまりステッキに覆いかぶさり、志村けんや加藤茶が演じていたおじいさんのような歩き方になっていた。

ゴール、何とか踏破できた。 座り込む。

プロとの違い。ジャスティンさんは到着してもこのままで会社の車を探して駐車場をうろうろ。

左より、Lさんのザック、S君のザック、ご本人のザック。靴に注目。

Lさん、S君を非難してはいけない。多くの人、たぶん4人に一人くらいの割合いでガイドに荷物を預けていた。一般の会社員であれば普通の選択かもしれない。KLについた翌日は予定通り出社したことには敬服する。私は年休作戦通り休んだ。

 

ここでガイドのジャスティンさんと別れ、KINABALU LODGEで遅い昼食、その後コタキナバルのホテルに移動し一泊してKLに戻るのだった。

 

登頂証明書。海抜4095.2m 全行程で天候に恵まれていたのは本当に助かった。

 

最後に、登り、特に下りでたいへんお世話になったステッキが、行きは大丈夫だった機内持ち込みが帰りには許されず、放棄することになった。

終盤このステッキのおかげで転ばずに済んだのは3桁になったと思う。私のミュージアム(があれば)に間違いなく展示されていたはずだ。

とても大変そうな登頂記になったが、YouTubeなどを見ると登頂のついでにダイビングやマリンスポーツをされている方もいる。

もう、若くないということを考えさせられる挑戦だった。

おわり

 

 


キナバル登山 4

2019年08月18日 | キナバル山

下山5日目 筋肉痛はなくなり、体重も元に戻った。明日からまた現実に戻る。


いよいよスタート、みんなわくわくしている。この時だいたい9時。

登山口前で。まだ数歩しか歩いていない。12.0kgを運ぶLさんは前後にリュックを持っている。

最初の登山路は、このような整備された階段が延々と続く。

道に迷う心配は一切ない。

約1時間ごとに、休憩所が設けられている。


意気揚々と先頭で進んでいたLさんを追い抜きしばらくすると、後ろに姿が見えなくなっていた。

私も息を整えるために休憩していると、汗びっしょりになったLさんが限界の顔をして追いついてきた。

やはり、荷物の重さが災いしているようだ。

3人まとまって再スタートしたのだが、やはり差がついてしまう。

しばらく歩いてまた追いついてくるのを待っていた。

次の瞬間、元気に上ってくるLさんを見たのだった。

なんと、背中に背負っていたはずの大きなリュックが無い!!

その後についてくるガイドのジャスティンさんの背中のリュックが2個になっている!!

なんと、Lさん歩き始めて2時間程度で(金にモノを言わせ)荷物をガイドに託したのであった。

各休憩所にはまあまあのトイレがあり、水も取れるらしい。リスが出迎えてくれる。

その後もこのような道が延々続く。前半、木々は高くあまり見通しのきかない登山路が続く。

中ほどを過ぎると木々も低くなり、山頂が見えてくる。

まだまだ先は長い。


振り返るとずいぶん上ってきたな、と思う。

途中でS君も膝上の太もも筋肉を傷め、座り込んだ。

彼は、いろいろと準備が良く、薬を飲んだらすぐに元気を取り戻した。


歩き始めて約7時間、やっとこの日の宿となるPANALABANに到着。

すでに海抜3272.7m。ここを翌朝2時半に出発する。完全ツアーで定員があるのは、ここの収容人数のためとのこと。ここまで半袖、ハーフパンツで登ってきたが、寒さは限界となる。

私も、膝後ろの筋、皿の下に痛みを感じ始めていたので念のためイブを飲んでおくことにした。


早めに夕食を食べ、早寝して備える。


つづく




キナバル登山 3

2019年08月17日 | キナバル山
 下山5日目 筋肉痛も治まり、普通に歩けるようになった。
 
 
 
出発の前日の夕方になって、
やっと製品の出荷を見送って、
私:Lさん、明日は何時にどこにいればいいの?
(飛行機を含めた全ての予約はLさんに任せっきりだった)
L:明日、会社に集合し9時半に出発できるように来てください。
 
その日は早めに帰って、やっと荷物の用意、パッキングをしたのだった。
会社に集合し、車1台でKLIA2へ
 
 
このころは元気いっぱい
 
 
私の荷物は、機内持ち込み上限の7kgをわずかに下回る6.7kg。サイズも規格内。数か月前にキナバルに行ったR君の情報、「行きも帰りもステッキの機内持ち込みOKでした」を信じ、ステッキはリュックに付け機内持ち込みした。
 
約2時間半のフライトで、ボルネオ島のコタ・キナバル空港へ。
 
空港でツアー会社にピックアップしてもらいバンに乗り約2時間でふもとのKINABALU PARK LODGE 着。
ここまでが1日目、ほとんど歩いていない。夕方6時着。
 
