「ぼくら党」のブログ

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自衛隊国連軍編入論について-(2)

2006-09-25 09:16:15 | 在日米軍・安保問題

■アメリカ追従論であれ、国連軍編入論であれ、その負担は自衛隊が請け負うことになる。このような安全保障に関わる問題を考える場合に、後ろめたさを感じるのはその部分である。

この事について、我々は深く考えなければならないのではないか。自衛隊を一つの記号で考えるのではなく、我々と同じ人間の集団であることを前提にして、考えなければならない。

■個人的な立場で考えれば、どのようなやり方であったとしても、あまり関係のない問題であろう。アメリカに追従するために、自衛隊を海外に派遣して、そこで犠牲者が出たとしても、所詮他人事だから(今の制度なら)、大多数の日本人には、関係のない話である。感情的な怒りがあったとしても、当事者としての苦しみはそこにはない。

■自衛隊だけに、負担を押し付けるようなあり方、(「我々の生活のために、君達は、命を投げ出しなさい」)であれば、それは、国民を道具にしようとする為政者の考え方と、同じであって、我々民衆が考えるべきではない。我々はもっと使われる側の痛みというものを汲み取るべき立場にあるのではないか。

■自衛隊に、職責を全うするためには、自らを犠牲にする覚悟が無いと言うわけではないが、彼らが命を投げ出しても良いと考えていたとしても、我々は、「なら命を投げ出してください。」と言うべきではない。

■やはり主体的に、国際社会に軍事的な方法で関わりを持とうとするなら、国民全体が、当事者としてそれに関わることを前提に物事を考える必要があるだろう。しかし、我々もその義務を負担するべきかど考えれば、やはりそれは躊躇されるべきものである。(現実問題としても徴兵制的なやり方は、現在の世界では経済的負担などの観点から現実的でないとされている) 。

■自衛隊も国民によって組織されているのだから、自衛隊員の死は、国民が死ぬことと何ら変わりがない。よって国民の犠牲を最小限にするという観点から、やはり私は、この国が攻撃された場合にのみに、自衛隊を活用するべきであると考える。 (日本が攻撃された場合には、我々も彼らと同じ立場(命が危ない)に立たされるのだから、当事者として語る権利を少しは持つ事が出来るのではないか )。

■このような姿勢は、国際社会の一員としての義務の放棄と批判されかねないが、軍事によらない平和貢献が、現在各国の国民がもつ日本に対する肯定的な評価を導き出しているのであり、その姿を突き詰めていくことこそが、日本の世界における地位を確立するための戦略ではないだろうか。

■長々と個人的な思いを書き連ねてきたが、やはり個人的な感情から考えると、どうしても避けられない場合を除いて(他国による侵攻)自衛隊に「国益のために死んでくれ」。と言える気になれない。考えると考えるほど、色々な感情が絡み合ってくる問題だ。(終わり)



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2 コメント

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人命は何物にも代え難いが (地球人)
2006-09-28 22:25:21
先のコメントで述べたように私も海外派遣には反対であり、人命が失われるのを最も危惧するところです。しかし、「安部氏の政権公約 (2)―集団的自衛権と自衛隊派遣の恒久法制化」が通れば同じように人命が失われます。反対!だけで勝てますか?反対法案を出すとすれば「領土外での武力行使の禁止法案」となるでしょうが、非公式ルートにしろ米国は安保条約の破棄や、貿易等を含めた脅しをかけて来ると思われ、国会勢力図はともかく「領土外での武力行使の禁止法案」は勝てないでしょう。小泉劇場ではないが、明確な方向性が必要ではありませんか。批判、反対だけでは不十分ではないでしょうか。
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地球人さん、コメントありがとうございます。 (管理人)
2006-09-29 21:53:21
私は、まず、国際世論として日本の軍事貢献を求める世論は存在するのか?と思うわけです。ですから単にアメリカの要求を「九条」を理由にして今までのように断るだけの話だと考えています。



「領土外での武力行使の禁止法案」は現在の9条なのであって、それを断り文句として利用することを政府が放棄しており、消極的対米追従ではなく、積極的対米追従であれば、「九条利用」であれ「国連軍編入」であれ、いくらそれが日本の自主性を維持する妙案であっても政府は採用しないでしょう。



ここで書いた事は、二社択一を求められれば、よりマシな選択として国連軍編入を選ぶが、個人の感情では「専守防衛」を望む。という個人的な感情を書いたものですのでその様にご理解ください。大衆の多数を獲得する方法としては書いていません。というよりも大衆世論の獲得する方法は私には分かりません。
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