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歴史ヒストリア 明智光秀

2013-06-26 06:07:20 | 歴史

たとえ天下を取ったとしても妾はもたぬ 光秀の言葉である

明智氏は斉藤義竜に攻められ滅び、宗家の流れを引く光秀は全国を流浪していた。妻子を抱えての生活はきわめて貧しかった。

そのころの光秀は連歌を好んで、友人と持ち回りで句会を催していたが、光秀の番になっても金がない。悩む光秀に、妻は「会を開きなさい」といった。

果たしてその日、酒肴は豪華で、友人たちは大いに満足して帰っていった。

光秀が妻を改めてみると、頭巾をかぶっていた。そうです、夫に恥を欠かせない為に、女の命の黒髪を酒と肴にかえたのです。

このことに感激した光秀は「お前を50日のうちに輿に乗る身分にしてみせる」と奮起して、正夢にする。

 


〇光秀が信長を裏切った理由?いまだに不明である。徳川家康接待の折りの不手際を信長に叱責されたとか、畿内の領土没収説、背後に家康がいたとか言われているが、確定的な証拠はない。

 


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