 まずは、早めの夕飯
 
コテージ風の客室
 
今夜はここでゆっくり休む。
 
一夜明けて元気いっぱいのS君、
 
朝食を食べて、8時半出発。この後登録を済ませ我々を担当するガイドのジャスティンさんと会う。
 
 
朝食の後、入山の登録をし、各自昼食の弁当と500㏄の飲料水を受け取る。
この時3人の荷物は
私:8.3㎏
S君:10.0㎏
Lさん:12.0㎏ に達していた。
これがその後の明暗を分けることになる。
 
 LODGEからさらに10分ほどバンに乗り、登山口についた。
ここから登山が始まる。
 
 
 
 
 
 

キナバル登山 2

2019年08月16日 | キナバル山
下山4日目。筋肉痛はまだ続いている。
出発直前に計った体重が帰宅時には3.5㎏減っていた。
今は、乾いたスポンジが水を吸ったように元の体重に戻り、元気も戻ってきた。





Lさんは若いころ寝袋やテントをもっての山登りの経験はあるようだ。
S君も山登りやハイキングは大好きなようだ。何より若くて元気だ。

私と言えば、10年ほど前の無職時代に家事を済ませた後に、太田、桐生、足利、佐野あたりの低山を歩き回った程度。
全行程で2~3時間程度、荷物はタオル程度のハイキング(ソロ)しか経験はなかった。
渓流釣りが趣味だったが、車を止めてせいぜい1時間くらいを藪漕ぎする程度のキャリアだった。

山の経験もなく、特にアスリートでもなく、健康診断では、成人病予防のために運動しなさいと言われるが、この上運動したら健康を害するほど仕事漬けで、何より歳を考えると少々無謀だったか?と、我に返り思うのだった。
それからは、山を軽視するな!と言われぬよう、体制作りに励む事にした。

まずは装備
私は駐在者であり、当然何の装備もない。
キナバル登山に合わせて、全てを調達することになった。
初めにリュック
30リットルの物を調達。有名ブランドらしい。色が気に入り決めた。
もう少し余裕が欲しかったが、振り返るとこれ以上の荷物を背負っての踏破は無理だったと思う。
服装は、気温30℃から‐2℃を想定して準備。
登山開始当初は半袖、ハーフパンツでスタートし、
山頂アタック用に、薄いダウンのインナーが付いた撥水ジャンバー、長ズボン。
靴は、トレイルランニング的な物から選択した。
その他、ヘッドランプ、ステッキ、給水用バッグなど、下着以外はすべて新調した。

これらの大部分は、スポーツ用品界のユニクロともいうべき、デカトロンで購入


次に体力
子供のころは体力、特に持久力には自信があったが、遠い遠い昔のこと。
未だに自分は世間の平均以上と思っていた。
なまりきった体力を少しでも取り戻そうと、フィットネスクラブに入会した。
登山のおよそ1年前。入会したものの、トレーニングに行けるのは月一程度。
Body Pumpなど最初は女の子やおばちゃんにも及ばないほどだったが、ようやくついてゆけるようになっていた。

また、装備がほぼ整ったところで、社員数人を誘いトレーニングを兼ねて近くの低山ハイキングを数回実施した。実際の荷物の重さを想定して実際の装備で臨んだりもした(但し想定重量は甘かった)。
ヘッドライトを付けての山登り

にわか作りのハイキング部

雲からのご来光。




最後に時間作り
駐在8年半を超えたが、2年ほど前から、休みの土曜日(日曜はもちろん)は会社に行かない主義にした。
昔から年休を取れないたちだった。
海外駐在になると気づかさせてくれる人もなく、ますます取得するきっかけがなくなっていた。
そこで思いついたのが、「本社が休みの日は俺も休む、必要なくても休む」作戦だ。
今年1月から始め、順調に消化が進んでいる。下山後も本社はお盆休みなので作戦通り年休を取得することにした。




8月に入り、新製品の初回生産・出荷が計画されていた。
出発直前の9日には3千台の製品出荷が必須とされていたが、部品の遅れなどから垂直立ち上げどころか、エビ反り立上げができたとしても達成困難が大方の見解だったが、奇跡的にこれをクリアし仕事も区切りがついた。
頑張ってくれたラインのみんなに感謝する。


晴れて、8月10日(土)の出発を迎えることになった。







キナバル登山 1

2019年08月15日 | キナバル山
今日で下山3日目、いまだに筋肉痛が続いている。



あれは3年ほど前だった、か?

私:Lさん、マレーシアにはキナバル山という高い山があるんだって?
  登ってみてえなぁ。

L:私も一度登ってみたかったんです。

私:いろいろと、予約や手続きがあるらしいね。

L:ガイドをつけての完全予約制みたいです。調べておきます。


今から2年ほど前

私:Lさん、キナバル山の事、どうなったかな?

L:あっ、忘れてました。調べておきます。


今から1年半ほど前

L:S君も行きたいと言ってます。

私:で、予約とかは?

L:本当に行くんですか??

私:あぁ

L:これからやります。


そして、今から約1年前

Lさんいろいろとネット検索や現地問い合わせをしてくれたらしい。

L:予約ができました。来年の8月11日から13日です。


ここから我々のキナバル山登頂計画は具体的になったのだった。

登頂できればその時は、
Lさん:50代初め
S君:30代後半
私:61歳11か月になっている。