Subang Jaya より

「人生は冒険だ」の言葉に痛く共感し飛び出した日本。その後はどうなったか?

キナバル登山 2

2019年08月16日 | キナバル山
下山4日目。筋肉痛はまだ続いている。
出発直前に計った体重が帰宅時には3.5㎏減っていた。
今は、乾いたスポンジが水を吸ったように元の体重に戻り、元気も戻ってきた。





Lさんは若いころ寝袋やテントをもっての山登りの経験はあるようだ。
S君も山登りやハイキングは大好きなようだ。何より若くて元気だ。

私と言えば、10年ほど前の無職時代に家事を済ませた後に、太田、桐生、足利、佐野あたりの低山を歩き回った程度。
全行程で2~3時間程度、荷物はタオル程度のハイキング(ソロ)しか経験はなかった。
渓流釣りが趣味だったが、車を止めてせいぜい1時間くらいを藪漕ぎする程度のキャリアだった。

山の経験もなく、特にアスリートでもなく、健康診断では、成人病予防のために運動しなさいと言われるが、この上運動したら健康を害するほど仕事漬けで、何より歳を考えると少々無謀だったか?と、我に返り思うのだった。
それからは、山を軽視するな!と言われぬよう、体制作りに励む事にした。

まずは装備
私は駐在者であり、当然何の装備もない。
キナバル登山に合わせて、全てを調達することになった。
初めにリュック
30リットルの物を調達。有名ブランドらしい。色が気に入り決めた。
もう少し余裕が欲しかったが、振り返るとこれ以上の荷物を背負っての踏破は無理だったと思う。
服装は、気温30℃から‐2℃を想定して準備。
登山開始当初は半袖、ハーフパンツでスタートし、
山頂アタック用に、薄いダウンのインナーが付いた撥水ジャンバー、長ズボン。
靴は、トレイルランニング的な物から選択した。
その他、ヘッドランプ、ステッキ、給水用バッグなど、下着以外はすべて新調した。

これらの大部分は、スポーツ用品界のユニクロともいうべき、デカトロンで購入


次に体力
子供のころは体力、特に持久力には自信があったが、遠い遠い昔のこと。
未だに自分は世間の平均以上と思っていた。
なまりきった体力を少しでも取り戻そうと、フィットネスクラブに入会した。
登山のおよそ1年前。入会したものの、トレーニングに行けるのは月一程度。
Body Pumpなど最初は女の子やおばちゃんにも及ばないほどだったが、ようやくついてゆけるようになっていた。

また、装備がほぼ整ったところで、社員数人を誘いトレーニングを兼ねて近くの低山ハイキングを数回実施した。実際の荷物の重さを想定して実際の装備で臨んだりもした(但し想定重量は甘かった)。
ヘッドライトを付けての山登り

にわか作りのハイキング部

雲からのご来光。




最後に時間作り
駐在8年半を超えたが、2年ほど前から、休みの土曜日(日曜はもちろん)は会社に行かない主義にした。
昔から年休を取れないたちだった。
海外駐在になると気づかさせてくれる人もなく、ますます取得するきっかけがなくなっていた。
そこで思いついたのが、「本社が休みの日は俺も休む、必要なくても休む」作戦だ。
今年1月から始め、順調に消化が進んでいる。下山後も本社はお盆休みなので作戦通り年休を取得することにした。




8月に入り、新製品の初回生産・出荷が計画されていた。
出発直前の9日には3千台の製品出荷が必須とされていたが、部品の遅れなどから垂直立ち上げどころか、エビ反り立上げができたとしても達成困難が大方の見解だったが、奇跡的にこれをクリアし仕事も区切りがついた。
頑張ってくれたラインのみんなに感謝する。


晴れて、8月10日(土)の出発を迎えることになった。







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