二人が自他共に夫婦となったのは寺田屋事件の後からだといわれる。寺田屋で負傷した傷の治療に霧島温を訪れている。このときが幸わせの絶頂期であった。
しかし、慶応3年(1857)11月15日京都近江屋の2階で、龍馬が刺客に襲われ、絶命する。
そのときお龍は下田で妹と二人で暮らしていた。龍馬の死を聞いて、黒髪をばっさり切り落とし霊前に供え、時が過ぎるのを忘れて、泣き伏したそうです。
その後、彼女は、龍馬が生前、後事を頼んでいた、親友の三吉慎蔵のもとに、妹とともに 引き取られ、妹は海援隊隊士菅野覚兵衛と結婚させる。ひとりとなったお龍は坂本家に引き取られるが、折り合いが悪く、数ヶ月で飛び出し、京都の龍馬の墓の隣で暮らすことになるが、生活が維持できず、西郷を頼り、上京するが、西郷は鹿児島に帰った後で、各地を点々とする。生活の為、明治8年に西村松兵衛と再婚する。
晩年は中風を病み、酒が手放せなくなり、脳溢血で亡くなる。66歳であった。
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