goo blog サービス終了のお知らせ 

辞書引く日々

辞書が好きなのだ。辞書を引くのだ。

怪奇小説 2

2010年01月20日 | Weblog
まだまだ怪奇小説を読んでいる。
またまた言うが、ホラーでもファンタジーでもなく、怪奇小説。
まあ、supernatural (超自然)ってところか。

考えてみると、子どもの頃に読む「おはなし」ってのは、超自然が多い。

たとえば、桃太郎……鬼は明らかに超自然だ。そもそも、桃から生まれたというのが、怪奇である。(旧いバージョンでは、桃を食べたおばあさんから生まれたらしいが、それだってかなり超自然かもしれない)

シンデレラ……魔法使いが超自然でなくてなんであろう。お城とか出てくるところも、ゴシック小説を思わせるじゃないか。

少し大きくなると、シャーロック・ホームズなどの探偵・犯罪ものなども読む。ホームズは超自然ではないけれども、たとえば「バスカヴィル家の犬」なんて読むと、かなりゴシックな雰囲気がある。

SFなんてのも好んで読んだりする。SFには、やっぱり超自然的なものがある。宇宙人なんてのが出て来るけど、かなり超自然くさいものが多い。

これが大人になると、超自然的な小説を読む機会がずっと減ってくる。

子どもの、本を読んでわくわくした感覚が大人になると味わえないなあと思っていたが、これはたんに、大人の読む小説に超自然を(少なくとも中心的モチーフとして)扱わないものが多いからかもしれない。

サンタクロースっているの?

2009年12月09日 | Weblog
この時期はよくサンタが存在するかって聞かれるけど、すぐ話題をそらしてしまう。
どうも人をだますのは、どんなときでも良くないような気がするから。
でも、サンタって本当にいないのだろうか。

「サンタは存在するとして提出された証拠がすべて捏造だった」ということから
「サンタは存在しない」と言えるだろうか。無理だろう。
私は「自分は人間ではない」という「捏造された証拠」をいくらでも提出できる。

科学者はサンタはいないなどとは言わないだろう。
「サンタ=親という仮定が、さまざまな観測結果と矛盾しない」というあたりか。

論理学の人はどう言うだろう。仮にサンタが存在しないとして、彼は何と子供に言ったら良いか。
「サンタが存在するなら、プレゼントをもらえるよ」ってのはどうだい。
おどろくべきことに、この命題は真である。

どうしてって、「サンタが存在する」というくだりが間違っているので、この命題は偽とは言えないのだ。
「サンタが存在したのにプレゼントがもらえなかった」という事例を示すことができないからね。
そして、偽でないものは真である、という約束事だから、命題は真なのだ。

ずいぶん屁理屈になってしまった。

でも、「サンタクロースっているの」という子供の質問へのユーヨーク・サン新聞の回答(社説だそうだ)が
読者を感動させたのは間違いないし、これをどう考えたらいいだろう。

別の面から、サンタについて考えなくてはいけないようだ。
そこで、諸説をまとめてみよう。

サン紙は、「サンタ作用説」だと思う。

サンタ存在説「サンタは存在する」
サンタ擬制説「親がサンタとしてサンタ行為を行うのである」
サンタ定義説「サンタ行為をする者をサンタと呼ぶのである」
サンタ行為説「サンタとは親の行うサンタ行為を擬人化したものである」
サンタ作用説「サンタとは親にサンタ行為をさせる何らかの作用を擬人化したものである」
妻の意見  「下らないこと言ってないで、プレゼント買ってきなさい」


今さらながら、やっと Twitter の何たるかがわかった

2009年11月05日 | Weblog
Twitter 上で行われているA氏とB氏の対話に興味がある人がいても、
A氏の発言だけ、B氏の発言だけをそれぞれに集めた二つのページを
見比べるしかないので、「わけがわからん」。

しかも、返信は発言に対してなされるのではなく発言者に対してなさ
れるので、当事者以外にはどの発言に対する返信なのかわからないこ
とが多い。

Twitter に参加して、A、B両氏の発言をフォロー(講読)すれば、
A氏の発言とB氏の発言を自分のホーム上で「混ぜ合わせたうえで発
言順に並べ変えて」見ることができるので、「わけがわかる」。

