R&Rf Blog "The Ladder To The Stars"

ミニチュア製作を中心に日々感じたことをランダムに綴っていきます。

2017年の終わり 「ブレードランナー2049」と「スターウォーズ最後のジェダイ」

2017-12-29 | 映画

 秋口から家のリフォームやらなんたらで思ったように製作ができず今年もあと少しになってしまった。

 そんな中 先日「ブレードランナー2049」を最終日に、そしてその5日後には「スターウォーズ 最後のジェダイ」と立て続けに映画を観てきた。
思えば「ブレードランナー」は封切時に今はなき渋谷東急で「ブレードランナー-ディレクターズカット版-」は出張時に新宿で観たという大好きな映画である。
 前作では主人公のデッカードがレプリカントか否かというのが論点の一つになったが、自分はハリソン・フォードが言うように主人公を人間として観るから感情移入ができるんじゃないかと思っている。監督のリドリー・スコットはレプリカントとして認識しているみたいだが、監督であれば映画全体を掌握しないといけないのでそう認識して当然であろう。ただし映画の中ではレプリであるというヒントはあるものの断定はしていない。原作者のフィリップ・K・ディックはどうだったんだろう。彼の一連の作品からすると、人間に別の記憶が移植されているという解釈も成り立つのでは?この映画自体がこの主人公のアンビバレントなアイデンティティーをめぐる冒険になっている。(レイチェルは当時の最新型だからまだしも、それ以前の型のレプリが生殖機能を有していたとも考え難い)新作も同じくレプリカント(K)の葛藤の物語である。今回も前作のロイ・バッティーが死闘の中で生きていることを実感して満足して死を迎えたようにKも別の意味で生に満足して死ぬ。続編というものはえてして後だしじゃんけんみたいなもので1作目より劣るのが常であるが、当初 この新作にはあまり期待はしていなかっただけに予想以上の素晴らしい作品だった。
 レプリが人間以上に人間らしい。そこには感情にまみれた自己犠牲すらある。

 「スターウォーズ最後のジェダイ」も「ブレードランナー2049」と同じように、ある意味親探しの旅ですなぁ。そしてこちらは更に人が神になるお話。しかしこの映画でテレポーテーションを使うのは禁じ手じゃないかなぁ。変な方向に向かわなきゃいいけど。

1作目の「ブレ-ドランナー」で声で画像ズームのコントロールしていたけど。2017年はAIスピーカー元年でもあったね。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする