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八重の桜 西郷の私学校

2013-09-15 05:37:09 | 人物

こうして私学校は反政府の政治団体になり鹿児島県内は中央政府の威光が及ばない、いわば独立国状態になってしまった。

明治10年、危機を感じた政府は鹿児島鎮台の弾薬庫から弾薬を運び出そうとしたが、私学校生徒が察知し、弾薬庫を爆破、西南戦争の火蓋がきられるのである。

西郷はこの爆破計画を知らないまま、リーダに担ぎ上げられ、政府軍と戦うことになる。西郷は北上して熊本鎮台を2ヶ月間攻め続けたが、しだいに追い詰められ、明治10年9月24日自刃する。


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