イメージとしては、Twitter ユーザ全員が参加しているたった一つの
巨大な掲示板から、自分の好きな発言者たちの発言だけ抜き取って、
自分のホームに表示するというものである。

なお、他人のホームを覗くことはできない。

また、フォローは一方的な関係であるから、相手の承諾を要しないし
自分をフォローしていないユーザにも返信できる。

以上が基本であるが、このほかに、さまざま検索や、非公開化、攻撃
防御のための機能が提供されている。

(補遺)
自分の発言は自動的にフォローされる。
@someone で始まる発言は、someone 氏に対する返信であることを意味する。

リストという機能を使うと、ユーザの集合体に名前をつけることができるので、
複数ユーザをまとめてフォローすることが可能となる。
また、リストは公開可能であり、他人にこれを使いまわす便宜を与えることができる。
さらに、各リストはそれぞれに仮想的なユーザと擬制される側面があり、
「彼ら」のホームに当たるものにはそれぞれ URL が付与される。これは
(本物のユーザのホームと異なり)公開することが可能である。
[この項目は「『も』さん」のご指摘を参考に追加した]

タイムラインという用語がよく使われるが、これは、ホームにしろ、自分の
発言だけを集めたページにしろ、あるいは、「リスト氏」の「ホーム」にしろ
日付順に並んだ発言の集体合を指すようである。

名古屋城木造再建に期待

2009年08月10日 | Weblog
「名古屋市の河村たかし市長は10日の定例記者会見で、
名古屋城天守閣を現在のコンクリート製から木造に建て直すことを
本格的に検討すると発表した。」そうだ。
(http://mainichi.jp/select/today/news/20090810k0000e040048000c.html)

以前から私が願っていたことであり、じつに喜ばしい。
ちゃんと実現するかどうかわからぬが、とにかくこの件、応援いたしたい。

ついでにいうと、名古屋にかんして私にはもう一つの願いがある。
100メートル道路に路面電車を走らせることである。

かろうじて日蝕見えた in 名古屋

2009年07月22日 | Weblog

(見やすいように、画像の明るさが調節してある)

日蝕のとき、ちょうど栄(名古屋でいちばんの繁華街)にいた。
みんな「皆既日食」とか書いたTシャツを着て、観察眼鏡をかけて、
ラジカセからホルストの「惑星」かなにかを流しながら、
上を向いて歩いているかと思いきや、ごくたまに上を見上げている人が
いるだけで、ふだんとどこも変わらなかった。

Ubuntu で日本語を縦書きベタ組印刷しようとして難儀……する必要なかったという噂

2009年06月26日 | Weblog
Ubuntu で日本語の縦書きベタ組印刷をしようとして苦戦。

OpenOffice はまだ縦書きがちゃんとサポートされていない。
(追記:OpenOffice 3.0では、縦書き可能だというコメントをいただいた。知らんかった。近々試します)
LaTeX は縦書きができるが、ベタ組にしようとするとスタイルシートをいじったりするのが面倒。

むかし書いた Emacs LISP のプログラムで、
縦書きの Postscript を吐かせてみたのはいいが、
ghostscript が日本語フォントを表示してくれない。この際だから IPA フォントをインストールし、
ttf-ipafont.hint ファイルで、begin /usr/share/fonts/truetype/ipafont/ipam.ttf の項目中に
Alias = Ryumin-Light を加え、Priority = 20 になっているところを 60 くらいにし、
# defoma-font reregister-all ttf-ipafont.hints とかやって、ヒント情報を再読み込みさせたらうまくいった。

ghostscript では正常にプレビューできたので一安心していると、lpr で cups に送るとメトリックがめちゃめちゃ。
ps2ps で、翻訳したらうまくいった。

なんで、こんなしょもないことに手間をかけてるんだ、おれは。と、ちょっと反省。


そんなことはない

2009年05月28日 | Weblog


なんか、最近こんなのばかりだ。

仕方がないから、日記らしきものを書いてみよう。

最近読んでいる本:チェスタトン
最近よく聴く音楽:タル・ファーロウ
最近よく見る番組:木枯らし紋次郎(再放送)


