元号といえば、たいへん権威のあるものだと思っていると、一方にやんごとなき方面からオーソライズされていない年号というのがあるという。たとえば白鳳文化などというときの「白鳳」というのも、この私年号のひとつらしい。そういうものが結構な数、知られているそうだ。
征露なんてのも私年号だとか。漱石の用例があるそうで、探してみると「達観しない証拠には現に吾輩の肖像が眼の前にあるのに少しも悟った様子もなく今年は征露の第二年目だから大方熊の画だろうなどと気の知れぬことをいってすましているのでもわかる。」というのが「猫」にあった。
それにしても、飛び地とか、私年号とか、権威あるものの縁(ふち)あたりにある怪しい溝ってのが、面白く感じられるのはなぜだろうか。
征露なんてのも私年号だとか。漱石の用例があるそうで、探してみると「達観しない証拠には現に吾輩の肖像が眼の前にあるのに少しも悟った様子もなく今年は征露の第二年目だから大方熊の画だろうなどと気の知れぬことをいってすましているのでもわかる。」というのが「猫」にあった。
それにしても、飛び地とか、私年号とか、権威あるものの縁(ふち)あたりにある怪しい溝ってのが、面白く感じられるのはなぜだろうか。