これじゃいつの時代の人かわからんね。

でも、列挙するという作業は少し面白いや。

ついでだから、自己紹介風にやってみよう。

よく使うシャーペンの芯:  0.7mmの2B
好きな水糊:        アラビックヤマト
好きな田村信のマンガ:   できんボーイ
何度読んでも挫折する小説: 渋江抽斎
好きな茨城県のお土産:   水戸の梅
好きなノート:       ツバメノート
マジに力が抜ける言葉:   アキレス腱
俺が考案した技:      アキレス腱キック


だんだんバカバカしくなってきたので、もうやめる。

沖縄

2009年03月23日 | Weblog
はじめて沖縄に行きたり。
なにぶんこれまで行ったことがないので、沖縄のイメージというものものなかった。
観光でちょっと行ったところでわかることは、たかが知れているが、それでもいくらかの発見がある。

丘というものが多く、手入れされていない丘では低木と草とが、緑の濃淡をまだらのようにつくる。
ハブがいるというのも、そんな薮なのであろう。そうした丘の一部がさとうきび畑になっているが、
さとうきびの背丈が高いせいか、薮との境界がよくわからないこともある。
終始曇っていたせいもあってか、美しい海よりも、そうした丘のほうが印象に残った。

伝統的な建築物というものが、どういうものなのかは、イメージできるほど見る機会がなかった。
むしろ、コンクリートづくりのビルのデザインに著しい特徴があるのを発見した。
四角い箱に窓がうがってあるという感じではない。
外から見ると、窓の間に垂直方向・水平方向に柱をはりつけたようなデザインが多いのである。
色はクリーム色一色で塗りつぶしたようなものを多数見かける。

いわゆるグスクなるものにも行ってみた。14世紀ごろにつくられたものは、小さな岩を多く
積み上げてできていて、大きな岩を切ってぴったりとはめた首里城のような立派なものより
風情があった。
特徴的なのは、そのデザインの中にある曲線。円弧とか放物線とかでは割り切れないものだ。

音楽を聴く機会には恵まれなかった。
沖縄の音楽だと自分が信じている一連のものと、あのまだらの丘との間にどうしても関連性が
見つからない。あのいわゆる沖縄音楽というものをどう感じたらいいのか、それは宿題となった。

とにかく、宿題をたくさん発見した旅行であった。

「オズの魔法使い」の黄色い道

2009年03月18日 | Weblog
「オズの魔法使い」で、ドロシーは黄色い道を歩いて、オズのところまで行くわけだ。
黄色い道、というのが以前から何だか気にかかっていた。なんか不自然じゃん。そんなものあるの。

いささか怪しいけれど、流布しているらしい説明があるのを知った。
この話がかかれたのは、1900年で、アメリカは不景気へと進んでいた。
黄色い道というのは、金本位制のことで、オズは大統領だというわけだ。
金本位制の(黄色い)道をたどって大統領(オズ)に会っても、不況を克服し
農民(かかし)や工場労働者(ブリキのきこり)を満足させることはできず、
結局銀の靴でドロシーは家に帰れた、という話。
当時、マネーサプライを増やすために、金本位制だけでなく、
銀も併用しようという議論があったとか。

映画公開70周年ということで、話題になっていた。

ちなみに、
http://news.bbc.co.uk/1/hi/magazine/7933175.stm
によると、話の出所は、
1964年にHenry Littlefieldという高校の先生が書いた論文
(http://www.amphigory.com/oz.htm がそれかな)
だそうだ。

○○○○の株

2009年03月14日 | Weblog
ダイニングで私の席の後ろに電話機が置いてある。狭い家ゆえ、よりかかるとその電話機にぶつかる。
ぶつかると、必ず受話器が外れて落下する。そこで、汚い言葉の悪態をつきたくなる。なにせ、毎日だ。
どうも、背中がちょっと当たっただけで落下するのは、設計上の問題ではないかという気にもなってくる。
電話機の場所を移動しようにも、ファックスつきの小さくないやつだから、そうそう自由にならぬ。

そこで、その受話器に素敵な名前をつけることにした。
「○○○○の株」(○○○○は、その電話機のメーカー名だ)というのが、それだ。
こうすれば、私は、口汚いののしり言葉のかわりに、ごく冷静に
「○○○○の株が落ちた」「○○○○の株が下がった」などとと言えばよいのだ。
そして、いつしか苛立ちは同情に変わるのである。

もっとも、こう不景気では、電話機を買い換えて内需の拡大にいくらかでも
貢献したほうがよいには違いない。